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「忘れるな拉致 県民集会」を開催しました(令和5年11月11日)

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0631398 更新日:2023年12月27日更新

 北朝鮮に拉致された横田めぐみさんをはじめとする拉致被害者等の早期帰国を願い、令和5年11月11日(土曜日)に、新潟日報社、新潟市とともに「忘れるな拉致 県民集会」を新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)で開催しました。約650人の方々からご参加いただき、多くの皆様と拉致問題解決に向けた思いを一つにすることができました。

 県民集会

 新潟県公式Youtubeチャンネルで、県民集会の様子を動画で見ることができます。
 こちらのリンク先<外部リンク>からご覧ください。

 

主催者挨拶(花角英世知事)

 この20年余り、残念ながら拉致問題解決に向けた具体的な進展は何もありません。
 政府においては、まさに政権の最重要課題であり、全力を挙げて、あらゆる可能性を探り、北朝鮮との交渉に臨んでいただきたいと切に願っております。拉致の疑いを否定できない特定失踪者の方々も含め、すべての拉致被害者の方々が一日も早く帰国できるよう何とか取組を進めてもらいたいと思います。
 我々ができることは、そういった政府の取組を後押しするために、県民、国民の関心を維持すること、声を上げ続けていくことが大切であると思っております。
 こうした関心を維持していただくためにも、政府には、どう取り組んでいるのか、その状況を可能な範囲で、少しでも情報を提供、発信していただけたらと願っております。

 花角知事

 

来賓挨拶(工藤彰三​内閣府副大臣)

 新潟県では毎年、行政と民間が一体となって、本日の県民集会を開催いただいているほか、拉致問題啓発セミナーや、映画上映会、巡回パネル展など、拉致問題への理解関心を高めるための取組を積極的に進めていただいていることに、この場をお借りして、深く御礼申し上げます。
 1977年(昭和52年)11月15日、当時中学一年生だった横田めぐみさんが、北朝鮮によって拉致されました。来週で拉致から46年となります。めぐみさんと私は同じ1964年(昭和39年)の生まれであります。私と同じ年のめぐみさんが46年もの間ご家族とも会えず、日本の地を踏むことができないこと、まさに痛恨の極みでございます。
 2002年(平成14年)に5名の拉致被害者が帰国されて21年となりましたが、この間、5名以外の拉致被害者のご帰国がいまだ実現しておりません。誠に申し訳なく思っております。拉致被害者ご家族もご高齢となる中、時間的制約のある拉致問題は、ひとときもゆるがせない人道問題でございます。私は拉致問題担当の副大臣として、拉致問題の解決に全力を挙げて、皆様の長年の思い、積年の思いを実現するべく、最善を尽くしてまいります。

 工藤副大臣

 

ご家族の訴え

横田早紀江さん(ビデオメッセージ、オンラインでの出演)

 (2014年(平成26年)にモンゴルで)孫のキム・ウンギョンちゃんと会うことができました。主人(横田滋さん)がこの世を去る前にかなえることができて、本当に良かったと思っています。だから、また会いたいんです。今度はめぐみちゃんに会いたい。
 拉致被害者の親である有本(明弘)さんも95歳になられました。娘の恵子ちゃんとお父さんとを会わせてあげたい。もう何百人の家族が同じ思いで待っています。
 皆様方も、本当にご自分のお子さんがこんな目に遭ったら、自分だったらどうするだろうかって、本当に真剣に考えていただけばわかることと思います。忘れることなく、日本国家のために、子供たちのために、良い国、強い国になってもらいたいと切実に思っております。
 帰ってくるまでは、何とか命を長らえなければと思っております。だんだん体が弱ってきていますので、早く解決していただきたいと願っております。

 早紀江さん

 

