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長岡地域の小千谷土地改良区を紹介します。

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0053554 更新日:2019年3月29日更新

小千谷土地改良区管内の画像
小粟田原から望むそば畑の様子

小千谷土地改良区の概要

小千谷土地改良区域の画像
小千谷土地改良区の区域図

小千谷土地改良区の前身、千城土地改良区の設立

 小千谷土地改良区の前身である千城土地改良区の歴史は、揚水事業から始まりました。昭和21年、小千谷市の旭橋下流左岸を取水口とする国営信濃川左岸農業水利事業が着手され、その3年後の昭和24年に取水口が完成しました。
 千城地区では、この国営事業に附帯する安定した用水取水を望み、昭和25年12月、千城土地改良区を設立しました。当時の基幹揚水機である千谷川・島田揚水機が着手されるほか、茶郷川水系に従来からあった複数の揚水機を1カ所に統合するなど、これらに附帯する揚水幹線水路の新設・改修などが進められました。
 土地改良区はその後、鴻野谷、高梨、平沢新田、千谷、三高、上浦の各地区で開田、区画整理、暗渠排水工事などを盛んに行い、昭和33年までに約420ヘクタールの農地改良を実施しました。

 この成功を見た小粟田周辺の地域の人々は、「広大な小粟田原の開田」が決して夢でないことを感じ取り、開拓への気運が次第に高まってきました。

千谷川・島田揚水機場の画像
当時の千谷川・島田揚水機場の様子

当時の千城幹線用水路の画像
当時建設された千城幹線用水路の様子

小粟田原の開拓の歴史(総合開発パイロット事業)

 昭和29年1月、当時の千田村長・城川村長・片貝町長・来迎寺村長、石津村長は小粟田原開拓かんがい用水路の建設を推進してもらうため、国に請願書を提出しました。
 この開発計画に対して大部分の農民は賛成しましたが、地主の中にはこの計画について深刻な反感を抱くものもありました。
 その理由は、土地改良事業成功後の耕地の集団化の問題、新規入植者募集の問題、開田に要する莫大な費用の分担金問題などでした。
 この事業実施の賛否は10年近く紛争しましたが、反対者の説得に全力が注がれ、最後まで反対する者の土地は棚上げしても実施するという方針が出され、ようやく昭和37年「県営小粟田原地区総合開発パイロット事業」として実施設計に着手しました。
 その目的とするところは、「豪雪地帯の特殊性を考慮し、農業所得の増進を図るため、生産性の低い畑と未墾地を開田あるいは一部開畑して、土地と水の有効的な開発を図るとともに、あわせて分散農地集団化と区画整理による機械化を促進して、近代的な自主農家経営基盤を造成しようとするもの」でした。

開拓パイロット計画の画像
開拓パイロット計画図

 小粟田地域内に水源を求めることが出来ませんでしたので、小千谷市三仏生地点の信濃川本流に水源を求めました。
 昭和38年、信濃川から取水する第1揚水機場(φ700mm、φ600mm各1台)、地区外水路、さらには40m上に位置する段丘耕地へ圧送するための第2揚水機場(φ700mm、φ500mm各1台、送水管φ1000L=300m)、幹線・支線・小用水路、開拓する耕地378ヘクタール(開拓109ヘクタール、ほ場269ヘクタール)を計画し、昭和44年に全工事が完了しました。
事業計画概要
 主要揚水機場2カ所、用水路L=7,314m、排水路L=6,212m、附帯揚水機等 1式
 受益面積 約420ヘクタール(開畑43ヘクタール含む)、受益戸数 1,023戸
 総事業費 896,579千円

小粟田原第1揚水機場の画像
昭和40年頃に造られた小粟田原第1揚水機場

小粟田原第2揚水機場(現在は改廃)の画像
昭和40年頃に造られた小粟田原第2揚水機場(現在は改廃)

小千谷土地改良区の設立に向けて

 昭和43年9月、小粟田原地区が事業完了間近であったことや改良区の経営基盤強化・維持管理費の軽減を進める必要があったことから、「千城土地改良区」と「小粟田原土地改良区」が合併し、「小千谷土地改良区」として再編されました。
 土地改良区の地区面積は現在、933ヘクタール、組合員1,145人で、揚水機場12カ所、ため池1カ所、用排水路116.3kmを管理しています。
 なお、管理しているこれらポンプ施設の電気料は、年20,000千円以上にも及んでいますが、この農業水利費も組合員である農家の人たちが支払っております。

土地改良区は、

  • 農業生産を行う上で欠かせない用排水施設の整備・管理や農地の整備を目的として設立された農家の組織です。
  • 国土の保全や美しい農村景観など多面的機能を持つ大切な資源である農地や農業用水を次世代に引き継ぐ役割を担っている組織です。

