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【豊浦郷土地改良区】

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0058282 更新日:2019年3月29日更新

「豊浦郷土地改良区」を紹介します

豊浦郷土地改良区管内図
豊浦郷土地改良区管内図(この地図は国土地理院発行の5万分の1地形図を使用)

 豊浦郷土地改良区は、新発田市の南部に位置する扇状地で、東は松岡・八幡・六日町・荒町地域から、南は月岡温泉周辺まで、西は福島潟周辺の本田・天王・乗廻、北は上中沢・日渡・西宮内周辺までの耕地約2,700ヘクタールの農業用用排水施設を管理し、農業用水については管内で唯一、「阿賀野川頭首工からの用水」と「加治川第1頭首工からの用水」の両方から取水している土地改良区です。
 「阿賀野川頭首工」からの取水は、阿賀用水右岸土地改良区連合(阿賀野川、豊栄、笹岡、豊浦郷土地改良区)、「加治川第1頭首工」からの取水は、加治川沿岸土地改良区連合(川東、米倉、新発田、五十公野、豊浦郷、佐々木、加治郷、紫雲寺、聖籠、木崎濁川土地改良区)を組織し、共同で管理しています。
 土地改良区では、用水施設として用水路9路線、水管理施設3工区、揚水機場23箇所、頭首工2施設、排水施設としては排水路16路線、排水機場4箇所を維持管理しています。
 排水については、福島潟から新井郷川に排水される区域と太田川から新発田川の排水される区域の2つに分かれています。

新潟県認可第1号の豊浦郷土地改良区の前身「中浦村土地改良区」

昭和25年の吉浦耕地整理記念画像
吉浦耕地整理記念(昭和25年3月)

 昭和24年(1949)に土地改良法の制定が制定され、翌年、新潟県認可第1号として、「中浦村土地改良区」が設立されました。その後、松浦出張所や佐々木出張所が設置され、平成17年(2005)には、本田土地改良区を吸収合併し、現在の豊浦郷土地改良区となっています。
 なお、豊浦郷土地改良区の名称は、昭和32年(1957)、中浦村土地改良区の名称を変更されたものです。

耕地整理の始まり

 明治32年(1899)に耕地整理法、明治38年(1905)の同法の改正、明治41年(1908)の水利組合法の制定により、耕地整理の強制加入や耕地整理と併せたかんがい排水事業の実施、交換分合などが実施可能となりました。
 県内ではこの頃から最初の耕地整理がはじまり、豊浦郷土地改良区管内では旧中浦村の天王で明治44年(1911)から約180ヘクタール、旧本田村周辺で大正2年(1913)から約380ヘクタールの耕地整理が行われました。
 戦後には、食糧増産のかけ声とともに中浦、松浦、佐々木地域で耕地整理が始まり、地域全体で耕地整理や暗渠排水、用排水改良が行われました。
 機械が発達していなかった当時は、鍬やスコップのみで一輪車も無く、ゴム長靴さえ買えない蓑笠、草履履き、しかも冬季で、すべて人力による作業が行われていました。

加治川からの用水

昭和40年代に施工された乙見江用水路のコンクリート管画像
昭和40年代に施工された乙見江用水

 加治川から豊浦郷地域への用水は、加治川第1頭首工が完成する以前までは、現在の加治川第1頭首工付近にあった乙見江取水口(乙見江)、佐々木江取水口(佐々木江)から用水が供給されていました。昭和44年(1969)に頭首工が完成し、それ以降は、左岸幹線用水路から支線用水路に分流し、豊浦郷の耕地約2,000ヘクタールへ配水しています。

 なお、この加治川第1頭首工は、昭和39年(1964)から始まった国営加治川沿岸農業水利事業により築造されたもので、昭和30年代に新発田市全域で耕地整理や排水改良が進んだことで、用水が不足となり、加治川から取水していた乙見江、宮古木江、佐々木江、新発田江及び野田江などの取水口を統合して、昭和44年(1969)に建設されたものです。

