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<26歳で酒造りの世界に飛び込んで10 年。次々と新シリーズを立ち上げては展開させ、全国の酒販店員が選ぶ“最推し酒蔵”の称号、酒屋大賞2024GOLD(ゴールド)賞にまで導いた。>
そんな凄い人がここ柏崎にいると聞き、お話を伺ってきました。
取材させていただいたのは、創業1804年、阿部酒造株式会社の6代目にあたる製造責任者の阿部裕太さんです。
阿部さんは、もともと家業を継ぐつもりはなかったといいます。大学は東京へ、そのまま東京で営業職に就きました。営業まわりのなか、とある食品パッケージを見て、ものづくりに興味がわくと同時に、初めて家業の酒蔵に目が向きました。調べると新規の免許取得が非常に難しい特殊な業界で、親が5代目で閉じようとしていました。
「日本酒の味や香りの幅に感動したし、凄く面白い。」と可能性を感じて、お父様に言います。「3年、時間をください。」
一方、家業も逼迫していて「家業はほぼ死んでいた。」と当時を振り返ります。「うちの蔵はこういう味だ、数年働いてから物を言え、がなかった。戻ったその日からやりたいことができた。」
意欲や行動を縛るものはないけれど、頼るものもない状況でした。
東京の会社を退職して醸造試験場で酒造りを学び、原酒造さんにお世話になりました。「他社の蔵が教えてくれる、こんなに優しいことはない。父親の代では交流のなかった蔵同士が、今では石塚酒造さんを含めてみんな繋がっている。」といいます。
はじめの頃は酒が売れず悔しい思いもしましたが、熱意と行動力でパートナーになってくれる酒屋さんを探しました。思いに応えてくれた2 軒、新潟と与板(長岡市)の酒屋さんと取引がはじまり、今へ繋がったといいます。
日本酒は形も大きさも同じような瓶のイメージ、目に留まるにはラベルも重要になりそうです。「魅せる」ラベルの着想を伺いました。
「あべシリーズ」の「あべブラック」と、「★(スター)シリーズ」の「FOMALHAUT(フォーマルハウト)」。
ひらがな二文字が目を引く「あべシリーズ」。漢字違いの方であっても注目してもらえるようにと、ひらがなにしました。
「★(スター)シリーズ」は「日本酒をイメージしない」がテーマ。作り方が王道から逸脱するため、味わいもイメージとは異なり、飲んだ時にこれ日本酒?と感じるので、ラベルも日本酒をイメージする「ひげ文字」から敢えて逸脱し、中と外のバランスを整えたそうです。また、「季節感も裏に控えていながら、見ただけだと伝わらないという絶妙なもの」として星座名にたどりついたそうです。例えば、同シリーズの「VEGA(ベガ)」は夏場にきれいに見える星座で、ラベルは米が収穫された柏崎の、その時期その田んぼの景色です。
この地の酒蔵として何が活かせるのかを考えたとき、「水と土地」に思い至ったといいます。
「この地で取れた米だけでいい結果がでれば、フォーカスがあたる。もっと柏崎を知ってほしいし、契約農家さんにも誇りをもってほしい。」との思いではじめた「圃場別(ほじょうべつ)シリーズ」。売上の一部を契約農家さんの圃場や景観の整備に充てているそうです。
「圃場別シリーズ」のひとつ、「野田(のた)」。
米の産地を銘柄に土地の風景を配したラベルで、気候や地形の説明もあります。
「有名な産地の酒米で酒造りを追求するのではなく、地元の農家が作った米で最大限やって『チーム柏崎』で結果を出す方が『柏崎で酒を造る意味』がある。」と取り組んだ結果、思わぬ展開も。
商品ができると、「うちの地区は米のうまいところだと、ずっと思っていた。酒にしてくれてありがとう。」と声が届いたり、「自分の縁がある地名を、まさか銀座で見るとは思わなかった。とても誇らしいです。」と言われたりしました。「全然意図していなかったけれど、結果として圃場別シリーズをやってよかった。」と。「何もない、ってみんな言う。けれどもっと深掘りしていくと、実は伝えたいけれど、恥ずかしい、自信がない、などで伝えられないだけ。」
少人数だった蔵も人が増え、今は世代が近くコミュニケーションギャップもないけれど、20 年後は全員40歳以上。次の若手にも仕事を用意しておく必要があると話します。
今まで契約農家さんからしか米を仕入れるルートがなかったけれど、自分たちで米を作れるようになっているそうです。
酒造業界の担い手づくりにも力をいれています。研修生を受け入れて、実験的な酒を造ったりコスト感を掴んでもらったりしているそうで、福島の南相馬市や福岡の博多市、ここ柏崎市にも卒業生がいます。「人間って、人から頼られたり感謝されたりすることがモチベーションになるんだな、と日々感じている。」といいます。
柏崎市安田の直売所を目的にする人も増えたそうです。酒を好きな人や、転勤や帰省で地元に縁のある人がお土産にしています。
来られた方の満足度をより高めるためには、直売所のまわりにある空き家を活用して泊まれる場所を作っていきたい。その空き家も、料理や何かやりたい人が集まる場になればと考えています。
「自分のお店を出すのに、まずは3年くらいここで挑戦するという環境を作れたら。来られた人に満足いただける食体験を演出できたらいいな。」
「ものづくり」と「ひとづくり」、さらには「人が集まる場づくり」に向けて、挑戦はまだまだ続きそうです。
「柏崎にあるのなら、柏崎を活かさないとだし、柏崎の人たちに誇ってもらえないとだし、柏崎の大地でやることが我々の心。」
東京の営業職に就いた新卒時代、中途採用の人達と目標数値が同じ状況下で厳しく鍛えられた経験が自分を成長させたといいます。阿部さんの「切磋琢磨できる環境に身を置く」、「失敗をおそれずに挑戦を楽しむ」姿勢とお話は、これから社会に出る学生にとっても心強い応援メッセージになりました。
取材に同行してくれた新潟産業大学経済学部の藤野 凜(ふじの りん)さん(左)と本田 翔大(ほんだ しょうた)さん(右)