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【柏崎】柏崎の農業をささえた偉人たち(2)

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0048724 更新日:2019年3月29日更新

宮川四郎兵衛(みやがわしろべえ) 52か村もの新田を開拓

元禄13年(1700年)、宮川四郎兵衛は柏崎市野田にある宮川新田や柏崎市上条口の郷原新田など、柏崎の各地で開墾したほか、県内各地で開墾し、多くの土地を豊かにしました。

宮川四郎兵衛は幼少時代から神童といわれていました。成長するにつれ、自然科学の探究に没入し、その中でも測量技術に興味を持ち、新田開拓に生涯をかけることになりました。

宮川新田の土地は、鵜川よりも20mも高く、このような高い台地に田んぼを造るために、より高い上流から用水を引く必要がありました。

出典:わたしたちの柏崎の画像
出典:わたしたちの柏崎

急な山の斜面に用水路の位置を決める作業は非常に大変な作業であり、夜、提灯をつけて、遠くから高低を見てその位置を決めました。

また、道具も十分なものがなく、大変な工事でしたが、大勢の人々の協力のおかげで、4年間かけて宮川新田は開墾され、一面に田が広がる土地となりました。

出典:わたしたちの柏崎の画像
出典:わたしたちの柏崎

宮川四郎兵衛は宮川新田の他、柏崎地方はもとより、県内各地、52か村、4万余石もの新田開発を行いました。また、四郎兵衛の長男将矩(まさのり)・次男儀右衛門(ぎうえもん)も多くの新田開発を行い、豊かな土地をつくっていきました。

参考文献
柏崎市教育委員会小学校社会科副読本編集委員会、わたしたちの柏崎、柏崎市教育委員会、平成24年3月31日全面改定発行、p98-101
柏崎市、「柏崎の先人たち」柏崎・刈羽人物誌、柏崎市、平成14年3月24日発行、p284-285

宮川四郎兵衛(みやがわしろべえ) 52か村もの新田を開拓の画像

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