横田拓也さん

 家族会の前代表の飯塚繁雄さんから、私が代表職を受け継いだのが、2021年(令和3年)12月のことです。その後、拉致問題を取り巻く環境は何ひとつ変わっていません。静かな怒りを覚えます。
 私たち家族会としては、この北朝鮮による日本人拉致問題が風化してしまうことを一番恐れており、そうした中、本日このようにお話をする機会をいただき、大変心強く、そしてありがたく思っています。
 姉のめぐみは、先月の10月に59歳の誕生日を迎えましたが、私や私の家族の中では、いつまでも13歳のめぐみちゃんの顔しか出てきません。13歳から59歳までの顔を思い出してみろと言われてもできません。思い出の積み増しができていないのです。本当に残酷なことだと思います。
 この拉致問題は、横田さんの家の悲しい問題ではなく、誰かの問題でなく、自分たち一人一人に課せられた問題だということを皆様にもご理解いただきたいと思います。私は絶対に諦めるわけにいかない、絶対に負けない。そのためには、声を上げ続けます。そして、皆様方からも、引き続きのご支援とご協力をいただきたいと思います。今後ともお力添えいただきますよう、よろしくお願いいたします。

 拓也さん

 

横田哲也さん

 拉致された当時13歳だった姉の横田めぐみは、現在59歳になっていますが、どのような姿になっているのか、健康でいるのか全くわからず、毎日、姉がどうなっているのか心配でなりませんが、母は私以上に真剣に考え、本当につらい毎日を過ごしていることと思います。
 家族会の中で、親世代と言われている者が、私の母と有本さんのお父さんの2人になってしまいました。私の母は87歳になり、有本さんのお父さんが95歳になり、本当に時間がありません。本当に親世代の2人が存命のうちに解決しないと、何で死んでも解決できないのだと、ここにいる県民の皆さんもそうですし、日本国民の怒りは頂点に達するのではないでしょうか。
 拉致問題は、日本だけに時間がないのではなくて、北朝鮮にとっても、本当に万が一のことがあったら、時間がないのだということをわかってほしいと思います。何よりも、日本国政府が毅然とした態度で外交交渉に臨み、一人も漏らさず日本人を取り戻して欲しいと思います。
 私たちはそんな高望みをしているつもりはありません。家族を返してくださいとしか申し上げておりません。これからも皆様のお力をお借りしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

  哲也さん

 

曽我ひとみさん

 もうすぐ、めぐみさんが拉致をされて46年、本当に長い長い時間が経ってしまいました。時々、めぐみさんと一緒に生活して、笑ったり、いろんなことを話したことを思い出します。日本であれば、めぐみさんは、もっと元気よく思う存分笑えていたのかなあと思います。一日も早くめぐみさんが日本に帰国をし、お母さんのもと、弟さんのもとで楽しく過ごせる時間が来ることを心から願っています。
 数か月前、高校の時の担当の先生がお亡くなりになり、ご家族が、私が高校3年生のときに書いた作文を遺品整理の中で見つけたということで、その作文をいただきました。その一部を読んでみたいと思います。
 「『親孝行したいときは親はなし』という言葉があると思います。母のやさしい思いやりの心は、誰よりも私が一番よく知っていますが、週1回、家に帰ると、毎回喧嘩をして寮に戻っていました。これからも今まで以上に心配をかけるかもしれません。それでも許してください。これからも体に十分気をつけて長生きしてください。今、母ちゃんありがとうと心から思っています。」作文はこんな内容でした。
 来月、92歳になる母ちゃん、とにかく元気でいてください。そして、絶対に諦めずに待っていてください。もう一度、親孝行をさせてください。

 曽我さん

 

