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中国出身、佐渡在住の買若梅(マイ・ロアメイ)さんによる佐渡レポートを掲載しています。
第7回目のテーマは「佐渡のお正月」です。
佐渡のお正月
カレンダーが最後の一枚になると、もう一年が過ぎたのかという思いとともに、新しい年への期待感が生まれてきます。あなたの地方でも年の暮れには、人々は新年を迎える準備のために気ぜわしくなることでしょう。「ああ、もうすぐお正月だ」という雰囲気が自然にわいてくることでしょう。では、佐渡の人々はどのようにして新年を迎えるでしょうか。
松飾り
日本では「年」を司る神様を「歳徳神」と呼びます。佐渡の古い時代の習わしでは、歳徳神を迎えるために12月13日から「お松さん」を迎え、煤払いをし、お餅をつく準備をします。正月に松を飾るのは日本の伝統的な習わしです。松飾りは一般に12月20日から28日の間に作ります。作るのはそれぞれの家庭の男性の役目です。松の枝は真っ直ぐ伸びた穂先を使い「福の神が舞い込むように」という、めでたい意味が込められています。地域によって習慣の違いはありますが、ある家庭では客を迎えるために松の飾りを家の門口(かどぐち)に飾ります。これを門松(かどまつ)と呼びます。
漁村の家庭では海の神様を尊敬して海に向かって松飾りをします。多くの家庭では松を神棚や室内の隅々に飾ります。これを内松(うちまつ)と呼びます。これらの準備は12月31日の朝までですから、みなさん、忙しく仕事をしなければなりません。
注連縄
お正月の神様を迎えるために煤払いは重要です。それぞれの家で大掃除のあと、シメナワを飾ります。シメナワにはユズリハやスルメイカ、松の小枝を挿して飾ります。シメナワは神様が降臨するところとしての神聖なスペースシンボルです。シメナワを作る作業のときは厳格なルールがあって、女人が近づいてはいけない、手に唾液をつけて触れてはいけないのです。人間のにおいがしてはならないのです。
どんど焼き
新年の飾り物は1月15日に取り払います。この日、各集落では寄り集まって、山から取ってきたばかりの竹を中央に立て、これらの飾り物を燃やします。この風習には邪悪を払うこと、火災などの災難をよけること、家族の一年の平安を願うという思いが込められています。聞くところによれば、これは中国の爆竹の習慣に由来するといわれます。青竹が燃えるとき「どん」という音がしますね。だから人々は「どんど焼き」と呼んでいます。
着物
お餅も日本人の生活では欠くことのできないものの一つで、お正月が近づくと、賑やかに餅つきをします。日本では大晦日の夜には遅くまで起きている習慣があり、佐渡では「早く寝ると寿命が短い。遅くまで起きている人は長生きする。」といいます。
大晦日の夜はそばを食べます。「年越しそば」と呼んで、そば(長いもの)を食べると長生きができるそうです。大晦日の12時ごろになると、人々は除夜の鐘を聞きながら、近くの神社にお詣りに行きます。このことを「二年詣り」といいます。去年の最後の日と今年の最初の日を確かめるためです。しかし、一般的には年が明けた「三が日間」にお詣りに行きます。このことを「初詣」(はつもうで)と呼んでいます。
松栄さんのお宅
ほかにも新年の民俗的風習にはいろいろなものがあります。新年を迎えると、何事にも「その年の最初のこと」として重要視され、神聖化される風習があります。その中の代表的なものに「若水汲み」があります。家の「年男」が「若水」を汲むという風習です。
大晦日の晩に身を清め、元旦の早朝には家族の誰よりも先に起きて神様に礼拝をして、その年の最初に使う水を汲みに行きます。水を汲む桶と松の枝を持つほか、佐渡の風習には「水餅」と呼ぶお餅とお酒とスルメイカを持って、先ず、井戸の神様にお供えしてから水を汲みます。「若水」を汲んで家に入ると最初に神仏にお供えします。そのあと、家族の食事やお茶に使います。この風習は日本で古い時代から、「若水」には魔力(神通力)があると信じられていることによるものだといわれます。
松栄さんのお宅
もちろん、これらの風習は今ではほとんど見ることができなくなりました。二十年くらい前までは、これらの伝統を守っていた村もあったといわれます。時代の変化が進む中で、これらの風習の様子は、本の中でしか見ることができなくなり、とても残念です。
ところがあるとき、偶然にも知人の一人が「今でも古いお正月のしきたりを大事にしているお家があるよ。」と教えてくれました。私はその家の様子を是非見学したいと思い、お願いをしました。すると即座に快く承知していただきました。
松栄さんご夫妻と一緒に
その家を訪問する日、私は日本のお正月の雰囲気に合うように「和服」を着ました。約束の場所に到着し、友達と向ったその家は「松栄(まつばえ)さん」のお家です。
