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【新発田】地域整備部管内のダム
新発田地域整備部では、内の倉ダム、加治川治水ダム、胎内川ダム、奥胎内ダムの四ダムと風倉発電所、焼峰発電所の維持運営を行っております。
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新発田地域整備部ダム管理課
ダム管理課のある統轄管理事務所は、加治川治水ダムと同時に建設され、昭和48年に完成しました。場所は新発田地域振興局敷地内にあり、各ダムを遠隔監視設備により随時監視しています。
統轄管理事務所は、四ダムの運営を一括して行い、ダム管理の合理化を図るため全国でも数少ない統合管理体制を執っています。
内の倉ダム
内の倉ダムのあらまし
- 内の倉ダムは、越後平野北部を日本海に注ぐ、加治川沿岸に広がる穀倉地帯の農業用水、新発田市の上水道補給を目的として、昭和39年12月に計画されましたが、昭和41年7月と昭和42年8月に加治川の大水害があり、加治川流域治水計画を大幅に変更することになり、洪水調節を含めた多目的ダムとして計画されました。
- 農業用水では、新発田市を中心として7899.7平方キロメートルの用水補給を行います。かんがい期においては最大放流量毎秒16.2立方メートル、所要貯水容量は、1690万立方メートルです。
- 上水道では、旧新発田市8万5千人の給水人口に対し、ダムから一人あたり3万立方メートルを補給し、所要ダム貯水容量は、110万立方メートルになります。
- 洪水調節では、加治川治水事業の一環として、ダム地点の計画高水流量毎秒710立方メートルのうち、毎秒460立方メートルの洪水調節を行い、下流の高水流量を低減させます。ダムの洪水調節容量は、420万立方メートルです。
内の倉ダムは、新発田市を中心とした加治川沿岸耕地の農業用水、上水道の安定供給と洪水調節を行う多目的ダムです。七滝トンネルを抜けると広がる内の倉湖は、訪れる人々に安らぎを与えてくれます。
加治川治水ダム
加治川治水ダムのあらまし
- 加治川改修の歴史は古く、旧新発田藩時代に真野原新田地内から藤塚浜までの間を開削し、堀切川に合流して日本海へ放流する加治川分水計画が立案されましたが、工事の実施までには至りませんでした。
- 新発田市真野原新田から阿賀野川に至る16.8キロメートルの区間は川幅が狭く流路は固定せず蛇行していたため出水毎に氾濫し多大な被害を与えていました。明治40年よりこれらの水害から流域一帯の平野を守るため、真野原新田から次第浜までの約5キロメートルの間に新水路を開削して本線流量全部を新川に流下させ日本海に放流する加治川分水工事が行われ、大正6年に完成しました。
- その後、計画洪水流量が検討され、基本高水流量を毎秒2000立方メートルと設定して昭和27年より中小河川改修として、加治川本線、姫田川、坂井川を継続施工していましたが、昭和41年に県北部をおそった集中豪雨による出水は、この計画をさらに上回り姫田川合流地点において毎秒2300立方メートルと推定されました。この水害により新発田市西名柄、旧加治川村向中条で破堤したため、新潟市を含む二市六市町村(当時)が冠水し、その被害は甚大なものとなりました。
- これにより再び改修基本計画の検討が行われ、基本高水流量を毎秒3000立方メートルとし、そのうち毎秒2400立方を河道配分、残りの毎秒600立方メートルは、内の倉川、加治川にダムを建設して洪水調節を行う計画が決定しました。
- しかし、翌年の昭和42年8月に計画をさらに上回る出水となり計画は再検討され、基本高水流量は毎秒4000立方メートルに改訂されました。その結果、加治川治水ダムでは計画高水流量毎秒1600立方メートルに対し毎秒350立方メートルの放流を行うことで毎秒1250立方メートルの洪水調節を行うことに変更されました。
- 水害後、昭和42年8月に横田鉱山赤谷鉱業所が閉所することとなり、現在地点での建設計画が決定しました。
- 調査は昭和42年度から始まり、昭和44年度には完了して道路工事を開始、昭和49年に完成となりました。加治川治水ダムは洪水調節のみを目的とし、沿岸住民の生活基盤の向上、民生安定、産業の発展に繋げようとするものです。
