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中国出身、佐渡在住の買若梅(マイ・ロアメイ)さんによる佐渡レポートを掲載しています。
第4回目のテーマは「友友(ヨウヨウ)・洋洋(ヤンヤン)の第二の故郷─佐渡」です。
席咏梅さん(写真提供/佐渡トキ保護センター)
席咏梅(シーヨンメイ)さん、こんにちは。
佐渡のトキセンターでは、今年、18羽の雛がかえり、総数は98羽になりました。あなたが、はるばる陝西省洋県から佐渡まで「友友と洋洋」に付き添ってやってきた1999年の冬のことを思い起こすと夢のようです。
優優(写真提供/佐渡トキ保護センター)
私はあなたと知り合う前は、佐渡に「日本で最後の一羽となった高齢のキンという名前のトキが一羽いる」ということ以外は、トキについて何も知らなかったのです。
友友・洋洋(写真提供/佐渡トキ保護センター)
あなたに出会って、あなたのお仕事を知る機会を得たことは、私にとって本当に幸運でした。私は図書館に行って、トキのお話の本を借りてきました。そのあと、毎日のようにトキについてあなたからお話をききました。「なんといっても先ずトキの生活環境に注意をはらう必要がある。たとえば止まり木を設置するにも高低や角度を変え、トキが寂しく感じたり単調な生活にならないように工夫しなければならない。そして、衛生面にもよく注意し、毎日掃除をすること。トキは神経質な鳥なので、驚かさないこと。親しくなりすぎてトキに人間を同類だと誤解させないこと・・・。」等々、たくさんお話を聞かせてもらいました。トキはただの鳥ではなく、あなたは自分の子供のことのように話してくれました。そして、いつの間にか、私はあなたのトキの世界に引き込まれてしまいました。
佐藤春雄先生(右から一番目佐藤先生、三番目席さん、四番目筆者)
トキという鳥は一体、どんな鳥なのか、不思議に思いながら、私はトキの本を調べました、本の中では次のように説明されていました。
トキの学名はニッポニアニッポンといい、絶滅危惧種の鳥です。あまりにも美しいことから「東洋の宝石」と言われ、中国民間ではめでたいことの象徴として「吉祥の鳥」と言われています。資料によればトキは、以前、中国や日本、朝鮮半島やシベリアに広く棲息していました。社会の発展とともに自然が破壊され、環境汚染により水辺の生物が減少し、トキの餌がますます少なくなり、野生トキは絶滅の状態になったとあります。
優優かわいい(写真提供/佐渡トキ保護センター)
佐渡は、日本におけるトキの最後の棲息地です。1981年、日本でわずかに残った5羽の野生トキを全部捕獲し、佐渡トキ保護センターで人工繁殖に望みをかけましたが、結果は願いどおりにはいきませんでした。
平山前新潟県知事の来訪(左から一番目平山前知事、二番目金子獣医さん)
一方、中国の動物学者たちは1978年、トキの探索を始めました。動物学者の劉蔭増先生は中国の九つの省を踏破し、大変な苦労の末、ついに1981年、陝西省洋県で地球上にかろうじて残っていた7羽の野生トキを発見したのです。このニュースは世界を沸き立たせました。野生トキの繁殖は非常に緩やかなため、人工繁殖という重要で困難な課題に取り組むことになりました。1989年、北京動物園で、はじめて人工繁殖に成功しました。
席さんと優優(写真提供/佐渡トキ保護センター)
私は、あなたとトキをテーマにしたテレビの番組で、次のようなことも分かりました。洋県は陝西省の西南部にあり、漢中盆地の東側の縁に位置している。北は秦嶺山脈が走り南側も山地で、その中央を漢川が流れている。総面積は3206平方キロメートルで、人口は43万人です。席さん、あなたは大学を卒業すると進んで、洋県に行かれたのですね。それからトキとのかかわりが始まったのですね。
