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【新発田】 連載企画 「北前船の魅力を訪ねて」(企画振興部)

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:4420803 更新日:2021年11月4日更新

北前船の絵

 

 江戸から明治にかけて北海道(蝦夷)と大阪(大坂)の間を、荷物を売買しながら往来する北前船が胎内市にも寄港していました。
 寄港地に息づく北前船の魅力を訪ねる記事を毎月1回、令和4年3月まで計9回に渡り掲載します。

(図)北前船航路図(胎内市教育委員会作成)

(第4回)船絵馬に込められた願い

なんぱせんえま

胎内市文化財「難破船絵馬」(荒井浜塩竃神社)

※左上から加護の光が、荒波に揺れる船に向かって線状に発せられている

 

 現代のような天気予報のない江戸時代、海難事故が多く、船乗りたちは「板子(いたご)一枚下は地獄」と航海を常に恐れていました。嵐で難破しそうになると乗組員たちは髷(まげ)を切って神にすがったそうで、桃崎浜の三浦家にはそのときの髷が代々家宝として大切に保管されています。

 このように航海は命がけであったため、船主は「海上安全」を第一に願い、絵馬には船のほかに、海上安全の神様である住吉神社や、縁起の良い輝く旭などを描き、競って神社に奉納しました。

 これら奉納絵馬の中には難破船を描いた珍しい「難破船絵馬」もみられ、転覆する寸前に乗組員が合掌する姿や、加護の光を浴びて九死に一生を得る様子が描かれています。このような図柄は古い西洋絵画にもみられ、最後に神仏にすがるのは日本も西洋も同じことといえます。

 死を覚悟しただけにこの「難破船絵馬」には名作が多く、胎内市荒井浜の塩竈(しおがま)神社にも、柾目のきれいな杉板に遭難の様子を描いた躍動感ある「難破船絵馬」が、胎内市内で唯一残っています。

文責 胎内市生涯学習課 文化・文化財係

 

 

 

 

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