小粟田原地区における現在の取組

 平成16年度より県営かんがい排水事業で小粟田原地区を再整備、更新しています。
 信濃川から取水する第1揚水機場は、稼働してから40年以上が経過し、上屋には多数の亀裂が発生し、ポンプや電気施設も老朽化により故障し、近年、補修・部品交換などが頻繁に発生していました。また地区内の用水路も目地から漏水するなど水管理とその水配分に苦慮していました。
 揚水機場の更新と用水のパイプライン化を進め、安定した農業の生産性確保、維持管理費の節減を目ざし、現在工事を実施しています。

主要工事概要
揚水機場1ヶ所、幹線用水路工L=2,300m(FRPM管φ1100mm)ファームポンド1ヶ所
用水パイプライン
遠方監視制御施設 1式

新たに更新された小粟田原揚水機場の画像
平成21年、更新された小粟田原揚水機場

昭和30年代から現在までの千城地区、鴻野谷地区の動き

昭和50年代前半まで

 土地改良区では、昭和30年代前半までに約420ヘクタールの開田・区画整理が実施し、その後団体営事業や単独事業により、小規模なほ場整備や暗渠排水、用排水改良などの農業基盤の強化を進めました。

昭和55年~平成3年 県営かんがい排水事業 千城地区 361ヘクタール

 国営信濃川左岸幹線用水路からの用水を主とする千城地区において、昭和20年代に設置された千城揚水機ほか7カ所は、設置から昭和50年代まで土地改良区により整備・補修がなされてきましたが、老朽化が激しく維持管理に非常に困っていました。
 昭和54年、国営信濃川左岸二期地区が着工され、この附帯事業として千城地域にある8つの揚水機を統廃合する県営かんがい排水事業千城地区が実施されました。事業では、維持管理費の節減と農業経営の近代化を目的に千城第1揚水機場(φ600mm×2台)、第2揚水機場(φ400mm×2台)を新設したほか幹線用水路(φ1000~φ500)L=7,680mや水管理の合理化を目的とした水管理システムも設置されました。

千城地区の事業計画の画像
県営かんがい排水事業千城地区の計画図

県営で造られた千城第1揚水機場の画像
小千谷土地改良区脇にある千城第1揚水機場

県営で造られた千城第2揚水機場
一段高い所に設置されている千城第2揚水機場

昭和54年~昭和61年 県営ほ場整備事業 鴻野谷地区 受益面積 207ヘクタール

 鴻野谷地区は、関越道:山谷パーキングより少し北側にある鴻巣町・坪野・山谷集落周辺の耕地で、農業経営の近代化と土地の生産性向上、農業所得の向上を目指して、ほ場整備と用排水路の分離、農道の整備などを実施しました。
 事業内容として、揚水機場4カ所、区画整理(標準区画20~30アール)167ヘクタール、暗渠排水40ヘクタール、パイプライン、排水路、農道等が整備されました。

鴻野谷地域の画像
県営事業で昭和50年代に整備された鴻野谷地域の耕地の様子

近年、県営ほ場整備事業により整備された小千谷北部(千城)地域

平成8年~平成18年 県営ほ場整備事業 小千谷北部地区(千城地域) 受益面積 170ヘクタール

 千城地域は昭和26年から昭和31年に10アール区画に整理された地域で、農道も狭く大型機械が進入できなく、また農業者の高齢化が進むなかで、農地が狭く担い手への農地集積を進められなかったことから、この地域農業を発展させるために事業が実施されました。
 事業内容としては、揚水ポンプ施設1カ所、区画整理(標準区画50~100アール)170ヘクタール、暗渠排水、パイプライン、排水路、農道等が整備されました。

ほ場整備された千城地域の画像
ほ場整備された千城地域の様子(小千谷北部)

洪水調整機能を備えた太田ダム

昭和62年~平成11年 防災ダム事業 太田ダム

 太田ため池は、信濃川水系太田川の上流にあり、かんがい用ため池として、64ヘクタールの農地に用水を供給しています。しかし、河川断面の狭小で洪水時には河川の氾濫により下流の農地等に被害を及ぼす危険があったことから、このため池に洪水調整機能を加え、洪水による被害防止と農業経営の安定を目ざし、防災ダム事業に取り組みました。

  • 総貯水量174,000立法メートル、有効貯水量164,000立法メートル、洪水調節容量49,000立法メートル、利用容量 115,000立法メートル
  • 堤高 26.5m、堤頂長 115m、堤頂幅 8m、形式 中央遮水ゾーン型

太田ダムの画像
堤体から見た太田ダムの様子

洪水調整機能を有する太田ダムの堤体付近の画像
洪水調整機能を有する太田ダムの様子

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