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にいがたの錦鯉
1 錦鯉の歴史
新潟県小千谷市・長岡市の一部の地域(かつて古志郡二十村郷と呼ばれた地域)は「錦鯉発祥の地」とされ、約200年以上前の江戸時代に食用のマゴイから突然変異した個体を観賞用として飼育したのが起源と言われています。以来、明治時代に紅白、大正時代に大正三色、昭和初期に昭和三色が作出され、現在では140種以上の品種が作られています。
錦鯉は、大正3年、東京上野で開催された東京大正博覧会に「越後の変わり鯉」の名で紹介されたことがきっかけで全国に広まり、また、昭和13年にはアメリカの博覧会にも出品され好評を得ました。
第2次世界大戦で養殖業者は大きな打撃を受け減少しましたが、わずかに残された親魚をもとに再興し、昭和40年代には国内で錦鯉の一大ブームが訪れました。近年では、ヨーロッパ、北アメリカ、アジアなど全世界に普及し、新潟が誇れる日本を代表する文化の一つとなり、「泳ぐ芸術品」錦鯉の愛好者が増えています。
錦鯉を代表する三品種(御三家)
紅白(こうはく)
紅白(こうはく):白色の地肌に、赤い模様が入ったもの。最もポピュラーな品種で、紅白を基礎にさまざまな品種が誕生したと言われている。
大正三色(たいしょうさんしょく)
大正三色(たいしょうさんしょく):白色の地肌に、赤と黒の模様が入ったもの。「錦鯉」という名は、大正時代のはじめに本種が作出されてから付けられた。
昭和三色(しょうわさんしょく)
昭和三色(しょうわさんしょく):黒色の地肌に赤と白の模様が入ったもの。頭の鉢巻き模様の黒や、胸鰭の付け根の黒が主な特徴である。
2 錦鯉あれこれ
立身出世の象徴
「登竜門」という言葉がありますが、これは鯉が急流を登り切れば竜になれるという中国の伝説に由来します。これがのちに「鯉の滝登り」という言葉にも結び付き、鯉が滝を登る様子は立身出世にたとえられるようになりました。これも錦鯉が世界中で愛されている理由の一つかもしれません。
錦鯉の世界は超エリートばかり
錦鯉の親一匹から数十万尾の稚魚が生まれますが、このうち販売される鯉は0.5%程度、品評会で入賞できるような鯉は0.01%以下と言われています。選び抜かれた鯉はまさに泳ぐ芸術品といえます。
3 こんなときは
- 錦鯉全般について知りたい時(種類、飼育、系統、歴史、リンク集など)
- 全日本錦鯉振興会HP<外部リンク>
- 一般社団法人新潟県錦鯉協議会<外部リンク>
- 錦鯉の購入などについての問い合わせ
- 全日本錦鯉振興会 Tel:0258-83-3345
- 一般社団法人新潟県錦鯉協議会 Tel:0258-94-6031
- 小千谷市錦鯉漁業協同組合 Tel:0258-94-6032
- 飼育や病気、その他技術的なことに関する問い合わせ
新潟県内水面水産試験場