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妙高砂防事務所の歴史

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0046860 更新日:2019年3月29日更新

事務所誕生の経過

 妙高市の西野谷集落は粟立山崩壊後、現在に至るまで砂防事業による対策が次々と講じられ、治山治水の恩恵により住民の生命、財産が護られてきました。

  • 大正8年(1919年)、万内川砂防工事調査始まる。
  • 大正10年(1921年)10月 砂防堰堤(えんてい)工 着工

 この工事は県の直営工事として行われ、担当職員は常時集落内の各戸に2,3人づつ分宿し、一般のお宅を仮事務所として10人位の職員が約5年間工事の監督、施工に当たりましたが、その後仮事務所の北側に事務所を移転しました。当時は、交通機関も不備であり、建設機械もほとんどないため、全て人力による施工であり、一号堰堤は着工から完成まで3年の歳月を費やしました。

西野谷集落の砂防事務所前にて野画像
西野谷集落の砂防事務所前にて

日影沢の測量状況(大正12年)の画像
日影沢の測量状況(大正12年)

 ちなみに、セメント、砂は直江津より馬車で運び、砂利は現地で玉石を手槌で砕いて使用するという、今では考えられない工事でありました。
「大正十三年新潟県第一号堰堤完成、この工費二万六千五百六十七円なり。以後、万内川本流に約二十基の堰堤、粟立沢、日影沢に谷止工、山腹工数十基入る。昭和八年の大洪水により万内川本流堰堤の大半を流失、破壊され、その後復旧。」と記録されています。

事務所沿革

年号
(西暦)
出来事
大正10年
(1921)
関川水系万内川に新潟県第一号空石積堰堤が施工される
昭和2年
(1927)
万内川砂防事務所設置
昭和15年
(1940)
関川砂防工事事務所を設置
中頸城郡全域を管轄(旧牧村を含む)
昭和16年
(1941)
高田土木派遣所新井砂防工場と改名し、新井駅前に移転
昭和18年
(1943)
新井砂防事務所となる
昭和26年
(1951)
新井市白山町へ移転
昭和27年
(1952)
補助地すべり対策事業はじまる
昭和40年
(1965)
上越地方集中豪雨 特殊緊急砂防事業実施
昭和42年
(1967)
補助急傾斜地崩壊対策事業はじまる
昭和56年
(1981)
事務所現在地(妙高市美守)に新築移転
平成4年
(1992)
地すべり資料館開館
平成7年
(1995)
梅雨前線豪雨により、関川、姫川に観測史上最大級の降雨と出水があり大きな被害(7.11水害)
平成15年
(2003)
万内川石積堰堤群日影沢石積床固工群が登録有形文化財となる
平成16年
(2004)
地域機関の再編により上越地域振興局新井砂防事務所となる
旧名立町が管内に編入
平成17年
(2005)
市町村合併により、新井市に妙高高原町、妙高村が編入し事務所所在地が妙高市となり、上越地域振興局妙高砂防事務所となる
上越市安塚区、大島区、浦川原区、牧区が管内に編入
平成19年
(2007)
新潟県中越沖地震が発生し、上越市柿崎区において大きな被害
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