松岡川を横断する乙見江支線用水路の水管橋画像
松岡川を横断する水管橋

 用水を地域別に見てみると、上流域の月岡・荒川方面への用水は、乙見江支線から県営で造成した松岡用水路で、また、八幡・六日町方面へは、県営八幡用水で、松浦・赤橋方面へは松浦用水で地域の耕地を潤しています。下流の福島潟周辺の乗廻・三ツ椡・中ノ目・池之端方面へは、乙見江支線(コンクリート三面張)が城山の裾野を流れ、法正橋付近から送水管(φ1.5m~1.2m,L=2.4km)となり、さらに松岡川を水管橋で横断し、乙見江用水路に流れています。

松岡川から取水する新江頭首工の画像
松岡川から取水する新江頭首工

 乗廻・三ツ椡・中ノ目方面へは、そこから2本の幹線パイプライン(φ1.2m~1m)で福島潟方面へ送水され、その送水管理は、遠方で操作が出来るようコントロールセンターやサブセンターが設置されました。また、太田川左岸付近の池之端・西蓑口方面へは、乙見江用水路(コンクリート三面張)から地域の耕地を潤しています。このパイプラインを遠方操作で管理するコントロールセンターやサブセンターも設置され、当時では先進的な管理システムが設置されました。

 また、竹ヶ花、北蓑口、西宮内、則清方面へは、左岸幹線から分流した佐々木江支線用水は、上荒町のブルボン豊浦工場付近で県営西江用水路と北江用水路に分かれ、その周辺耕地を潤しています。

阿賀野川からの用水

下飯塚自治会が管理する農業用ため池、下之堤画像
下飯塚地内にある農業用ため池「下之堤」

 また、この用水が届かなかった本田、興野、天王地域では、真木山、本田山周辺に「農業用ため池」を造り、そこから水を取水していましたが、安定した用水供給ができなかったことから、昭和37年(1962)から始まった国営阿賀野川用水農業水利事業で建設する阿賀野川頭首工に用水を求めました。
阿賀野川から取水した用水は、小松隧道を経由し、右岸幹線水路として阿賀野市の大室・七浦を流下し、さらに金屋・笹岡周辺を隧道(水路トンネル)で流れ、豊浦用水、本田用水路から用水末端となる本田や天王、加治万代地内の耕地約700ヘクタールへ流れてきます。

古舘橋付近の太田川と松岡川合流点の画像
古舘橋付近の松岡頭首工

 排水については、上流からの数多くの排水路が福島潟に流入していたことから、潟周辺の本田、天王、三ツ椡、乗廻地域では、洪水のたびに排水で苦労していました。
 大正9年(1920)、福島潟の排水は新井郷川から阿賀野川に直接流れ出ていましたが、阿賀野川の水位が高く、新井郷川の排水が流れ出ないことから、新井郷川を阿賀野川から切り離す工事が始まり、昭和9年(1934)に日本海に直接流れる工事が完了しました。

地域の排水改良

 さらに昭和16年(1941)からは国営阿賀野川沿岸農業水利事業(排水)が着手され、新井郷川排水機場(S36完成)や新発田川自然排水幹線(現太田川)や新発田川自然排水幹線(現松岡川)や太田川(現天辻川)、奥右衛門川排水路、吹切川排水路などが昭和49年(1974)までに改修され、区域内の排水は大幅に改善されました。
 その後、県営で吉浦・福島・乗廻・乙次地域(排特)や本田地域(湛水防除)が行われ、平成21年(2009)から県営かんがい排水事業阿賀右岸第1、2期地区として、水田の汎用化と湛水解消に向け、奥右衛門川や吹切川の排水改良を進めています。

担い手への農地利用集積を進めています

平成24年に竣工した三悠乙見江地区画像
平成24年に竣工した三悠乙見江地区

平成25年に竣工した太斎地区画像
平成25年に竣工した太斎地区

 大区画のほ場整備については、農業の機械化の大型化と農業生産性の向上と農業経営の安定を目的に、昭和51年(1976)から本田・天王地区(30アール区画)で2度目のほ場整備が始まり、さらに平成14年(2002)に小坂地区(50アール~1ヘクタール区画)、平成24年(2012)に三悠乙見江地区が完了し、25年度に太斎地区が完了しました。また、新たに25年度から松浦地区(328ヘクタール)が採択され、大区画のほ場整備を進めています。

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