洋県でトキ保護のための仲間たちと出会い、言葉で表せないほどの苦労を重ね、来る年も来る年も野外観察を続けたのですね。ことに繁殖期が来ると、トキの安全保護のため、24時間、職員が交替で監視を続けました。雛や卵が巣から落ちないように営巣木の下に防護ネットを掛け、蛇からの危害を防ぐために、営巣木の底部にビニールシートを巻くなどの措置をしました。
近辻さんと金子さん(写真提供/佐渡トキ保護センター)
洋県トキ保護センターが設立されたのは1990年です。あなた達は、野外で弱ったトキや怪我をした幼鳥を保護し、親鳥が遺棄した卵の人工孵化に取り組みました。あなたとあなたの仲間がどれほど汗を流し、苦労をされたか、私には分かりません。
しかし、そのおかげで、1995年、3組の親鳥から3羽のひなが誕生して以後、トキの数は年々増え、洋県の総数はなんと昨年、550羽に達したということですね。トキの保護と人工繁殖の成功はどれほどか人々に感動を与えたことでしょう。あなたがたの汗と涙の結晶です。
洋県野生のトキ(撮影/路宝忠)
毎日のトキの餌のために、みなさんは、いろいろと考えたのですね。トキの餌のお金はとても高くつくとあります。野生トキのために生きた泥鰌を背負って山を越えたりして・・・。洋県の人々も自己犠牲を払ってトキのために尽くしたのですね。あなたは言いました。トキ保護や人工繁殖では、日本の大きな支援があったからで、もしも、このような支援がなかったらトキの繁殖はこのようにうまくは進まなかったことでしょう。
記者会見
私は佐渡のことも調べました。佐渡はかつて日本においてトキの棲息地の一つで、ずっと以前はたくさんいました。それが社会の発展と自然環境の変化でだんだん少なくなってきました。人々の厚い保護にもかかわらず他の地域と同じようにここでも、トキは、滅びる運命にありました。私はトキの学名がニッポ二ア・ニッポンということ、国の特別天然記念物であること、国際保護鳥であること、多くの日本人がトキの運命に強い関心を持っていることも分かりました。
優優の誕生祝いの集い
中国のトキと日本のトキは同じ種です。いままでは何度も中国からメスを迎え、人工繁殖を試みましたが、成功しませんでした。最後に残ったのは「キン」だけでした。とても残念な結果にはなったけれども希望は失いませんでした。1998年12月最後の日、佐渡トキ保護センターは中国のみなさんからの貴重な贈り物トキの「友友・洋洋」を迎えることが出来ました。希望は大きく膨らみました。
村本先生の来訪
このような時、席さん、あなたは友友・洋洋を連れて佐渡に来たのですね。人々は歓呼の声をあげて迎えました。その後、休む間もなく、トキの繁殖の仕事に取り掛かりました。いろいろなプレッシャーの中、ただ一つ、トキの繁殖のために・・・。どんなにか重い任務だったことでしょう。あなたは言いました。トキ保護の仕事は国籍にこだわることなく、ただ一つ繁殖の成功を目指さなければならない。将来佐渡の大空にトキが群れて飛ぶことは、鳥類学者の最大の願いです。
動物園の先生方
私は、あなたと初めて会ったあの日、佐渡トキ保護センターに行き、近辻所長さん、金子獣医さん、センターで働いているみなさんと、知り合いになりました。私がはじめて友友・洋洋を見たとき、彼らの羽毛は灰色に変色していました。トキは、繁殖期になると羽毛が灰色に変わることをあなたは、私に教えてくれました。あなた方のお仕事は、一時もトキの事から離れることができず、ほんとにご苦労さんです。
佐藤先生のお宅訪問(左から一番目村本先生)
私は覚えています。あなたが枯れ草や小枝を集め、友友・洋洋が自分で巣を作れるようにみんなに呼びかけたことを。小枝をくわえて双方が親愛の情を示し、二羽の距離が近くなってきました。洋洋はゆったりと、友友は強く洋洋に関心を持ちはじめてきました。繁殖期のトキの鳴き声は、とても大きく、独特でした。トキ保護センターでは、みなさんはほとんど毎日、朝早くから夜遅くまで一歩も離れることがなかったですね。そして、ついに「卵が生まれた」のです!
