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再び水害が起こらないことへの祈りを込めて~西条大江口~
再び水害が起こらないことへの祈りを込めて~西条大江口~
2015年01月21日
西条大江口風景
西条大江口(妙高市西条)は、中江開削以来の用水口で当時、越後第一の取水口でした。初めは、新保、西条両村の村境にありましたが、元治2年(1865)に現在の妙高市に用水が必要になる5月頃になると地元の水取組という請負制で、取水を行ってきました。昭和14年(1939)、中江用水は板倉発電所経由となり、西条大江口から取水する必要がなくなりましたが、西条大江口は依然として重要であるとして、それまでの堰止めが継続されてきました。昭和52年(1977)には、取水門扉、吐堰の老朽化により鉄筋コンクリート製の水門となるなど、改修工事も行われましたが、300年以上続いた水取組との長い慣行を双方円満な話し合いにより廃止し、昭和61年(1986)解散となりました。
西条大江口風景
平成7年7月に上越地方を襲った集中豪雨は、関川流域にも深刻な被害をもたらし、西条大江口も破損・流失という被害を受けました。
新たな取り入れ口の建設は、平成7年度梅雨前線豪雨災害復旧事業として行われることになりました。工事は平成8年度より開始され、翌9年度に完成しました。流失前の大江口の位置より上流から取り入れ、盛土部を暗渠で通り、既設の水路に接続しています。
西条大江口風景
西条大江口跡は、昭和61年に公園として整備されていましたが、平成7年の水害により、現地は跡形もなく流されてしまいました。現在ある公園は、災害復旧工事に伴い、忘れ去られた関川への感謝の気持ちと、再び水害が起こらないことへの祈りを込めて、久比岐野川街道・一里塚として新潟県により整備されました。
農業用水利施設現地学習会
現在は小学生や地域住民を対象とした「農業用水利施設現地学習会」の見学コースのひとつでもあり、地域農業に対して重要な役割を果たしているとともに地域住民との関わりも深い施設となっています。