大澤昭一さん

 弟の孝司がいなくなって49年9か月、あと3か月で50年となります。弟は当時の状況からして絶対拉致だと思っていますが、まだ、証拠が不足しているなどの理由で拉致認定はされていません。
 10月21日に、拉致被害者、特定失踪者の救出を訴える全国集会(「お帰り」と言うために 〜拉致被害者・特定失踪者家族の集い〜)に参加し、その翌日、国連人権高等弁務官事務所(Ohchr)の方から、私たち特定失踪者家族に関して、聞き取りをしてもらいました。
 政府は、全拉致被害者の一括帰国と言われていますが、果たして特定失踪者がその中に入ってるのか入っていないのか、それを私たちが幾ら問いただしても、それに対する返答はいただけません。返答がない限り、私たちは、大変残念ですが政府を信用できないのが現状です
 あと、私もあと何年身体が持つかわかりませんが、弟とせめて1回会ってみたいと思います。

 大澤さん

 

中村クニさん

 娘の三奈子は、平成10年4月、大学受験に失敗して予備校に行く準備中でした。三奈子がいなくなる前の晩、本当に翌日いなくなるとは思えない楽しいお話をしながら休みました。翌日、私が出勤するので、あの子の枕元へ行って、今日は予備校に入学金を納める日だねと言うと、あの子は「うん」って言って答えてくれました。それが最後の出来事となりました。
 拉致被害者も、特定失踪者もみんな、朝出かけるときに、まさかその日帰ってこないなんて想像はしていないと思います。帰ってくるのは当たり前。しかし、多くの拉致被害者、特定失踪者の人たちは、本当にそんな状況でいなくなりました。
 10月に、東京都庁の前で、拉致被害者、特定失踪者の家族と、被害者にお帰りなさいと迎えるための集会が行われました。13年前にも同じような集会が行われましたが、集まった人たちは13年前の半分ほどになりました。
 ぜひ、拉致被害者のみならず、特定失踪者も一人一人が本当に大切な命ですので、ぜひ一日も早くこの拉致問題が解決しますように、皆様からのお力もいただきたいと思います。

 中村さん

 

署名提出

 曽我ひとみさん、大澤昭一さん、中村クニさん並びに救う会新潟の髙橋正会長から、横田拓也さん・哲也さん立ち合いの下、工藤内閣府副大臣に、拉致問題の早期解決を訴える署名(32,808筆)を提出しました。
 北朝鮮による拉致問題に関する新潟県市町村長の会の皆様からも署名活動にご協力をいただき、多くの署名を提出することができました。

 署名提出

 

新潟医療福祉大学ダンス部の演舞

 新潟医療福祉大学ダンス部による、拉致問題をテーマとした創作ダンス「今、この祈りに終止符を」が披露されました。ダンス部の皆さんの気持ちがこもった演舞に、来場者の皆さんから大きな拍手が送られました。ダンスを鑑賞した横田めぐみさんの弟・拓也さんは、「若者たちがダンスという表現で想いを形にしてくださったことに、勇気づけられ嬉しかった」と感謝を伝えていました。

NUHW

 

講演、写真パネル展、署名活動

 当日は「拉致問題をどう動かすか」と題して、東京国際大学の伊豆見元特命教授の講演も行われました。また、会場ロビーにおいては、「救う会新潟」による署名活動や写真パネルの展示も行われました。
 拉致被害者を必ず取り戻すという皆さまの熱い思いが北朝鮮に届き、一刻も早く拉致被害者の皆さんが帰国する日を迎えることができるよう関係者一同願っています。

   伊豆見教授    署名活動

        伊豆見特命教授の講演                署名活動の様子 

 

   写真パネル

         写真パネルの展示

 

これまでに開催した県民集会の結果

 これまでに開催した県民集会の結果は、以下のリンク先からご覧ください。

 「忘れるな拉致 県民集会」を開催しました(令和4年11月12日)
 「忘れるな拉致 県民集会」を開催しました(令和3年11月14日)
 「忘れるな拉致 県民集会」を開催しました(令和2年11月15日)
 「忘れるな拉致 県民集会」を開催しました(令和元年11月16日)
 「忘れるな拉致 県民集会」を開催しました(平成30年11月17日)

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