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平成25年12月定例会(陳情第15号)

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0004669 更新日:2019年1月17日更新

第15号 平成25年10月16日受理 建設公安委員会 付託

中越地震における行政の対応改善に関する陳情

陳情者

(要旨)

 私は脳性小児麻痺を受けた身体障害者手帳2級を持つ者である。平成16年10月23日午後5時56分新潟県中越地震があった。私は風呂に入っている時だった。かあちゃん助けてと呼んだ。かあちゃんは行かれないとかあちゃんの声がした。私は長々と死との戦いは口には出せないと思った。そうこうしている時、皆の声が聞こえて来た。ある人が光が見えるかと懐中電灯を点けた。私は良く見えると叫んだ。チェーンソーで土台を切ってもらって、石の下敷きになっていたため石を退けてもらい、私は助かった。余震が繰り返し来る中の仕事である。皆の御陰で私は助かった。皆さん有り難うと思っていた。そして私の家の2軒目の奥に一人が家の下敷きになっていた。皆は行ったが、頭の上に柱があって死亡が確認された。家の近所の人は戻って2階から入ってかあちゃんを助けてくれた。その人は家に帰ると電話で県庁に今、二人を助けたがトンネルは土が落ちているし、橋は19センチメートル落ちているからヘリコプターを回してくれないかと話をすると、町長が頼まないと動けないと言われた。その日は夜風が寒くはだかの私を隣の人が毛布で包んでくれた。隣のお父さんが帰って来て、嫁入道具に持って来た嫁さんの自動車に私とかあちゃんを乗せて走り始めた。橋の段差をのりこえるために橋の上でスピードを上げてのりこえた。末広橋に着いた。私は思った。7才の時の事を思い浮かべていた。今は隣のお父さん有り難うと思いながら見送った。そこにはお医者と看護師は薬が無いから治療が出きないと、ただ見ているだけだった。そうこうしていると30人にもなった。救急車が来た。6人乗せて走って行った。それから5分もたたない内に救急車が帰って来た。お医者さんが丸山さんを乗せてやってくれと救急隊員に言った。あと3人乗せて行ってくれと。私をストレッチャーに乗せてくれた。小千谷と川口の境の所の道の真ん中に大きな穴があいていた。救急車を降りて橋を渡る。歩ける人は歩いて渡る。私はストレッチャーに乗って渡った。やっと小千谷に着いた。小千谷総合病院は救急車を受け付けず、魚沼病院に行ったら検査が出きないから長岡に行ってくれと言われた。栃尾の救急車に乗って長岡に向かって走り始めた。立川綜合病院に着いた時は24日の午前4時だった。CTで胸の写真を撮った。待合室の廊下に四、五十人診察を待っていた。ボランティアの医者が容態を聞いた。そこへ看護師ですといって、4階の外科に入院です、丸山さん、と迎えに来た。十日間入院して、退院する時に従兄と私の兄妹が来て、今は地震で御前の居場所が無いと言われたが、私は早く和南津に帰りたいと強く言った。そうして隣の部落の野田に帰って来てびっくりした。川口町では和南津で一人、野田で二人、木沢で一人、家の下敷きになって死亡した。私とかあちゃんは近所の人の御陰で助かった。川口の町長は動かない。山古志の村長は動く。NHKの記者も山古志へ行った。2カ月が過ぎて知事が来たらNHKの記者も来た。行政の力の強さに圧倒された。身体障害者でも仕事をすれば税金を払うのに身体障害者は仕事が無い。地震が来ても何もしてくれない。これが政治だろうか。平成24年3月9日に上越で地滑りが発生すると翌日に知事が視察に行き、支援した。身体障害者に支援は無い。町・市・県・国も支援は無いと同じだ。支援費1,000万円はいただいたが安すぎる。なぜかと言うと川口は豪雪に泣いている。
 ついては、貴議会において、身体障害者が安心して歩ける消雪の設備を整えた道を作るよう配慮されたい。

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