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むらかみ・いわふね珍風景(珍風景番号18)

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0052657 更新日:2021年1月22日更新

三面川のサケ保護増殖に貢献した村上藩士の像(珍風景番号18)

三面川のサケ保護増殖に貢献した村上藩士の像(珍風景番号18)の画像

 珍風景番号11「鮭のまち村上ならではの行事。鮭の魂を供養します。」から鮭のまち村上にちなんだ鮭にまつわる珍風景を紹介してきました。紹介できなかった鮭の珍風景はまだまだたくさんありますが、それはまた次の機会に紹介することとしましょう。

 鮭特集最後の珍風景は、世界で初めて鮭の母川回帰性を発見し、村上を鮭のまちとして栄えさせた江戸時代の侍「青砥武平治(あおとぶへいじ)」の像です。

 江戸時代、村上の三面川では、サケの漁獲が年々減少し不漁のため入札が中止された年もあり、村上藩は大変困窮していました。そこで武平治は、サケが産卵するのに適した分流を設け、そこでサケを産卵させて育て、春に稚魚を本流へ返す方法を考えました。村上藩では、その考えを取り入れ、31年にもわたる川の整備を行い、サケの自然保護増殖のための「種川(たねがわ)」を完成させました。その結果、サケが年ごとに多く捕れるようになり、村上藩の財政も潤ったと記録されています。武平治の考えをもとに村上藩が制定した「種川の制」は、当時の世界水産史上に見られない、資源保護思想に基づく画期的な保護増殖システムでした。(鮭公園にある解説板より引用)

 村上市にあるイヨボヤ会館裏の鮭公園(サーモンパーク)内には、青砥武平治の功績をたたえ、写真のとおり武平治の像が設置されています。

 今もなお、自然の恵みとして村上でおいしい鮭がいただけるのは、青砥武平治をはじめとした江戸時代の村上人の活躍によるものだったのですね。

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