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越後の雪深い暮らしを伝えるため、紆余曲折の四十年という歳月を費やし、
雪の本である『北越雪譜を世に出すことに生涯をかけた鈴木牧之の記念館を紹介します。
軒に見られる伝統工法「せがい造り」
この記念館は、モデル木造施設建設事業を導入して、平成元年に開館しました。越後杉を多用した克雪型大規模木造建築で、雪国特有の工法「せがい造り」をとり入れています。
せがい造りとは、重い屋根雪に耐えるために通常よりも梁(はり)を突き出し、これにより軒を支えると共に、深い軒先をつくることで強い風雨や陽射しをさえぎる効果も持つ、機能的伝統工法なのです。
杉の木の明るい色調に彩られ開放的な造りのフロアは、1階に雪国越後の民具や鈴木牧之の遺墨(いぼく)作品、文献・資料などが展示され、2階には国の重要無形文化財でありユネスコ無形文化遺産に登録された越後上布(えちごじょうふ)や雪崩(なだれ)博士・荘田幹夫(しょうだみきお)などに関しての展示が並び、これらを木造の2つの階段がつないでいます。
木造の立派な階段
様々な民具が展示されています
鈴木牧之像
鈴木牧之は1770年に越後塩沢の地、縮(ちぢみ)の仲買と質屋を営む鈴木屋の子として生を受けます。牧之は幼い頃より商売を学ぶかたわら、父・牧水の影響もあり俳諧や書画もたしなむ人物でした。
そんな彼に転機が訪れたのが19歳の時、縮の行商で訪れた江戸でのことでした。雪深い越後の国と異なり、暖かな気候のもとに暮らす江戸の人々。彼らに雪国のことを話すと、まるで異国の話であるかのように全く理解してもらえません。
そこで牧之は、雪深い地域での生活文化を広く多くの人々に知ってもらいたいと思い、長い歳月と文人らの協力を経て、苦労の末に『北越雪譜』を世に出したのでした。
展示の資料から交友関係がうかがえます
館内には、鈴木牧之が著名な文人らと交友を持っていたことを伝える、資料が数多く展示されています。
牧之は各地域の文人・俳人などと、書簡を交わし、『北越雪譜』の出版に至るまでの過程には、こうした文人らとの交流なくしては語ることができません。交友の中には「南総里見八犬伝」で知られる滝沢馬琴、「東海道中膝栗毛」で知られる十返舎一九、『北越雪譜』を出版に漕ぎつけた山東京山、その兄・山東京伝などの存在がありました。
館内には、牧之の手製で交友者の書簡や作品を大事にしていたことが分かる資料が展示され、牧之の多才ぶりや物事にかける信念、人柄といったものがうかがい知れます。
鈴木牧之が書き記した作品は『北越雪譜』の他にも数多くあり、中には東遊記行、西遊記、苗場山記行、秋山記行など牧之が自身の足で各地を見聞きして周った記行文もあります。
『秋山記行』道中すごろく
中でも『秋山記行』は、館内でも広い展示スペースをもって紹介していることからも分かるように、『北越雪譜』に並ぶ牧之の代表作であります。執筆のきっかけは、十返舎一九が牧之の家を訪れた際、会話の中で興味を示した秋山郷について、牧之に執筆を勧めたことにあったそうです。
館内には、この『秋山記行』における道中の出来事を模して作られた“すごろく”が展示され、作品の内容の一部を楽しく読み取れるようになっています。
今回は鈴木牧之と『北越雪譜』に焦点をあてて、記念館の紹介をさせていただきましたが、館内には他にも国の重要無形文化財でありユネスコ無形文化遺産である“越後上布”の製作工程や、伝統工芸品“塩沢つむぎ”の展示、雪崩の研究に尽力し雪崩博士と呼ばれた荘田幹夫を紹介する展示コーナー等、雪国越後の情報を多面的に発信する場となっています。
越後上布の製作工程が学べるコーナーと越後上布
雪崩博士“荘田幹夫”コーナー
期間限定のひな雪見かざり(毎年2月中旬~3月予定)
ここ鈴木牧之記念館は、この地を訪れる他県の方にはもちろんのこと、地元の人にとっても生活する地域の歴史文化を再認識するうえで良い施設といえます。
地図で南魚沼の美術館・博物館を表示<外部リンク>
鈴木牧之記念館 電話025-782-9860
補足事項
掲載内容については正確を期すよう努めていますが、掲載誤りや不十分な点がある場合があります。
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更新履歴
掲載日:2014年6月6日
最終更新日:2020年8月17日