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令和6年7月、多くの方が待ち望んでいた「佐渡島の金山」の世界文化遺産登録が実現しました。
そこで、これまで登録に向け尽力してくださった方々や、佐渡の地域づくり、地域活性化に取り組んできた方々などにインタビューし、世界遺産登録についての喜びの声やこれまでの苦労、将来世代に向けた期待や助言などをお聞かせいただき、その大切な思いを佐渡地域振興局から発信していきます。
【さどやニッポン株式会社 代表取締役 相田 忠明 (あいだ ただあき)氏】 |
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A:世界が「佐渡島の金山」の価値を認めてくれたことは、誰もが叶えられることではないので誇らしく、また嬉しく思います。佐渡は世界農業遺産や日本ジオパークとしても認められているわけですが、第三者から評価をいただき、選定されるということは大変貴重です。今回「佐渡島の金山」の価値が世界遺産として世界に届き、そして未来に残していこうと世界が認めて、選んでくれたことは光栄です。それが自分の生まれた場所である佐渡にあるわけなので、より一層喜びは大きいです。
A:日本の文化・食・歴史を海外の方に直接知っていただけるのは貴重な機会です。
パリに仕事で訪れた際も、おしゃれなカップルがパリの街中で「本気で農業をしたいから教えてほしい」と聞いてくるなど、ヨーロッパは農業・環境・歴史・食に対する意識が高いと感じました。また美食の街でありますが、日本の食の良さを取り入れていたり、和紙を店舗デザインに取り入れていたりしていましたし、そうしたことは日本の食やデザインを世界が認めている証拠だと考えられます。
日本の縮図と言われる佐渡についても同様に、海外から見て価値があるものだと思っていただけていると感じますね。
A:ひとつの島の中で、広大な平野や金銀山等の歴史、文化・芸能等のバランスの良さを持っているところは世界中探してもなかなかありません。ストーリー性があり、すべてがつながっていて位置関係や成り立ちのすべてが奇跡だと言ってもいいと思います。
本土から離れていることもあって、公害にも戦争にも一度も汚されることがなかったため、水や土もとても綺麗な状態のまま残っています。
何千年もの水源の歴史の上に我々が立っており、絶妙なタイミングで金山が繁栄し、金山があったおかげで農民が豊かになり、豊かになったことで鬼太鼓等の文化・芸能が発達しました。その順番でなかったら、成り立たなかったはずです。もし戦国時代に金山が見つかっていたら、佐渡は金の奪い合いから戦場になっていたかもしれません。江戸時代の平穏な時代に金山が作られたからこそ、上手く回ったのだと思います。すべてのタイミングがよかったんですね。また、佐渡の鬼太鼓は、飢饉や戦争、雨ごい等マイナスから生まれたものではなく、五穀豊穣への願いや、単純に楽しむというプラスの意味が強いことも魅力だと思います。
全部をストーリーとして伝えていける佐渡は、わかりやすく、つじつまが全て合うところが魅力であると考えます。ストーリー性が高いということは、世界中の方々の心に必ず響きます。日本もストーリー性を保持していますが、佐渡は特にそれがわかりやすいと思います。
佐渡の鬼太鼓も魅力の一つです。鬼太鼓と神社の関係もおもしろく、神社があって、そこに鬼太鼓があるんです。今は神社が神聖化されていますが、そもそも神社というのは遊び場であり、基本的に鬼太鼓も神社で練習してきました。祭りの日だけでなく、アミューズメントパークのような立ち位置でそこに行ったら楽しいことがある、誰かがいるというように常に人がいるのが本来の神社のあり方だと思います。
佐渡では現在126箇所で鬼太鼓が行われているため、少なくとも126は神社があります。
歌舞伎や能は芸能として生まれましたが、“地域芸能”はそこまでできないけれども自分たちで楽しもうということから始まりました。鬼太鼓も伝統芸能ではありますが、人々の生活の中から生まれた遊びの一つでもあります。例えば鬼の面の髪の毛についても、わかめや麻ひも、馬の毛等の地域の中で調達できる物品を用いたり、衣装も浴衣をつなぎ合わせて作成したりするなど、地域の材料を使用しています。
伝統を守っていくことも大切ですが、地域の生活に根付いた遊びを楽しみながら行うことも大切です。
A:人口減少や後継者不足とは言われていますが、バブル期のように人が多いのが必ずしも良くて、減少した今が良くないわけではないと思います。
私の所属している新穂中央青年会に限定してお話しますと、実はバブル期には一番人が少なく、お祭りが行えないほどだったと聞きました。逆に今は歴史上一番会員が多く、お祭りだと青年会だけで30人以上集まります。私も年齢的にはもうやめても良い時期ですが、やめたくないので残っていますし、他にも太鼓や踊りについて探求心があり続ける世代が残っていますね。下の世代も当然のように加わってきます。
一番世間が儲かっていた時代に一番会員が少なく、商店街がシャッター街になっている今が一番多いんですね。この理由は、一軒一軒の「門付け(かどづけ)*」をしっかり行い、かつ参加して楽しい祭りを続けてきたからだと考えています。
*門付け(かどづけ)…地区の家一軒一軒を回り、玄関先で鬼太鼓を披露すること。縁起物とされ、門付けを受けた家の人はご祝儀を振る舞う。
