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にいがた農業水利施設百選「江戸初期から十日町下組の美田を潤す 神明洞門」

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0060923 更新日:2019年3月29日更新

神明洞門(しんめいどうもん)

このゲートから神明洞門が始まります(平成25年7月26日撮影)の画像
このゲートから神明洞門が始まります(平成25年7月26日撮影)

 洞門(どうもん)は、日ごろ使わない言葉ですが、ほらあな、ほらあなの入口という意味があります。

 ここで紹介する神明洞門は、神明用水路の入口にある水路トンネルで、この地域では、マブと呼ばれます。

 この施設は、神明水辺公園内(十日町市大字下組)を流れる貝野川から農業用水を取り入れており、江戸時代初期に造られました。長さ120メートルのトンネルから下流は、開水路になっており、十日町市下組地域約60ヘクタールの水田を潤しています。

 左の写真は、洞門取水部のゲートです。ゲートを上げると、貝野川から農業用水が流れ込みます。取材時は、前日に雨が降ったため、ゲートを数センチ開けてある状態でした。

神明水辺公園と神明宮の全景(平成25年7月26日撮影)の画像
神明水辺公園と神明宮の全景(平成25年7月26日撮影)

 右の写真の杉の木に囲まれているのが神明宮です。
 ここは、およそ300年前、新田開発の完成と安全を願って造営されたものです。
この神明宮内に、洞門掘削の由来が書かれていますので、紹介します。

 -寛文12年(1672年)越後高田藩支配下にあり、時の代官塚田源衛門のお見立てにより、下組一円の新田開発が行われました。
 新田開発に必要な灌漑用水は貝野川から取り入れるが、当時の川は現在の神明宮の裏側辺りを流れていた。
 この川を北に迂回させるため、大堰堤を築き川を堰き止め水位を保ち、開田に引き入れる。
 掘り割りできない高い所はマブ(随道)を掘るなど大工事で、夥しい人足、資金、食料を要した。数回の大洪水で堰堤が流される、落盤事故で多くの死傷者が出るといった難工事であった。(山田熊治氏 記 抜粋)

神明洞門の出口の様子(平成25年7月26日撮影)の画像
神明洞門の出口の様子(平成25年7月26日撮影)

 神明洞門を案内してくださったのは、十日町土地改良区の富澤さんです。

「十日町土地改良区管内には、大きなダムやため池がなく、大部分が川から用水を取り入れ、山腹水路やマブと言われる随道で田んぼまで水を引いています。マブだけで30箇所以上あると思います。水路ごとに、水利組合や管理組合があり、春先の点検(春普請)に始まり、夏場の草刈、落水後の補修(秋普請)など、受益者が協力して大切な水路を守っています」

洞門内の下流部(平成25年7月26日撮影)の画像
洞門内の下流部(平成25年7月26日撮影)

 下流側から神明洞門に入ってみました。

 入口付近約15メートルはコンクリートで覆われています。

洞門内は、掘削当時のまま(平成25年7月26日撮影)の画像
洞門内は、掘削当時のまま(平成25年7月26日撮影)

 その奥は、まさに掘削当時のままの状態です。
 高さ1.5メートル、幅1メートルの随道内は、ひんやりして、水滴がぽたぽたと落ちてきます。慣れないと、ちょっと怖い感じがします。
 さらに奥には、コウモリもいるという話です。

水番の苦労を語る滝沢さん(平成25年7月26日撮影)の画像
水番の苦労を語る滝沢さん(平成25年7月26日撮影)

 下組水利組合で水番をされている滝沢さんにお話をお聞きしました。

「この用水は、農業用だけなく、防火、消雪、野菜洗いなど、地域用水として一年を通して利用されています。水番は、雨が降ると、深夜でも取入れ口のゲートを閉めに行かなければなりません。洪水時にゲートを開いたままにしておくと、随道内に泥やゴミが入ります。泥を出すには、随道に一輪車を入れますが、狭い上に地面が凸凹していて大変な作業になります。農業者だけなく、地域の人たちに大事にされてきた随道ですが、老朽化や地震や洪水での被害で、素掘りのままでの維持管理が難しくなってきています」

 十日町地域には、洞門や随道、マブといった水路トンネルが多数あります。先人たちの苦労の末、完成した水路は、その後も綿々と維持管理が継続され、農業生産や地域の生活を支えています。

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