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佐渡島の金山ってどんな所?

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0806778 更新日:2026年3月24日更新

世界せかいの「たからもの」

「佐渡島さどの金山きんざん」は、江戸時代えどじだいでは日本にほんで最大さいだいの金山きんざんです。人ひとの手作業てさぎょうだけで長ながい期間きかんにわたって金きんの生産せいさんが続つづけられました。同じ頃ころ、世界せかいの他ほかの地域ちいきでは、次第しだいに機械きかいを使つかって金きんの生産せいさんを行おこなうようになっていきます。日本にほんは「鎖国さこく」によって海外かいがいから技術ぎじゅつや知識ちしきを取とり入いれることが制限せいげんされていました。そこで、「佐渡島さどの金山きんざん」では質しつの良よい金きんをできる限かぎり多おおく得えるため、作業さぎょうのやり方かたを工夫くふうし、効率こうりつよく作業さぎょうを行おこなうことができる仕組しくみを発達はったつさせました。鉱山こうざんの遺跡いせきや人々ひとびとが暮くらした町まちの遺跡いせきが良よい状態じょうたいで残のこっていて、当時とうじの金山きんざんがどのようなものだったのかを知しることができます。こうした金山きんざんは世界せかいでも数かずが少すくなく、とても貴重きちょうなものです。

これらの価値かちが認みとめられて、2024(令和れいわ6)年ねん7月がつ、「佐渡島さどの金山きんざん」は世界遺産せかいいさんに登録とうろくされました。これからは、「佐渡島さどの金山きんざん」を世界せかいの大切たいせつな「たからもの」として守まもっていかなければなりません。

「佐渡島さどの金山きんざん」ってどんな所ところ?

日本海にほんかいに浮うかぶ島しま、佐渡さど。面積めんせきが855平方キロメートル(東京とうきょう23区くの約やく1.4倍ばい)で、沖縄本島おきなわほんとうに次ついで日本にほんで2番目ばんめに大おおきな島しまです。佐渡さどは、江戸時代えどじだいよりも前まえから金きんや銀ぎんがとれる島しまとして知しられていました。

「佐渡島さどの金山きんざん」は「西三川砂金山にしみかわさきんざん」と「相川鶴子金銀山あいかわつるしきんぎんざん」という大おおきく2つの場所ばしょから成なります。

西三川砂金山にしみかわさきんざんは佐渡さどで最古さいことされる砂金山さきんざんで、「目めに見みえる金きん」である砂金さきんをより多おおく得えるために「大流おおながし」という独特どくとくな採掘方法さいくつほうほうが行おこなわれていました。

相川鶴子金銀山あいかわつるしきんぎんざんでは、硬かたい岩いわの中なかの金鉱石きんこうせきに含ふくまれている「目めに見みえない金きん」を得えるために、様々さまざまな掘ほり方かたや金きんを取とり出だす技術ぎじゅつが発達はったつしていきました。相川鶴子金銀山あいかわつるしきんぎんざんは「鶴子銀山つるしぎんざん」と「相川金銀山あいかわきんぎんざん」に分わけることができ、鶴子つるしから相川あいかわへと技術ぎじゅつが発達はったつ・完成かんせいしていったことがわかります。

いろんな名前なまえがあるけど、どの呼よび名なが正ただしいの?

―「佐渡金山さどきんざん」「佐渡鉱山さどこうざん」「佐渡金銀山さどきんぎんざん(遺跡いせき)」「佐渡島さどの金山きんざん」-
正解せいかいは「どれもそれぞれ正ただしい」です。

「佐渡金山さどきんざん」:古い記録きろくなどにも登場とうじょうする名前なまえです。相川金銀山あいかわきんぎんざんにある観光施設かんこうしせつの名前なまえは「史跡しせき佐渡金山さどきんざん」です。

「佐渡鉱山さどこうざん」:江戸時代えどじだいが終おわって明治時代めいじじだいになると、明治政府めいじせいふが管理かんりする鉱山こうざんとなり「佐渡鉱山さどこうざん」と呼よばれるようになりました。

「佐渡金銀山さどきんぎんざん(遺跡いせき)」:西三川砂金山にしみかわさきんざん、鶴子銀山つるしぎんざん、相川金銀山あいかわきんぎんざんなど、佐渡さどを代表だいひょうする鉱山こうざんの遺跡いせきを守まもっていくために国くにの文化財ぶんかざい(史跡しせき)として付つけられた名前なまえです。

「佐渡島さどの金山きんざん」:世界遺産せかいいさんとしての正式名称せいしきめいしょう「Sado Island Gold Mines」を日本語にほんごに訳やくしたものです。読み方よみかたは呼よびやすく覚おぼえやすいものとするため、「佐渡島さど」の呼よび方かたを「さど」にしました。

