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【新発田】農業水利施設百選: アイヌ語で清い川・胎内川の用水施設

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0058220 更新日:2019年3月29日更新

胎内川頭首工イメージ画像
胎内川頭首工の様子

 胎内川の農業用水は、胎内川頭首工が平成元年(1989)に更新され、左岸797ヘクタール、右岸890ヘクタール、計1,687ヘクタール、許可取水量かんがい期6.34立法メートル/s、代掻き期10.97立法メートル/sが配水されていますが、この統一管理が実現されるまでは、長い期間と数々の水争いがありました。
 現在の頭首工が完成する以前には、その上流200mに昭和27年(1952)に造られた樽ヶ橋頭首工がありました。その頭首工完成以前は、その胎内川下流の右岸側には、黒川一ノ堰、三ノ堰、大江用水があり、左岸側には胎内川一ノ堰普通水利組合が管理する旧名「二ノ堰」が、黒川一ノ堰の下流から取水していました。

左岸側にあった胎内川一ノ堰普通水利組合の堰イメージ画像
左岸側にあった堰(胎内川沿岸土地改良区提供)

 しかし、取水が困難な状態となったことから、水利組合は明治30年(1897)、黒川一ノ堰の上流に取水口を移しました。この取水口設置に当たっては、取水量制限をもって右岸側の一ノ堰水利組合から了解が得られました。
 胎内川は、渇水期には水が無く、降雨時には増水する河川で、この頃、耕地整理に伴う左右岸の用水不足が深刻となっていました。大正初期、右岸側の了解なしに、胎内川一ノ堰普通水利組合(旧二ノ堰)では、河床掘削や取入口の改良などを行い、左右岸の組合で用水紛争が繰り返されました。

樽ヶ橋頭首工のイメージ画像
今は無き、樽ヶ橋頭首工の様子

 昭和15年(1940)、黒川一ノ堰組合は、胎内川一ノ堰普通水利組合を被告として水利権の確認の訴えを新発田裁判所に提起(一ノ堰事件)しました。昭和19年(1944)、食料生産の重要性は左右岸とも同じということで、左右岸協力のもと、協議会を設立して、水配分については、協議し、成立しない場合は県に一任するととなどを条件に調停が成立しました。

 これが、戦後の昭和22年(1947)から開始された県営胎内川沿岸用水改良事業の始まりです。左右岸の耕地約2,300ヘクタールの耕地に水を安定供給するために、樽ヶ橋地内に頭首工を設置するとともに、左右岸それぞれ10kmにも及ぶ水路を開削するほか、胎内川右岸側扇状地の水田約700ヘクタールの漏水対策として、粘土補給をするための汚泥客土(流水客土)を昭和48年(1975)まで実施されました。

本郷江用水路の画像
本郷江用水路の様子

 近年、これら用水路も野面石構造で、老朽化が進み、漏水が激しくなったことや施設の維持管理にかなりの労力を要していたことから、水路のコンクリート3面張と水管理システムを実施することを目的とした県営かんがい排水事業(受益面積約2,800ヘクタール)が平成2年(1990)から着工され、平成24年度に完了しました。この改修水路延長は約35km、費用は約82億円にも及びます。
 特に左岸側の幹線用水路である本郷江用水路は、胎内市街地を流下する延長約3km、流量で約5立法メートル/s、受益面積1,400ヘクタールを潤す農業用水路で、近隣住宅の防火用水としても利用されています。

胎内川から取水する夏井頭首工

夏井頭首工のイメージ画像
夏井頭首工の様子

 夏井頭首工は胎内川の上流の左右岸75ヘクタールに用水を供給する取水施設です。従来草堰であった施設も昭和41年(1966)、42年(1967)の水害で流出し、災害復旧事業によりコンクリート造りに改修され、その後、昭和59年(1984)に県営事業で一部改修され、さらに団体営事業により管理橋が改修され現在に至っています。
 施設周辺には胎内リゾート施設のフィッシングパークやボート遊び、大噴水などがあります。

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