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新潟県女性のチャレンジサイト~事例紹介~「桑原 悠さん」
桑原 悠さん
~ 次の世代へ着実に活躍のバトンを渡せる津南町を目指して ~
津南町長
負けず嫌いな子どもだった
平成30年7月9日に津南町長に就任された桑原悠さん。
就任当時、現職の町長としては全国最年少だった。
子どもの頃を一言で表すなら「負けず嫌い」だという。
クロスカントリースキーに一生懸命取り組む子どもだった。
「当時は泣きながら練習に励んでいました。町のスキー大会で、どうしても10位以内に入りたかったんです。」と笑う。
また、祖父の影響で緒方貞子さんに憧れを抱いていた。
「緒方さんのように、国連で働きたいと思っていたこともありました。」
国際情報高校から早稲田大学、そして東京大学の公共政策大学院へ進学し、学ぶ中で自分にできることが何なのか模索していたという。
郷里、津南町のために
東京大学公共政策大学院に進学したときも将来についてはまだ漠然としていた。
しかし、長野県北部地震で被災した郷里のため、大学院在学中に町議会議員選挙への立候補を決意する。
ずっと地方自治を学んできた、その延長に町議会議員になる道があったという。
最初、町議会議員選挙への出馬に両親は反対だった。
「10年前のことになりますが、自分でも無謀だったなと思います。今だったら思いとどまっていたかもしれません。若さですね。」と笑顔で語る。
結果として、両親を含め、小さな頃から自分を知ってくれている地元の集落の人達が中心となって応援してくれ、平成23年に25歳の若さで津南町議会議員となった。
「町議会では、学校統合から病院経営、産業振興などまで幅広くどれ一つとっても簡単ではない話合いが行われていました。もっと町のことを勉強しなければいけないと痛感しました。」
しかし同時に、町の様々な意思決定に携われることにやりがいを感じたという。
「町民の生活をより良くする、町の将来にとって良いと思える選択をすることがやりがいでした。」
また、町議会議員の時に結婚し、養豚業を営む夫とその家族と同居することになった。
それまで議員が出産する前例がなかった町議会では、「出産」は欠席事由として規則に明記されていなかったが、1人目の子どもを妊娠したときに、規則が改正され、「出産」が欠席の理由として認められることとなった。
今は家族みんなの協力を得ながら2人の子どもを育てている。
元々「町のために」という郷土愛があって町議会議員を務めていたが、子どもができたことで更に責任感が増していく。
「子どもたちが大人になったときのために、住みやすい町にしていかなければならないと思いました。」
そのためには行政の現場をつくる立場に立たせてもらいたいと思うようになったという。
しかし、子供たちはまだ3歳と1歳、家族も周囲の人たちも町長への立候補には大反対だった。
「町議の仕事とは違う。今のおまえに何ができるんだ?」と言われたりもしたが、町のことを考えれば何年も待つことはできなかった。
「私にしかできないと思ってる」と、ひたすら思いを伝え続けた。
そして平成30年に町長選挙で初当選を果たす。
町長として成長していく
町長は、常に町のことを考えたり、悩んだりしているものだと今、実感している。
また、組織を率いる身となって、それぞれのところで誰がどういう思いを持っていて、全体がどう動いているのかを考えるようになったという。
「色々な人の立場になって考えるようになりました。周囲の人たちのことを分かっていないといけない、とても難しくやりがいのある仕事だと思っています。」
令和3年度の予算編成では、特に子育て環境の改善に力を入れた。
津南町での子育て教育のPRにもなるような保育園を造る予定だが、ここまで来るには大変なこともたくさんあった。
既存の保育園を再編することに反対の意見や、事業費の大きさゆえ、町として優先度が高い事業なのか疑問視する意見もあったという。
そのため町内6か所で懇談会を行い、教育長や担当課長たちと一緒に町民に説明を尽くした。
「住民の中に入って、真正面から向き合い、合意形成を図っていく仕事でした。」
苦労はあるが、町や町民にとって良いと思った予算を編成できることが、町長になって良かったことの一つだと語る。
今後も津南町の特徴を活かし、更に強みを引き出していけるような事業を実施していきたいと考えている。
また、町立病院の運営においては、収支改善に取り組んでおり、病院全体が経営意識を持ちながら、地域住民にとって最善の医療をしようとする自発型の組織になってきたという。
「就任後、1億円強の赤字を削減することができました。コロナ禍で病院運営が厳しい中ですが、病院長を始め、職員全員が本当によく頑張ってくれています。医療は町にとってとても大事なんです。」
更に経営面はもちろん、医療・介護サービスの質を上げようと病院全体で取り組んでいる。
町長として仕事をこなしていく中で様々な人たちの意見を客観的に受け止めていけるようになったという。
「若さゆえに不器用なところがあり、誤解されることもあります。大変ではありますが、面白い仕事です。」
職員との関係も徐々に歯車が合ってきたと感じている。
「就任当初はお互いにどうしたらいいのか戸惑いや悩みがあったと思います。コミュニケーションを常に取りながら、職員が働きやすい職場にしたいと思っています。」
また、特に若い職員たちは、性別に関係なく自分らしく働いていているという。
「幹部に女性が加わると、色々変わることもあって面白いと思います。皆さん能力も高いですし、将来に期待しています。」
未来へバトンをつなげる
今まで町を引っ張ってくれていたのは、いわゆる団塊の世代がメインだった。
これからは30~40代の世代がそのバトンを引き継ぎ、中心となって活躍できる町にしていきたいと考えている。
「常に次の世代、次の世代にバトンを渡し続けられる町でありたいと思っています。そのために後継者となる若手が活躍できる場をもっと増やしていきたいです。」
また、若い女性が働く際の選択肢を増やしたいとも考えている。
子どもを安心して預けられる環境を整えるとともに、雇用のミスマッチを解消できるよう企業誘致を促進するなど、女性が働くことの価値を上げたいと意気込む。
「今後は、『こういう津南町にしていきたい』というビジョンをもっと明確に示していきたいです。」
チャレンジするあなたへのメッセージ
組織や会社の在り方が変わってきています。
そういった時代の変化を見据えながら、自分自身で学びを深めていくことが大事だと思います。
津南町役場<外部リンク>
(令和3年3月取材)