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お米の質問箱1
Q.1 なぜ新潟県で米づくりがさかんになったのですか?
A.1
新潟県にはおいしいお米ができる条件として、昼夜の寒暖差がある気候の他、信濃川や阿賀野川などの大きな河川があり、これらの河川は上流から豊富な雪解け水とともに肥沃な粘土質の土壌を運び、米づくりに必要な養分を含んだ用水が平野部を潤します。現在、主に新潟平野という広大な平野を中心に、米づくりがさかんに行われていますが、そこでの米づくりは簡単に発達したわけではありません。新潟県の米づくりは、先人たちの数々の努力の賜物(たまもの)なのです。
(1)水とのたたかい
かつて、信濃川の流域に広がる新潟平野は「新潟」と言う名前のとおり、潟がたくさんある水はけの悪い土地でした。ひとたび洪水がおこると、平野の大部分が水につかり、葦(あし)という植物が生えた、沼のような土地が広がっていました。このような土地で胸まで泥に埋まりながら、人々は米づくりをしていたのです。重労働のわりには量がとれず、そこでの米づくりは大変つらい仕事でした。その後、技術の大きな進歩により用水路や排水路が整備され、排水機場のポンプにより水がくみ出され、昭和30年代に入ってようやく今日のような美しい田んぼに改良されたのです。
(2)品種改良や栽培技術の研究
新潟米がおいしいお米の代表となっている今では信じられないかもしれませんが、昔、新潟県のお米はあまり品質が良くありませんでした。そこで、新潟県農業試験場(現・農業総合研究所作物研究センター)では、お米の品種改良に取り組み、昭和6年には収穫量が多く、品質もよい「農林1号」という品種を生み出しました。この「農林1号」は、後に「コシヒカリ」など多くの品種の親となっています。現在、農業総合研究所作物研究センターでは、「コシヒカリ」以上の品種を生み出すための品種改良の他に、おいしいお米を安定してつくるための栽培技術の研究も行われています。