お祭りや地域芸能は地域を元気にすることができると思っています。ただ単純に体験するだけではなく、実際にそれがどこからきて、どう作られているのかを意識できるとより理解も楽しみ方も深まります。バチひとつ作るにしても、木を切って乾燥させてとしているとものすごく時間がかかりますが、機械で行うとすぐに割れてしまうため、自然の力を利用して作成することが良い物をつくる秘訣です。
また、鬼の面を作ることで、神社の鳥居や柱を作る際の技術に役立てることができるため、祭りの道具作りの技術を磨き続けることで宮大工の仕事につなげることも可能になってきます。
地域芸能の道具を作成する上で大事にしていることは、その地域の芸能を確認してから作業に取り掛かることです。ある地域から頼まれてわらじを作る時も、単純にわらじを作って送るだけではなく、実際にその地域のわらじを送ってもらうことで地域のわらじを知ったり、実際のまつりの映像を見たりする、そのやりとりが大事だと考えています。また、地域の芸能を支えて守っていきたいと思っていますが、そのためにはボランティアではなく、ビジネスとして成り立たせることも大事です。今後もそうやって支え、守り、継続していきたいです。
そして、真の佐渡ファンを増やすためには、まずは我々自身が真の佐渡を理解することが重要です。その点、今の子どもたちは地元学習をしっかり行っています。学習発表会で小学校1年生から地域についてしっかり学び、それもただパワーポイントで発表するだけでなく、劇風にしたり、私の子どもは「朝まで生テレビ」を模してまだどうなるか決まっていない世界遺産登録について話し合ったりしていました。
最近は小学生でも、佐渡の真の部分を理解しています。こうした地元学習は我々の時は行ってこなかったことなので、地元を学習した今の世代が今後社会に出てくるのが楽しみです。
そもそもこの会社(さどやニッポン)を作った理由は、歯車として次の世代にバトンをつなげていくためでした。今までは自分の地域だけで完結してしまっていたものが、SNSや交通の発達から他の地域と気軽に交流できるようになったことから、佐渡だけに限らず日本中、世界中の方々とつながりたいと思っています。
A:夏は何もしなくても観光客は大勢訪れます。ただ、本当の佐渡を知るためには、落ち着いて佐渡を満喫することができる10~3月がベストシーズンです。
冬は船が欠航することを前提に来てもらうこともあるため、欠航した場合の対応を新潟本土と連携して企画しておくことが大切になってきます。
実際に鬼太鼓を体験するだけのために佐渡に来る予定だったロシア人の夫婦が、欠航で来られなくなった際に、急遽、新潟市の友人知人に連絡して新潟市内の古民家施設で鬼太鼓や市内伝統芸能を観てもらう流れに変更して、大満足で帰っていただけたこともありました。
佐渡で最高の体験を用意することはもちろんですが、万が一来られなくても満足してもらえるサポートを準備しておくこと、また佐渡だけでなく、他の地域と連携し合いながら冬場の佐渡の観光を企画していきたいと考えています。
A:国仲平野の大佐渡と小佐渡が見渡せる風景、特にトキが飛んでいる様子は未来に残していきたい風景です。水田地帯が守られるということは、地域の存続にもつながるため祭りも守っていけます。黄金色の秋を迎えられるような場所を何十年先にも残していきたいです。
そこで食べる料理(おむすび、漬物、みそ漬け、日本酒)はすべて米からできていますので、米文化の中でできた産物はやはり素晴らしく、後世にも残していきたいですね。
A:ないものを「ない」と言わないことです。ないものは作ればいいんです。もし「佐渡には何もない」という人がいても、周りに惑わされず自分の見方をしてほしいです。佐渡に何もないと言う人は、東京にいても何もないと言うと思います。
以前は地方が負け組で、都会に行った方が勝ち組みたいな傾向がありましたが、今は違います。世間が「地方だから」「都会だから」ということを指標ではかったりすることはなくなり、自ら誇りをもって選んで佐渡に住んでいる、という図式が生まれてきて、それを見た子どもたちも誇りを持ってくれるようになります。私もそうでしたが、島外に出た私の息子も鬼太鼓をやれる年代までに帰ってきたいと言っています。基準がそこ(鬼太鼓)になっており、それまでに自分自身がスキルアップして一人前の大人になって帰ってきたいと言っています。
また、繋がる意味や広い視野を持つ意味でも一度は佐渡の外に出て、グローバルな目線を持ってほしいと思います。様々な事情で佐渡から出られない人もいると思いますが、佐渡の中でも他の集落や他の地域を知ることはできるため、島内にいても感じられることはいくらでもあるはずです。離島といってもマイナスなイメージを持つ必要などなく、どう感じるかは自分次第なので、佐渡に生まれ育ったことを誇りに思って、自信を持って次の世代につなげていってほしいです。
佐渡に生まれたことを誇りに持つ根拠の一つが世界から認められた世界遺産です。これは本当に誇りを持っていいでしょう。世界農業遺産と世界文化遺産の両方を持っている土地なんて他にないですよ。島外に出るにしても、まずは地元を知ったうえで外に出てほしいと思います。学校で地域を学ぶチャンスを今はたくさん作ってくれているので、我々大人も正しい情報を伝えていかなければいけないですね。新しい世代が社会へ出てくる、これからの10年20年は非常に楽しみです。
聞き手:佐渡地域振興局 本間副局長、江口主事
〈参考〉
さど観光ナビ「鬼が招く佐渡の春」
https://www.visitsado.com/feature/ondeko/