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【加治郷土地改良区】

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0058273 更新日:2019年3月29日更新

「加治郷土地改良区」を紹介します

加治郷土地改良区の管内図
加治郷土地改良区の管内図(この地図は国土地理院発行の5万分の1地形図を使用)

 加治郷土地改良区は、南は坂井川右岸地域の要害山の裾野の中森・麓集落から下流、また櫛形山脈の北側で、西は加治川右岸の早道場・向中条・下草荷集落まで、北は日東道周辺の高山寺・片桐、さらには見透川右岸地域まで、東は金塚・貝塚集落周辺までの約2,000ヘクタールの農業用の用排水路や施設を管理し、用水系統では大きく3つに分けることができます。
 加治郷土地改良区の前身は、昭和28年(1952)に北蒲原土地改良区、24の事業所が設置されたひとつで、昭和31年(1956)にそこから独立し、加治郷土地改良区が設立されました。

加治郷土地改良区の用水

要害山(加治城)を背にする坂井川頭首工の画像
要害山(加治城)を背にする坂井川頭首工

 1つ目として、昭和41年(1966)に県営事業で完了した坂井川頭首工からの用水区域約900ヘクタールです。坂井川は、渇水期に十分に水量が確保できないことから、その流域周辺では、排水路からの水を反復利用する揚水機場や江堰なども利用されています。

県営事業により用排分離された大樋用水の画像
県営事業により用排分離された大樋用水

 2つ目は、水源を櫛形山脈とした渓流水掛かりですが、渓流の沢が浅く、よく枯渇するため、4カ所のため池と排水路からの汲み上げ水を利用する揚水機場で、約300ヘクタールの耕地を潤しています。
 3つ目は、昭和45年(1970)に完成した加治川第2頭首工の右岸幹線用水路から取水する約800ヘクタールの耕地です。土地改良区では、用水区域を復興用水区、小松用水区、四ヶ村用水区、草荷用水区、箕輪用水区の5つに分け、維持管理を行っています。

加治郷土地改良区周辺の耕地整理と用水改良の動き

大井川に設置されている五郎兵衛堰の画像
大井川に設置されている五郎兵衛堰

 江戸時代の享保年間(1716~1735)の初め頃まで、この地域の北側には、2,000ヘクタールにも及ぶ塩津潟(紫雲寺潟)が広がっていました。周辺では、たびたび洪水被害を受けていたことや耕地を拡大するため、享保6年(1721)、この湖沼を干拓する長者堀(落堀川)の最初の開削が行われ、その後竹前兄弟による長者堀の再掘削が享保13年(1728)行われました。

近年ほ場整備された画像
大区画に整備された坂井川右岸地区

 さらにこの潟に流入していた坂井川(今泉川)、加治川(境川)の背替えや締め切りを行い、この周辺に新たな村々(新田)が誕生していきました。
 その後、干拓された地域への用水として、坂井川から取水する大樋用水(加治川沿い~相馬~金塚~岡島)や四ヶ村用水(加治川~押廻~川尻~古川~大中島)、落堀川上流(見透川)の上の堰、俵橋堰や大井川の五郎兵衛堰、三ノ堰などが設置されていきました。
 明治30年代に、耕地整理法、水利組合法などが制定され、収量増を目的に大地主や三菱合資(株)、浮田家などによる耕地整理が明治39年(1906)から昭和の初めまで、大樋用水沿いの排水しやすい地域となる金塚や城塚新田、岡島などで行われました。

