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柏崎市の南部、黒姫山の麓に位置する女谷(おなだに)地区。大学卒業後、高齢化が進むこの女谷の上野集落に移住し、就農した澁江嘉輝さん。この地に住み十年、地域と農業の若き担い手として活躍する澁江さんの思いとは。
女谷地区は柏崎市を流れる鵜川の上流に位置し、初夏にはたくさんのほたるを観賞することができる自然豊かな土地です。地区内にある鵜川小学校跡地の碑には、黒姫山から流れ出る水の恵みで、天領の里でもあったとあり、古くから農業が盛んな地と知ることができます。かつては小学校だけでなく中学校もあり、たくさんのこどもたちもいましたが、人口が減り学校の統廃合を経て、今では小学校跡地に立つ碑からその片鱗を感じるのみです。

昭和63年(1988年)3月末に310人だった人口も、令和7年(2025年)3月末には41人となり、およそ40年間で地区人口は9割近く減少。地区の総人口に占める65歳以上の人口割合は令和7年3月末現在80%になっています。
人口及び高齢化率は柏崎市ホームページ「柏崎市の人口」から高原田、上野、下野、宮原、駒之間の集計値で算出。
柏崎市役所ホームページ「柏崎市の人口」<外部リンク>
新潟県中越地方は、平成16年(2004年)の中越大震災と平成19年の中越沖地震、二度の大きな地震に見舞われました。震災時に小学生だった澁江さんは大学生になると、小千谷市や長岡市川口地域、柏崎市でボランティア活動に携わりました。地震によって失われた集落内の結びつきや集落の再建がメインの頃で、取組を通して地域の様々な活動にはコミュニティの再建が必要という気持ちも培われました。
「活動を通して身近に感じた人、手を必要としているところでこそ働くべきだ」という気持ちや、「産業のない地域は廃れる」との思いにも至ったといいます。活動の繋がりが強かったこともご縁となり、大学卒業後に上野集落へ移住しました。
「この地域も農業が廃れると産業が何もなくなる。私たちがここで農家として営農すること、それこそが一番の地域おこし。」その思いをもって今も活動しています。
移住や就農には在学中から関わりのあった、地元有志による地域づくり団体「だぁ~すけ」の小野代表にお世話になりました。農業は素人だったため国の農業研修制度を使って2年間、農業の後継者を探していた小野代表のもと、農業の基礎や農機具の扱い方などを学びました。研修終了後の2017年に継業する形で独立。2020年に「輝き農場」と名付け、里山が育む澄んだ空気と豊富で清らかな水を用いて「あやこ米」を作り販売しています。安心して美味しい米を食べてもらおうと、農薬と化学肥料を減らし特別栽培米の認証も取得しています。
高齢化で人手不足の集落にとって若き担い手は頼られる存在です。消防団や農業委員をはじめ、様々な集まりの代表や副代表を務めたり、事業の補助金申請など多方面で関わっています。
「ここに十年も住んでいると、諸々地域の役員になる。この地域の柱の一つにはなっているのだろうなと感じる。」役に就くことで地域を知ることもできると、やりがいを感じながら集落に溶け込んでいます。

今年収穫した米と澁江さん。
”八十八と書いて米と成す”、多くの手間と時間をかけて米ができるのだと感じます。無事に収穫できた喜びはひとしおですよね。
米作りとともに行っているのは地域づくりです。集落の広報活動や、ソバ打ち体験、田植え稲刈り体験などの交流を通して集落に人を呼ぶ取組を行ってきました。農業と地域づくりを行うこと十年。その間、大学のボランティア仲間だった山本さんも迎えて励み、今では「だぁ~すけ」の運営も澁江さんたちに代替わりしています。
味噌作りとソバ打ちの様子【写真提供:澁江さん】
農業と地域づくり、地域全体を視野にした活動は二足のわらじというより、「むしろ同じと思っている」と話します。ここで営農することが地域の活性化に繋がるという思いと、どのようにして集落を維持していくかとの視点をもって取り組んでいます。
集落内のマンパワーは限られるため、集落外の人の手を借りることも考えています。近隣集落のイベントや柏崎市の市民活動支援拠点施設「まちから」のイベントに足を運んだり、大学時代の繋がりや大学生との交流を続けたりして人脈を広げ、少しずつ地域活動の仲間づくりを行っています。
柏崎市役所ホームページ「かしわざき市民活動センター『まちから』」<外部リンク>
人口はかつての10分の1、高齢化率80%の集落での生活。40年前は多くの人たちで分担し支え合ったことも、限られた人で担うことになります。集落全体で負担した力仕事や事務仕事、“昔はできたけれど今はできない”が生じるといいます。野生動物から農作物を守る電気柵の設置にしても、道路や水路を避けるために作業範囲が広く、漏電防止や設置効果をあげるための頻繁な草刈りも必要と、様々な場面で人手不足になるそうです。

適切な高さと幅に電気柵を設置するのも一苦労。
「高度成長期の世代は拡大して成長を遂げた世代、単純にやめるでは納得を得にくい。今までのものを続けるにしても、どう存続可能な形にしていくか。広げるのではなく、何ができて何がちょっと難しく、それを代替するものはどうやるか。その模索がすごく多い。」と語る山本さん。集落の人たちと合意形成を図ることが難しくもあるそうで、「やめること、代わりにできることを見つけて地域に還元する。外から入ってきたからこそ見えるものもある。」と。

山本孝太朗さん(左)と澁江嘉輝さん(右)
輝き農場さんのホームページ<外部リンク>