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【豊栄土地改良区】

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0058279 更新日:2019年3月29日更新

「豊栄土地改良区」を紹介します

豊栄土地改良区の管内図画像
豊栄土地改良区の管内図(この地図は国土地理院発行の5万分の1地形図を使用)

 豊栄土地改良区は、東に福島潟、西に阿賀野川、北は新井郷川まで、南は内沼沖、上大月、上堀田、灰塚集落までの耕地(田面の標高-1.0m~3.5m)約2,670ヘクタール、揚水機場55カ所、排水機場11カ所、用排水路延長652kmを管理しています。

豊栄土地改良区の成り立ち

2つの機場で新井郷川に排水する長浦岡方排水機場の画像
2つの機場で新井郷川に排水する長浦岡方排水機場

 土地改良区は、平成10年(1999)に北蒲原郡大沼ブロック土地改良区、杓子潟土地改良区、長浦岡方土地改良区を新設合併して設立されました。その後、平成17年(2006)、福島潟土地改良区を吸収合併し、現在に至っています。

明治中頃~昭和20年代には、数多くの水利・水害予防・耕地整理組合がありました

豊栄市街地を流下する新井郷川の画像
豊栄市街地を流下する新井郷川

 新設合併前の各土地改良区は、昭和24年(1949)の土地改良法の制定により設立された組織ですが、それ以前は、数多くの水利・水害予防・耕地整理組合がありました。

北蒲原郡大沼ブロック土地改良区 昭和26年5月設立、関係面積862ヘクタール

 新江用水普通水利組合(M26)、長場堰悪水組合(M28)、内沼水害予防組合(立法メートル7)、新鼻水害予防組合(M40)、新井郷川水害予防組合(T1)、大沼排水組合(T3)

杓子潟土地改良区 昭和32年11月設立、関係面積95ヘクタール

長浦岡潟耕地整理組合(T4)、杓子潟悪水普通水利組合(昭和22年)、北蒲原土地改良区(昭和27年)

長浦岡方土地改良区 昭和33年2月設立、関係面積1,410ヘクタール

 江戸時代の新江用水組、新江用水普通水利組合(M23)、越岡水害予防組合(M23)、長浦岡方普通水利組合(昭和22年)、北蒲原土地改良区(昭和27年)

福島潟土地改良区 昭和38年5月設立、関係面積191ヘクタール

 国営福島潟干拓建設事業の前段に非補助干拓事業に着手するために設立

用水改良・排水改良の始まり

水田地帯を流下する長浦岡方排水路の画像
水田地帯を流下する長浦岡方排水路

 豊栄土地改良区は、全体の85%が阿賀用水受益で、残る15%は、新井郷川などから取水しています。また、排水は国営、県営事業で改修された基幹排水路により、主に新井郷川へ排水(一部常時機械排水)されています。

 享保15年(1730)、新発田藩となっていたこの地域では、阿賀野川の上水だけを日本海に流す松ヶ崎分水路工事が開始され、翌年の大洪水により川幅が3倍にも広がり、福島潟周辺の沼地の水位が2mも低くなり、ヨシやマコモの茂っていた湿地は干上がり、3,800ヘクタールもの新たな土地が生まれたといわれています。

長場地内を流下する長浦2号水路の画像
長場地内を流下する長浦2号水路

 その後、この地域では干拓や排水改良が盛んに行われ、大正9年(1920)には、新井郷川を阿賀野川から切し放し、直接海に流す工事(S9完了)が始まりました。昭和16年(1941)からは、国営阿賀野川沿岸農業水利事業(排水)が着手され、昭和29年(1954)、新井郷川排水機場が一部稼働し、水位はさらに低下し、潟周辺でも耕地整理や用排水改良が盛んに行われました。

灰塚周辺を流下する新江幹線水路の画像
灰塚周辺を流下する新江幹線水路

 これにより、用水不足が深刻となり、地域の人々は、昭和38年(1963)から始められていた阿賀野川頭首工を水源とする国営阿賀野川用水農業水利事業に用水を求めました。用水最末端となるこの地域では、昭和42年(1967)から国営に続く附帯県営事業(平成3年完了)も開始され、安定した用水供給が可能となりました。

阿賀野川頭首工からの用水

 豊栄土地改良区管内の耕地への用水は、大きく2つのルートがあります。一つは、阿賀野川頭首工、小松隧道・右岸幹線用水路から阿賀野市街地の南側の小里川・安野川周辺を流下する福島潟西部幹線用水路から長浦1号、長浦2号用水路に分流し、新潟市北区の大月・長場・内沼方面へ供給されるルートです。

長戸呂地内を流下する新江用水路の画像
長戸呂地内を流下する新江用水路の様子

 2つ目のルートは、阿賀野川右岸沿いに小松隧道・新江幹線用水路から十二用水、西股1号、2号用水路に分流し、長戸呂・大瀬柳・高森方面に供給されています。なお、この地域は用水路末端にあり、上流からの十分な用水が供給されないことから、途中、阿賀野川脇の越岡揚水機場で用水の補給が行われています。

新井郷川周辺の排水改良

国営事業によって改修された駒林川の画像
国営事業によって改修された駒林川

 排水についても、周辺の開発等により流出量が増大してきたことから、昭和48年(1973)に湛水防除事業豊栄西部地区が採択され、長浦岡方新排水機場、新大沼排水機場、杓子潟排水機場のほか、幹線排水路が改修されました。

新井郷川に排水する大沼排水機場の画像
新井郷川に排水する大沼排水機場

 また、国営で造成した施設も老朽化し、流出量が増加し湛水被害を受けていたことから、昭和63年(1988)から平成19年(2007)にかけて、新井郷川排水機場の更新(110立法メートル/s)、長浦岡方排水機場、大沼排水機場を新設し、内沼排水路や駒林川、福島潟承水路を整備しました。

大正時代から始まった耕地整理

 明治30年代、食料の安定供給を目的に耕地整理法や水利組合法が制定され、組合による交換分合と区画整理を目的とした耕地整理のほか、水害防止・用水改良が可能となりました。また、大正時代になり、周辺では広域的な阿賀野川の河川改修や新井郷川放水路工事が始まりました。
 大正4年(1915)、人々は生産力の増強と地区内の排水改良を目ざし、1,320ヘクタールの耕地整理(~昭和6年)が開始され、昭和30年代までに各地域で耕地整理や暗渠排水工事が行われました。
 昭和40年代、農作業の機械化が進み、これまで整備された10アール区画では効率が上がらないこと、また農道も狭く土水路の維持管理にも多大な労力を要していたことから、昭和48年(1973)から1区画30アール~50アールの大区画に整備されました。

非補助干拓地

昭和38年~昭和39年:22ヘクタール

国営福島潟干拓地

昭和41年~昭和52年:169ヘクタール

長浦岡方地区

昭和48年~昭和59年:398ヘクタール

長浦岡方第2地区

昭和62年~平成4年:181ヘクタール

長浦岡方第3地区

平成6年~平成14年:221ヘクタール

三ツ森川原地区

平成12年~平成17年:30ヘクタール

管内の土地改良区紹介はこちらから

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