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【新発田】農業水利施設百選: 新発田地域の農業用水を支える加治川

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0058228 更新日:2019年3月29日更新

 加治川は、その源を新潟、山形との県境をなす飯豊連峰の御西岳、北股岳に発し、山間渓谷を西流して滝谷集落付近より大きく湾曲し、北西に向きを変え、支流、内の倉川、姫田川を合流し、新発田市内を経て、日本海へ注ぐ、流路延長55km、流域面積346立法キロメートルの二級河川です。
 河川勾配は、上流で1/20~1/50、中流部1/150、旧市内地点を過ぎると緩勾配となります。山間部を過ぎた加治川沿岸は、急に開け穀倉地帯を形成し、産業経済の基礎をなしています。
 大切な農業用水の水源でもある加治川は、豊渇の差が著しく、沿岸の農家は古来よりしばしば洪水や渇水の被害を受けてきました。戦後、国営による大規模な排水改良事業が行われ、洪水被害の防止と乾田化が進められてきました。しかし、新発田地域では、用水不足となっていたことから、乾田化を進めることができず、稲作の改良や機械化も進めることができませんでした。
 このため、国営加治川農業用水事業を立ち上げ、加治川の支流内の倉川に貯水ダムを造り、干ばつ時の不足用水と新発田市の上水道用水を貯留するとともに、洪水調節も行い、併せて2つの頭首工と基幹用水路の整備を行い、農業用水の有効かつ合理的利用を図ることとしました。

新発田地域の農業を支える加治川用水の始まり

内ノ倉ダムのイメージ
内ノ倉ダムの様子

 国営加治川農業水利事業(昭和39年~昭和50年)で、幹線・支線用水路が整備される前は、乙見江、佐々木江、宮古木江、新発田江など加治川から直接取水する20箇所以上もの堰、樋管から用水を取り入れていました。
 加治川は雨が降ればすぐに流れ出し、渇水期には水位がすぐに下がり、順番で加治川の砂を掘り上げて水路を作ったり、取入口を改良するなど人々は苦労の連続でした。
 昭和25年(1950)、国営阿賀野川沿岸大規模事業として、阿賀野川用水区域を拡大してこの加治川沿岸地域約8,500ヘクタールまで用水を供給しようとしていましたが、水系秩序を守ろうとする意見もあり、昭和33年(1958)、加治川地域は阿賀野川用水事業から除外され、加治川沿岸地域独自の事業として計画が進み始めました。

改修前の佐々木江用水のイメージ
昭和30年代の佐々木江用水の様子

 昭和39年(1964)から始まった国営加治川沿岸用水改良事業は、昭和41年(1966)の下越水害、翌年の羽越水害を受け、農業用水(7,445ha)、新発田市の水道のほか、治水機能を加えた内ノ倉ダム(貯水量1,690万立法メートル、昭和48年10月竣工)と第1頭首工(昭和44年3月完成、A=4,198ha、Q=15.29立法メートル/s)、さらにその下流に第2頭首工(昭和45年7月完成、A=3,247ha,Q=12.33ha)、幹線用水路7路線28.8kmの工事を行い、昭和50年(1975)、3月に完了しました。

内ノ倉ダム建設の経緯と役割は

 内の倉ダムは、越後平野北部の加治川沿いに広がる穀倉地帯の農業用水と、新発田市の上水道用水の補給を目的として昭和39年12月に建設計画が決まりました。
 ところが、昭和41年7月と昭和42年8月に発生した加治川の大水害が流域に多大な被害をもたらしました。これをきっかけに、加治川流域を水害から守る機能も加えたダムが改めて昭和43年8月に建設することが決まりました。
 ダム工事は、昭和41年8月から工事用道路などの仮設工事に着手し、昭和43年5月に仮排水トンネル(L=219m)が貫通し、本格的なダムサイト掘削が開始されました。昭和44年10月から昼夜兼行でダム本体コンクリートの打設(日打設量平均400立法メートル)が始まり、昭和47年9月に全コンクリートの打設が完了し、同年12月から湛水が開始されました。このようにして、昭和48年11月に240万時間余にわたる本体工事が死亡事故ゼロで竣工しました。
 なお、内の倉ダムは、かんがい、上水道、洪水調節の3つの機能を持った多目的ダムです。そのため、1年を通してダム湖は満水状態が多く、ダムからの放流は夏期のかんがい用水放流、洪水調節放流、河川維持放流となります。

内ノ倉ダムの構造のイメージ
内ノ倉ダムの構造

内ノ倉発電所の役割

発電概要イメージ
内ノ倉発電所の諸元

 この発電所は、県営かんがい排水事業・加治川沿岸地区で建設、平成2年4月から供用開始しました。
 加治川と内の倉川の合流点上流約700mに設けられた、内の倉ダム(多目的)の利水放流設備を利用して発電するもので、既設利水放流管より水圧管路を分岐、左岸川の段丘部に新設する発電所を経て、放水路トンネルにより内の倉ダム直下流の内の倉川に放流します。
 内の倉発電所は、使用水量2.0~5.0立法メートル/sの範囲で発電し、最大出力2,900kw、年間可能発電電力量は約11,000Mwhとなっています。
 土地改良事業で発電設備を造成する目的は、土地改良施設の操作に必要な電力需要の増大や自然エネルギー資源の有効活用促進、石油需給の不安定傾向に対処するため、水力エネルギーの遊休落差を活用した一連の土地改良施設の維持管理費の軽減を図ることを目的として造成されました。

内ノ倉発電所のイメージ
内ノ倉発電所の様子

加治川から直接取り入れしていた30箇所余りの施設は、国営事業により統合されました

加治川第1頭首工のイメージ
加治川第1頭首工の様子

 昭和39年(1964)から始まった国営加治川沿岸用水改良事業は、昭和41年(1966)の下越水害、翌年の羽越水害を受け、農業用水(7,445ha)、新発田市の水道のほか、治水機能を加えた内ノ倉ダム(貯水量1,690万立法メートル、昭和48年10月竣工)と第1頭首工(昭和44年3月完成、A=4,198ha、Q=15.29立法メートル/s)、さらにその下流に第2頭首工(昭和45年7月完成、A=3,247ha,Q=12.33ha)、幹線用水路7路線28.8kmの工事を行い、昭和50年(1975)、3月に完了しました。この完成により、これまで加治川から直接取水していた30余りの取水樋は、加治川第1頭首工、加治川第2頭首工に統合されました。

幹線用水路のイメージ
左から左岸幹線、乙見江支線、新発田江支線用水路

 加治川第1頭首工から取水した用水は、左岸幹線用水路を流下し、右岸幹線が分岐し、さらに左岸幹線は新発田江支線、乙見江支線、佐々木江支線に分岐し、下流地域を潤しています。また、右岸幹線は、宮古木支線1号、2号に分岐し加治川右岸地域を潤しています。

加治川第2頭首工、左岸幹線、西用水路のイメージ
左から加治川第2頭首工、左岸幹線、西用水路の様子

 加治川第2頭首工から取水した用水は、左右岸から取水し、左岸幹線用水路から西名柄・焼橋・大正・新用水・南部・二本松用水路に分岐、右岸幹線用水路から四ヶ村・西用水路等に分岐し、地域の耕地を潤しています。

農業水利施設百選:桜花 水面に映える派川加治川のせせらぎ水路

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