西三川砂金山にしみかわさきんざん

平安時代へいあんじだい(約1,000年前)に書かかれた『今昔物語集こんじゃくものがたりしゅう』に、「能登のと(現在げんざいの石川県いしかわけん)の製鉄集団せいてつしゅうだんの親方おやかたが佐渡さどに渡わたり、20日余りで1,000両りょうもの金きんを持もち帰かえった」という記述きじゅつがあり、その場所ばしょが西三川にしみかわだといわれています。
砂金さきんを効率的こうりつてきに得えるため「大流おおながし」と呼よばれる方法ほうほうで採掘さいくつが行おこなわれていました。この方法ほうほうは安土桃山時代あづちももやまじだいに始はじまったといわれています。
現在げんざいでも、「大流おおながし」で砂金さきんをとった山やまや水路すいろなどの跡あとが良よく残のこっていて、江戸時代えどじだいの絵巻えまきとほとんど変かわらない風景ふうけいを見みることができます。

西三川砂金山の画像

鶴子銀山つるしぎんざん

戦国時代せんごくじだいに発見はっけんされ、全国ぜんこくからたくさんの人ひとが銀ぎんを求もとめて集あつまったといわれています。
鶴子銀山つるしぎんざんには600カ所以上の採掘さいくつの跡あとがあり、時期じきが異ことなるさまざまな掘ほりかたを見みることができます。
また、鉛なまりを使つかって鉱石こうせきから銀ぎんを取出とりだす技術ぎじゅつなどが石見銀山いわみぎんざん(島根県しまねけん)からもたらされました。
鶴子銀山つるしぎんざんで取入とりいれられた技術ぎじゅつは、後のちの相川金銀山あいかわきんぎんざんで大おおきく発展はってんします。

鶴子銀山の画像
撮影:西山芳一

相川金銀山あいかわきんぎんざん

江戸時代えどじだいに入はいると、徳川幕府とくがわばくふが本格的ほんかくてきな開発かいはつを始はじめました。
大量たいりょうに生産せいさんされた金きんや銀ぎんは国くにの財源ざいげんとして利用りようされ、幕府ばくふの財政ざいせいを支ささえました。
採掘さいくつ(鉱石こうせきの掘ほり出だし)から選鉱せんこう(鉱石こうせきを細こまかく砕くだいて、いらない部ぶを取とり除のぞく)、製錬せいれん・精錬せいれん(高温こうおんで溶とかし、鉛なまりや塩しおなどを用もちいて不純物ふじゅんぶつを取とり除のぞいて純度じゅんどを高たかめる)、小判こばんの製造せいぞう(お金かねを作つくる)までの流ながれをすべて、同おなじ地域ちいきの中なかで行おこなわれたのは佐渡さどだけです。
また、これらの作業さぎょうの様子ようすを描えがいた絵巻えまきがたくさん残のこっています。これらと遺跡いせきのある現地げんちを見比みくらべることで当時とうじの様子ようすがよく理解りかいできます。

相川金銀山の画像
撮影:西山芳一

鉱山由来こうざんゆらいの文化ぶんかと芸能げいのう

多(おお)くの 人(ひと)が 集(あつ)まって 色々(いろいろ)な 文化(ぶんか)も 栄(さか)えました!

佐渡島さどの金山きんざんが 栄(さか)えると、 全国各地(ぜんこくかくち)から 人々(ひとびと)が 集(あつ)まったため、 各地(かくち)の 文化(ぶんか)や 芸能(げいのう)が 持(も)ち 込(こ)まれました。
江戸時代以前(えどじだいいぜん)から 佐渡(さど)に 伝(つた)わり、ほかの 場所(ばしょ)では 見(み)られなくなった 行事(ぎょうじ)や 芸能(げいのう)を、いまでも 島(しま)の 各地(かくち)で 見(み)ることができます。

神事芸能(しんじげいのう)「やわらぎ」

神事芸能しんじげいのう「やわらぎ」の画像

やわらぎには、(1)かたい鉱石(こうせき)がやわらぐように、(2)山(やま)の神様(かみさま)の心(こころ)がやわらぐように、という2つの願(ねが)いがこめられているといわれています。

鬼太鼓(おにだいこ)

鬼太鼓の画像

江戸時代(えどじだい)の相川(あいかわ)の年中行事(ねんじゅうぎょうじ)の絵図(えず)には、祭(まつ)りの行列(ぎょうれつ)の中なかに鬼太鼓(おにだいこ)が描(えが)かれています。

相川音頭あいかわおんど

相川音頭の画像

相川音頭あいかわおんどは奉行所ぶぎょうしょの近ちかくで行おこなわれた盆踊ぼんおどりで、鉱山こうざんの技術者ぎじゅつしゃや労働者ろうどうしゃもたくさん参加さんかしていました。

能(のう)

能の画像

佐渡(さど)には現在げんざいも30棟(とう)を超(こ)える能舞台(のうぶたい)があり、島内各地(とうないかくち)の能舞台(のうぶたい)で春(はる)から秋(あき)に上演(じょうえん)されています。