 戦後、食料増産の推進もあり、加治郷耕地整理組合が設立され、昭和23年から泉、加治、中川、住田地域の約670ヘクタールで耕地整理や暗渠排水が行われました。
 また、耕地整理に追随し、昭和35年(1960)から県営坂井川右岸用水改良事業(受益面積1,272ヘクタール)が始まり、昭和39年(1964)には国営加治川用水改良事業(受益面積8,981ヘクタール)、昭和45年(1970)から附帯県営加治川沿岸用水改良事業(受益面積7,040ヘクタール)が始まり、用水改良の施設整備が進みました。
 昭和41年(1966)の下越水害、昭和42年(1967)の羽越水害により、管内の向中条、押廻地域においては、加治川の堤防決壊による土砂の流出で農地が埋まる被害を受け、災害復旧事業を活用した標準区画20アールの区画整理と用水路、排水路、農道(6m)が整備されました。
 近年、1区画50アール~1ヘクタール以上となる大区画のほ場整備が加治郷土地改良区管内でも始まり、平成5年には金塚地区(A=511ヘクタール:平成21年完了)、平成9年から加治川地区(A=504ヘクタール)、坂井川右岸地区(A=269ヘクタール)、平成10年から中川地区(A=204ヘクタール)で工事が始められ、管内の大部分が大区画に整備されました。

排水改良の動き

 江戸時代に干拓された塩津潟(紫雲寺潟)周辺の耕地整理は少しずつ進んでいきましたが、落堀川に注ぐ水は、時には氾濫して護岸が決壊し、付近の水田に浸水し稲作に被害を与えることがしばしばありました。
 このような状態を改善するため、関係市町村は、昭和の初期から県に落堀川や支川の改修要望を行い、昭和9年(1934)から昭和12年(1937)まで県は測量を実施しました。
 しかし、戦時中でもあり、事業実施には至りませんでしたが、戦後の食料増産の推進を受け、県営落堀川沿岸農業水利改良事業(昭和21年~昭和32年)が開始されました。
 工事の内容は、落堀川3.2km、十文字川4.2km、舟戸川4.7km、見透川6km、大井川2.1km、小堀川2.6km、柴橋川3.3km、底樋川0.6km、河根川0.8km、堀川1.7kmの合計29.3kmの大小排水路の改修で、周辺の耕地約3,900ヘクタールの排水改良を実施しました。この排水改良に併せ、管内全域で10アールの耕地整理や暗渠排水工事が進められました。

昭和20年代に改修された大井川の画像
昭和20年代に改修された大井川

 近年、落堀川流域上流での開発や宅地化で流出量が増加し、落堀川水位の上昇や排水路の自然排水能力の低下、さらには水田の地盤沈下もあり、しばしば湛水被害が発生していたことから、昭和59年(1984)、湛水防除事業落掘川地区として採択され、現在、排水機場3カ所、十文字川2.7km、大井川1.6km、堀川4.8km、小堀支線排水路0.6km、伊勢堀川排水路0.8kmの整備を進めています。

坂井川頭首工の紹介

坂井川から取水する坂井川頭首工の画像
坂井川から取水する坂井川頭首工

 昭和32年(1957)に完了した県営落堀川沿岸農業水利改良事業により、周辺の耕地整理や暗渠排水整備が進められていました。これにより用水量の増が必要に迫られていましたが、主要水源である坂井川は年々河床が低下、要害山の裾にある麓集落から取水していた一本樋取入口の老朽化により、十分な水量が確保できませんでした。

 約1,200ヘクタールを潤していたこの取入口の抜本的改修を熱望し、昭和33年(1958)、県営坂井川右岸用水改良事業で新たにこの取入口下流に坂井川頭首工1カ所を設置し、幹線用水路2.1km、大樋用水路5.9km、新保小路2.7km、旧川用水路1.9km、附廻用水路0.6kmなどが計画され、昭和41年度までに全体延長13.2kmをコンクリートブロック等で用水改良を実施しました。
 坂井川頭首工は、この事業により洪水調整機能を持たせた可動堰に生まれ変わり、スムーズな用水調整が可能となりました。また、大樋用水はそれまで用排兼用水路でしたが、それを分離して、用水路と排水路が平行して流れる水路になり、生活雑排水の入らない用水となりました。

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