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【長岡】越後長岡百景の「55 徳昌寺(与板)」を紹介します

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0053285 更新日:2019年3月29日更新

 「越後長岡百景」とは、長岡圏域にある様々な「風景」と、そこに秘められた「人々の想い」を集めたものです。
 その百景のひとつに選ばれた「55 徳昌寺(与板)」について紹介します。

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「想い」のタイトル

 良寛さんの親友と恋人が眠る徳昌寺

公募でよせられた想い・情景(越後長岡百景)

公募でよせられた想い・情景(越後長岡百景)の画像

 徳昌寺の住職と良寛さんは法友で、先に亡くなったら導師を務めるという約束のとおり、徳昌寺の住職が良寛さんの導師を務めました。この寺には大坂屋の子息三輪左市や良寛さんが心を寄せていた維馨尼の墓があり、また良寛さんが木村家に寄付させた、日本に二巻しかない明版大蔵経本を所有しています。境内には良寛さんが晩年の友人山田杜皐に宛てた三条地震の見舞の手紙が碑になっており、良寛という人の大きさが碑文から感じられるなど、良寛さんに触れ合えた思いがしました。
(与板町在住 50代 男性)
※ 内容は平成16年の応募当時のものです。

百景の想いや場所にまつわる短歌(越後長岡百歌)

 三条の地震の悲しみを慰めむ良・の歌碑を徳昌寺に読む
 ※ 内容は平成17年の応募当時のものです。

関連情報

関連情報の画像

徳昌寺と良寛
 文政11年(1828年)11月12日、良寛71歳のとき、三条地震があり、与板も大きな被害を受けました。翌年春、徳昌寺で地震の犠牲者を供養するための大法要が行われました。このとき良寛は、その盛大さと、費用が全て与板藩主・井伊直経の寄進によるものであることを聞き、非常に感激して詩歌を作っています。この詩歌は、良寛と親交があった徳昌寺の住職・大機和尚の百年忌(昭和27年7月)にあたり、本堂前に碑として建てられました。この大機和尚は、良寛の葬儀で16カ寺の住職が読経した際の導師をつとめた人です。寺には良寛の過去帳も残されています。

パンフレット「良寛たずね道 八十八ヶ所巡り」(長岡地域振興局のホームページへリンクします)

関係機関リンク先

越後長岡百景位置図

徳昌寺(与板)周辺地図(地図内の赤字番号は、百景の番号)の画像
徳昌寺(与板)周辺地図(地図内の赤字番号は、百景の番号)

越後長岡百景位置図(全体地図)[PDFファイル/724KB]


大切な思い出の場所、ありますか?-目をつぶれば、心に浮かぶワンシーン「越後長岡百景」

 越後長岡百景は、地域の人々に、その地域の自然や文化、歴史、伝統といったものを題材に、景色・シーンを応募頂き、これにあわせて、「そのシーンに対するタイトルとそこに含まれる想いや情景」、「シーンにまつわる短歌」もお寄せ頂き、それを発信していくことで、地元地域への誇りや愛着心を持って頂くことを目的に、平成15年度から平成17年度に実施した事業です。
 このページ中の「「想い」のタイトル」欄、「公募でよせられた想い・情景(越後長岡百景)」欄、「百景の想いや場所にまつわる短歌(越後長岡百歌)」欄は、応募下さった方の「この景色・シーンに込められた想い」を、応募頂いた当時の内容そのままでご紹介しています。
 少しずつ変わっていくふるさとのまちなみ。時の流れとともに、見ることのできなくなる百景のシーンもあるかもしれませんが、この場所やこのワンシーンに込められた人々の想いに、心を寄せてみてください。

 

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