加治川治水ダムは洪水調節を目的として、昭和49年度に完成しました。そのため、洪水時に機能を発揮するものであり、それ以外の通常期はダムを「からっぽ」の状態にしておきます。また、からっぽのダム湖を利用して全国でも珍しいダム湖内に公園があります。
胎内川ダム
胎内川ダムのあらまし
- 胎内川は中小河川改修事業として、昭和24年度より黒川橋から河口までの河道改修、築堤、護岸工を施し、その計画では毎秒700立方メートル、改修方式では可能な限り在来堤を利用しました。
- 昭和41年7月17日の集中豪雨では隣接する加治川流域とともに大出水となり各所で溢水破堤したため被害は甚大なものとなりました。これにより基本高水流量を毎秒1300立方メートルとして、下流改修流量はそのまま毎秒700立方メートルとして河道配分し、その差毎秒600立方メートルを上流に治水ダムを築造し洪水調節を行うことが計画されました。
- ところが、翌年の昭和42年8月28日には前年を遙かに上回る集中豪雨に見舞われ本川、支川は勿論のこと沿岸住民にも再び大きな被害をもたらすこととなりました。計画高水流量を再検討した結果、毎秒2100立方メートルに改定し、河道流量を毎秒1500立方メートルとして、胎内川上流にはダム建設を計画し、調査を開始しました。
- ダム建設調査は昭和42年度から始まり昭和44年度には完了し、仮設備などに伴う道路工事を昭和44年度より開始、ダム本体工事は昭和46年度から始まりました。それから5年後の昭和51年12月に胎内川ダムは完成しました。
- 平成31年4月上流に位置する奥胎内ダムの供用が開始されたことに伴い、奥胎内ダムの利水容量(不特定容量及び水道水)130万立方メートルを胎内川に振り替え、胎内川ダムの洪水調節容量130万立方メートルを奥胎内ダムに付加する貯水池容量へと運用を変更しました。
- 胎内川は古くから地域住民の生活基盤を支えてきた極めて重要な資源であり、農業用水、上水道用水、工業用水などに利用されてきました。その主体となる農業用水のかんがい面積は当時約1700ヘクタールであり、夏季の渇水流量は極小であったため例年水不足に悩まされていたといわれます。胎内川ダムは洪水調節の他に不特定用水としてかんがい用水の補給と本来の胎内川流水の正常な機能維持を目的とし、沿岸住民の生活基盤の向上、民生安定、産業の発展を計ろうとするものです。
災害を再び繰り返すまい、との固い決意のもとに8年有余の歳月を費やして昭和52年に完成した多目的ダムです。胎内川ダム周辺にはブナの原生林やゴヨウ松が生い茂る磐梯朝日国立公園の山々に囲まれた豊かな自然環境を誇っています。
奥胎内ダム
胎内川流域は昭和41年、42年(羽越水害)と2年連続した集中豪雨に見舞われ、出水によって流域に大きな被害が発生しました。それを契機に昭和52年に胎内川ダムが完成し、その後の平成30年にその上流に奥胎内ダムが完成しました。なお、ダム周辺はブナの原生林やゴヨウ松が生い茂る磐梯朝日国立公園の山々に囲まれた豊かな自然環境を誇っています。
ダムへの交通案内
- 内の倉ダムへの交通案内
JR新発田駅下車、車で約30分
所在地:新潟県新発田市小戸地内 - 加治川治水ダムへの交通案内
JR新発田駅下車、車で約45分
所在地:新潟県新発田市滝谷地内 - 胎内川ダムへの交通案内
JR羽越線中条駅下車、車で約45分
新発田地域振興局より車で約60分
所在地:新潟県胎内市下荒沢地内 - 奥胎内ダムへの交通案内(奥胎内ヒュッテまで)
JR羽越線中条駅下車、車で約50分
新発田地域振興局より車で約65分
(奥胎内ヒュッテから奥胎内ダムまで徒歩40分)
所在地:新潟県胎内市下荒沢地内
ただし、四ダムとも冬期間の12月から5月頃までは、道路閉鎖により通行止めとなります。最新の道路情報は下記リンクを参照してください。
このページに関するお問い合わせは
新発田地域振興局地域整備部ダム管理課管理係
〒 957-8511 新発田市豊町3丁目3番2号
電話: 0254-26-1326(直通)
ファクシミリ: 0254-24-0403