佐渡トキ保護センターの送別会
あなたは、さらに興味深いことをみんなに言いました。もしも有精卵ならば、水平のガラスの上に卵を置いたら、きっと、動きますよ、と。みんなは半信半疑で見つめました。息を殺して見つめていたその瞬間、卵が動いてみんなが、びっくりしたことを。
そのあと誕生したのが多くのみなさんが知っている「優優」です。このニュースは日本のテレビの前に座っている多くの人に大きな感動を与えました。あなたがたは、何日かは不眠不休でしたね。
小木のたらい舟
この日のことはとても言葉で表すことのできない一日でした。佐渡トキ保護会会長の佐藤春雄先生は若いころから朱鷺に魅かれ、先生は自分の一生をかけて、トキの観察、研究、そしてトキの保護に尽し、トキと共に生きてきました。
大野亀のカンゾウの花
80歳になってはじめてトキの雛が誕生したといいます。佐藤先生の喜びは、言葉で表すことができない喜びでした。石川県の中国朱鷺保護協会会長の村本義雄先生も80歳の高齢ですが、能登半島でトキの保護に尽くしていました。洋県でトキが再発見されて以来、毎年洋県を訪れ、トキの保護に尽くしてきました。優優が誕生したニュースを聞いて石川県からはるばる佐渡まで優優に会うために喜び勇んでやってきました。
秦嶺山脈(筆者1999年洋県を訪ねたとき)
近辻所長さんは若いとき、トキの観察・研究のため都会から佐渡に来たといいます。何年過ぎたのでしょうか。髪が白くなってようやくこの日を迎えたのです。金子獣医さんは周囲によく配慮する口数の少ない方です。彼もまた言うに言われぬ苦心を重ね、長年、トキの人工繁殖に尽くしてきたので、この成功でほっと一息つかれたことでしょう。多くのおめでとうの電話やお手紙が寄せられました。テレビの中ではあなたが優優に餌をあげている情景が放送され、人々からあなたは「トキのおかあさん」と呼ばれました。
洋県トキ保護センター(1999年)
優優の誕生は一つの奇跡だと人々は言いました。そして、あっというまに半年が過ぎました。優優は日増しに成長し、あなたが帰国する日がやってきました。帰国の前、佐渡のいろいろなところを見て回りましたね。そのとき、あなたは佐渡の環境はすばらしい、大好きになった、佐渡における各方面からのご支援には、ほんとに感謝していると言いました。あなたが出発するあの日、見送りの皆さんは涙を流してお別れをしました。あなたも涙を流してお別れをしました。「みなさんさようなら!友友・洋洋よ・・・さようなら! 優優よ・・・さようなら。 美しい佐渡よ・・・さようなら!」
平成12年佐渡農協洋県の旅(右から一番目洋県トキ保護センター路宝忠所長)
あなたは言いました。トキは人々に幸福を運んでくれる不思議な鳥です。実際にこうして友友・洋洋は「友好のかけはし」となり、人々に夢と希望を与えてくれました。いま、佐渡では、トキ野生復帰のため、環境作りなど、多くの関係者の努力によって自然に返す日も近づいてきました。キンはすでになくなりましたが、そう遠くない将来、必ずや再び、美しいトキの姿が佐渡の大空に舞うことを人々は期待しています。
いまの佐渡(撮影/磯野保)
席さん、佐渡はいま、日増しに暑くなっています。浜辺で遊ぶのにとてもよい季節です。私はあなたと過ごしたあの日々をとても恋しく思い出しています。是非、もう一度佐渡に来て、友友・洋洋やその子供たちを見てやってください。彼らもきっと異国の地であなたに会いたいと思っていることでしょう。あなたと交流のあった佐渡の人々も、そして「美しい佐渡」も・・・待っています。
では、お元気で。
お仕事が順調でありますように!
毎日が充実した日々でありますようにお祈りします。
あなたの友達 買若梅より
2006年8月8日
日本語翻訳: 雑賀三郎
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