先ず目に入ったのは、とても大きくて立派なお屋敷でした。周囲は黒塀で囲まれ、庭の松は一本一本美しく手入れされていて、遠くから見てもとても目を引きます。威厳のあるたたずまいに圧倒されて、わたしは緊張しました。ここの住人はいったいどんな人なのだろう。私はまだ日本の礼儀作法をよく知らないから、失礼がないようにしなければなりません。小石が敷き詰められた門内を進み、お庭に着きました。
そこは深閑とした見事な庭園でした。両開きの門を開いて中に入ると、とても広々とした玄関が見えました。頭上には独特の風格を漂わせたシメナワが張られていました。いまは一般の家庭ではお正月にちょっと床の間をきれいにして飾りをつけ、「鏡餅」をお供えするくらいです。松栄さんの家のようにこれほど玄関を飾るのはとても珍しく、わたしは初めて見ました。
スルメイカ
「ごめんください。」と尋ねると、「はーい、どうぞ。さあさ、お入りになってください!」と松栄和津(カヅ)さんが出てきました。松栄さんの明るい歓迎の声に、わたしはすっかり緊張がほぐれました。前もって約束しておいたのでお互いに簡単な挨拶を交したあと、松栄さんは私たちを玄関に招き入れました。何もかも珍しがっている私に、松栄さんは根気よくその飾りの意味を一つ一つ説明してくれました。
ゆずりは
もともと玄関は、その家のお客さんを招くとき、挨拶を交わす畳の間です。新年に玄関を飾るのは、お客さんと自分の家族の幸福と安寧を、年神様にお願いするという意味があるのだそうです。私は「どうしてシメナワにユズリハやスルメイカや松を挿すのですか。」と尋ねました。奥さんは「それは古い年を送って、新しい一年を迎えるという意味なんです。」と教えてくれました。「竹炭は、どうして飾るのですか。」と聞きました。「それは火難をよける役目をします。」と教えてくれました。
なるほどと思いながらあたりをもう一度見渡すと、とても神秘感が漂っています。ちょうどその時、旦那さまが迎えに出ていらっしゃいました。旦那さまはとても優しそうな方で、にこにこしながら私たちを奥の部屋に案内してくれました。
神棚
松栄家の歴史を語るには江戸時代にさかのぼらなければなりません。松栄家の御祖先は北前航路を通じて各地の物資を港に運んで商う、廻船業をしていました。今から350年前に佐渡に定住するようになったそうです。商売がもっとも盛んだった時は松栄家では「千石船」といわれる大形の貨物船(帆船)を3艘も持っていました。
今でもそのころの松栄丸やその他の船の「帆」が保存されているそうです。現在の松栄さんの住宅はおよそ130年前に作られたもので、今もきれいに保存され、使われていて、しかも私宅であるというのは本当にすばらしいことです。
竹炭
お話によると、松栄御夫妻はずっと都会に住んでいて、佐渡に戻ったのは数年前とのことです。長い間、離れていた故郷に帰られたお二人にとってはどれほどか、感慨が深かった事でしょう。私はお二人に子供のころのお正月の思い出について尋ねました。旦那さんは「小さいころ嬉しかったのは、やはり餅を食べることだったね。なんにもつけない白い餅!」と言います。奥さんは「お正月にはいろいろな遊びができて楽しかった。」と言います。
奥さんは、この家に生まれ育った人で、小さいころから大人たちが新年の祝いの準備のために忙しく働いている様子を見ていたので、知らず知らずのうちに正月行事を覚えたのだそうです。その記憶をもとに新年になると、このような伝統的なしきたりを守って実行しているのだそうです。それからおせち料理や年越しの礼儀作法についても教えてもらいました。内容が多くて、私にはとても一つ一つを覚えることができませんでした。
そして、みごとな手作りのお正月料理をいただきました。料理にはそれぞれ、縁起のよい意味が込められています。どれもこれもとても美味しかったです。
お正月飾り
日本に来てからもう何回か新年を迎えたけれど、今年のように日本の伝統的な年越しの習慣を教わったのは初めてです。あれこれしているうちに日暮れ近くになって、帰らなければならない時間になりました。松栄さん御夫妻からたくさんのお話を聞いて、私は古くからの日本人の豊かな心に触れた思いでした。私にとって本当に忘れることのできない一日でした。
初詣
新年を迎えるとき、人々の心の中に新しい希望がわいてきます。このような年越しの風習は、私たちに(人々に)自然や季節の恵みに感謝すること、祖先に感謝することを忘れてはならないということを伝えているのでしょう。つまり、自分の身の回りの一切を有難く思って真心を持って歩めば、いつかきっと夢を実現できるということでしょう。
日本語翻訳: 雑賀三郎
参考資料: 「佐渡風物誌」浜口一夫
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