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2 西照坊

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0053288 更新日:2019年3月29日更新

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概要・良寛とのゆかり

 出雲崎町中山にある小堂。西照坊は、中山の南波家から出た妙喜尼の為に、安永の初めころ(1772~)に建てたもので、尼さんは寛政元年(1789)に示寂している。
 良寛は帰郷後や、生家が争いの中にあった時など、幾度かここに仮住まいをした。ここで歌を詠み、子供と遊んだ。良寛の歌碑がある。
 文化4年(1807)の5月に良寛と幼いころからの友人であった三輪佐一が亡くなり、冬になって遺品が良寛に贈られた。
その礼を中山で書いて与板の三輪家に宛てた書簡が伝わっている。
 また、江戸の儒者、亀田鵬齋が文化6年(1809)に出雲崎で良寛と出会ったようだと言われていて、その地がこの中山であろうとされている。
 さらに、中山より三輪左一の姪の維馨尼(いきょうに)に宛てた書簡もある。

逸話

 ある時西照坊で火事が起きた。村人らが急いで駆け付けたところ、すっかり焼けてしまっていた。「良寛は?」とみると少し離れた芝生の上にぼんやり立っている。
どうして火事が出たかと尋ねれば、縁の下から筍が顔を出したため縁板をはねてやって伸ばしてやった。
子供らにも大事にしておくように頼んでおいたが、ぐんぐん伸びて今度は屋根につかえた。
そこで屋根にも穴をあけてやろうとしたら火事になってしまった。「何で穴をあけようとしたのか」と問えば、「蝋燭の火でさ」と良寛は言った。
村人はあまりのことに言葉が出ない。叱ることもできなかった。その騒動の後、おそらく国上山へ行かれたのではないか。
 この逸話は五合庵でのものと言い伝えられていたが、近年では実は西照坊でのものとも言われている。

全景写真

西照坊の全景写真

逸話

逸話の画像

 村の子供らの親たちが、声をからして呼んでもわが子が帰ってこない。探しに出てみると、
一人の老僧を仲間にして夢中になって遊んでいた。
ある時は手まりをついて、ある時はおはじきをして、ある時は鬼ごっこをしていた。
垢じみて色の褪せたぼろぼろの衣に破れた笠を頂いて、鉢の子を手にふらりと出かけて夕方には戻ってくる。
今日は出た姿を見ないと思えば、子供らと遊んでいる。
 老僧が留守であれば、待ちわびて、帰ってくれば衣にすがり遊ぼうとせまる。子供らの遊び場は西照坊と定まった。

詩歌碑・像

良寛歌碑(春の野に):昭和55年、良寛景慕会建碑

良寛歌碑の写真

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