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人柱供養堂

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0046859 更新日:2019年3月29日更新

人柱供養堂の画像

 この地域は昔から地すべりが多く、旅の僧が地すべりを止めるために自ら人柱になったという伝説がありました。昭和12年に地中から甕の中で座禅を組んだ人骨が発見され、伝説が本当のことであったことがわかり、人柱供養堂が立てられました。現在の供養堂は、平成4年に浄財を募って建て替えられたものです。
 すぐ隣には、地すべり資料館があり、すべり止めお守り等も購入できます。また、資料館では人柱伝説のアニメーションや人形を使った解説を見ることができます。

すべり止めお守り(地すべり資料館内で販売)の画像
すべり止めお守り(地すべり資料館内で販売)

人柱伝説のアニメ(地すべり資料館2階で上映)の画像
人柱伝説のアニメ(地すべり資料館2階で上映)

人柱伝説の解説(地すべり資料館2階)の画像
人柱伝説の解説(地すべり資料館2階)

人柱伝説

 昔、一人の旅僧が、信濃の国から黒倉峠を越えて、越後にやってきた。その途中で、大蛇が何匹も集まって、話をしているのが聞こえた。僧がじっと耳をすませて聞いていると、それは、「黒倉山から流れ出る大熊川や姫鶴川を、地すべりを起こしてせき止めて大きな池を作り、我々の住み処にしよう。」という相談だった。「もし、このことが人間に知られて、栗の木の杭を四十八叩きにして深く打ち込まれ、人柱を建てられたら、地すべりが止まってしまうので、知られないうちに実行しよう。」とも言っていた。
 僧が驚いて震えていると、大蛇に見つかってしまった。大蛇は「今の話を聞いた以上は、ここを通すわけにはいかない」という。僧は誰にも話さないと誓った。そして大蛇に「もし他言すれば、命はないものと思え!」と脅かされて、命からがら猿供養寺の村にたどり着いた。
 ところが村に着いてみると、地すべりにより村は荒れており、村人たちは希望を失い、村を離散しようかと相談していた。僧は哀れに思い、村人たちに大蛇の話をし、四十八叩きの秘法と人柱のことを教えた。それを聞いた村人たちは、さっそく四十八叩きは行ったが、人柱の人選はなかなかできなかった。僧は、「私は大蛇との約束を破って、四十八叩きの秘法を話してしまった。私はいずれ大蛇に殺される。私が人柱になろう。民衆を救うのは僧のつとめだ。」と言って、自ら進んで人柱になった。それ以降、地すべりはピタリと止まった。

 この話は、村人の間で語りつがれていたものであるが、昭和12年に客土のため田んぼを掘っていたところ、高さ90cm直径69cmの大きな素焼きのかめが見つかり、その中から座禅を組んだ人骨が発見された。村人たちは伝説が本当のことだと分かり、僧に感謝して、骨が発見された場所に、人柱供養堂を建てた。
 昭和36年に新潟大学がその人骨を調べたところ、鎌倉時代末期の40代くらいの男性の人骨であると判明した。人骨は、小柄であるわりには脚の骨が太く、腕の骨は細かった。地元の農民であれば、もっと腕の骨が太いはずであり、農作業には携わらずに諸国を行脚している旅の僧のものであろうと推定された。
 平成4年には、新潟県によって隣に地すべり資料館が建てられ、それと同時に人柱供養堂も人々の寄付によって建て替えられ、今の立派なお堂になった。 

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