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クイズコーナー
何問正解できるかな?
佐渡に関するクイズ
佐渡の人口は?学校の数は?
人口は5万2千人(2020年国勢調査)。
県立高校は中等教育学校を含めて4校、小学校22校、中学校13校あります。(R6現在)
佐渡の大きさは?
約855平方キロメートル。東京23区の約1.4倍の大きさです。
佐渡は金山のほかにどんな見どころがあるの?
金山のほかにも、トキの森公園、尖閣湾、大野亀、二つ亀など自然が味わえる魅力的なスポットや、佐渡の歴史や文化がわかる佐渡博物館などの施設があります。
金に関するクイズ
なぜみんなが“金”にこだわるの?
金はキラキラ光って魅力的なことや、腐食せず、比較的加工しやすいこと、また産出量が極めて少ないことから、世界的にその価値が認められています。
金の価格はどのくらい?
金の価格は毎日、1日の中でも変動することがありますが、現在は1グラム当たり大体13,000円くらいです。(R6年10月現在)
西三川ゴールドパークの砂金1粒は何グラムか?
砂金1粒は0.01グラム程度です。
わたしたちの身近にある金は?
スマートフォンなどに使われています。金は劣化せず、電気をよく通すので音や映像が高品質になります。
鉱山に関するクイズ
地中何メートルまで掘ったの?
大立立坑は352メートル、高任立坑は667メートルまで採掘しました。
坑道の長さはどのくらい?
山の至る所で縦横無尽に掘られましたが、全ての長さを合計すると400キロメートルで、佐渡から東京までの距離に匹敵します。
佐渡で産出した銀と銅はどのように使われたの?
銀は小判に混ぜて金との合金として使用しました。また、銀そのものを重さで測り、お金として使用しました。
銅は「仏像」や「貨幣(コイン)」として使用されました。
佐渡での金と銀の産出量はどれくらい?
金は江戸時代に41トン、明治以降には37トンと、計78トン産出されました。
銀は休山までの間に2,330トン、銅は5,410トン、産出されました。
江戸時代の鉱山の作業では、どのような危険があったの?
一般的に坑道を深く掘り続けると、落盤、転落、呼吸器の病気などの危険があります。佐渡の岩盤は硬かったため、落盤事故は少なかったと考えられています。
鉱山では子供も働いていたの?
坑内でいろいろな仕事を手伝う15歳以下の子供が働いていました。鉱石を運搬したり、荷物を上げたり、岩盤が崩れないように補強作業の手伝いもしました。また、鉱山で使う道具や、暗い坑道内で使う照明用の油を供給したりもしました。
鉱山で働く人は何人くらいいたの?
最盛期(江戸時代初期)の相川の人口は約5万人で、そのほとんどが鉱山関係の労働に従事していたと考えられています。
食糧確保のため、新田開発も盛んに行われました。
佐渡の鉱山にはまだ金があるの?
まだ金鉱脈は残っていますが、利益が出ないので採掘していません。
金山は誰でも勝手に掘ってもよいの?
文化財保護法で国の史跡として保護されているため、勝手に掘ってはいけないことになっています。
西三川では今でも砂金は採れるの?
僅かですが砂金は採れます。佐渡西三川ゴールドパークは有料の施設で、砂金採り体験にチャレンジすることができます。
江戸時代の金山では、どのような勤務体制だったの?
鉱石を掘る鉱夫は、2人一組で4時間ずつ(計8時間)採掘を行いました。江戸後期になると鉱夫の数が不足し、長時間労働することが多くなりました。また、湧水を坑道の外に運ぶ水替人足の労働時間は、隔日交代の一昼夜勤務と大変なものでした。
坑道は現在どのような使い方をしているの?
坑道の一部が整備され、観光用に公開されています。坑道内は常に10度程度であることから、今では酒や食品を熟成させる倉庫としても利用されています。「南沢疎水道」は一般公開されていませんが、鉱山の湧水の排水路として現在も使用されています。
江戸時代を通して幕府から派遣された奉行は何人くらいいたの?また、奉行所には何人くらいが働いていたの?
奉行は幕末までに102人に達しました。また、奉行所には200から280人が働いていたと考えられています。
「水上輪」や「唐箕」はどのように使用されたの?
「水上輪」は地下水を地上に汲み上げる装置で、大阪の技術者である水学宗甫が造ったと言われています。その技術を水学宗甫に伝えたのは、キリスト教の宣教師であると推定されます。「唐箕」は風を起こす装置で、佐渡の金山では坑内の換気に使われていました。元禄(1688から1704年)頃からは、農作業で使用されるようになりました。
相川金銀山は誰が発見したの?
相川金銀山は、慶長6年(1601年)7月、鶴子銀山にいた3人の山師、渡辺儀兵衛、三浦治兵衛、渡辺彌次右衛門が発見したという言い伝えが史料に残っています。このときの話は、新潟県と佐渡市が作成した紙芝居「こがねの山―佐渡 相川金銀山発見伝―」で紹介されています
坑道の中で使っていた照明用の油は?
初めの頃は菜種油を使っていましたが、高価なため魚油を使うようになっていきました。
しかし、煙と臭いが出て酸欠等の原因になるため、再び菜種油を使うようになりました。




