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農業水利施設の歴史探訪シリーズ vol.10 『新津最古の用水堰』

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0055448 更新日:2019年3月29日更新

施設概要【にいがた農業水利施設百選(整理番号76)】

1.施設概要

 新潟県の東部に位置する旧新津市(現新潟市秋葉区)草水町にあった一之堰は、市内を流れる能代川の右岸全体に用水を取り入れるために使われた分水施設です。
 この一之堰は1967(昭和42)年の阿賀用水完成により使命を終えましたが、堰の跡は今も能代川分流記念公園の中に残っています。
一ノ堰跡地の画像
一ノ堰跡地

堰の跡(現在は橋として利用)の画像
堰の跡(現在は橋として利用)

2.インタビュー協力

インタビューの様子の画像
インタビューの様子

  • 渡辺 幸作 さん(地域の方)
  • 石井 実 課長(新津郷土地改良区)

3.一ノ堰の歴史

(1)堰の創始

 一之堰は、新津(現新潟市秋葉区)で最も古い用水堰と言われています。
 その昔、この地域には安定して用水を確保できるような用水施設が整っておらず、農民たちの生活は毎年の気候に大きく左右されていました。
 このような状況を受け、当時の領主丹波守勝資は、上杉家の家臣で利水工学に精通していた澤田半右衛門に、農業用水を確保するための堰の創設を命じました。当時、付近を流れていた能代川を堰き止める一大工事でしたが、数年の苦労を重ね、1533(天文2)年に一ノ堰が創られました。
 一之堰は当初、その地名から「新津堰」または「草水堰」と呼ばれていましたが、その後1623(元和9)年に二之堰、1672(寛文12)年に三之堰が創られると「一之堰」と呼ばれるようになり、次第にこの名前が定着していきました。
 一之堰ができたことにより農業用水が安定し、農民の生活が豊かになったことから、第15代丹波守勝資の家老古田孫七郎資能は1580(天正8)年に「程島(現新潟市秋葉区)に屋敷と田、それに百姓も与えるので、いっそう奉公に励むように」という主旨の書付を与えました。
 さらに同年、丹波守勝資自身からも「支給した屋敷には領主も立ち入らないし、自己の耕作地からは税も徴収しない」という主旨の特典まで付与されました。これにより澤田半右衛門の子孫は代々半右衛門の名を襲名し、この堰を守り続けることとなりました。

(2)堰と水害

 一之堰のある能代川は肥沃な農地を潤す恵みの川でしたが、別名「九十九曲り」と呼ばれるほど曲折が多い川であり、ひとたび豪雨に遭うと流域の農地はもとより、市街地にも大きな被害が出るほどの暴れ川でした。
 創られた当時から一之堰は草堰※であったことから、大雨が降るたびに流されてしまっていました。そのたびに復旧が必要となり、多くの土や石などの材料が必要であったことから、能代川一之堰普通水利組合では自ら山林を所有し、材料の調達にあたっていました。
 毎年のように流されてしまうので頑丈に造りたかったところですが、頑丈に造ってしまうと上流で水が上がってしまうことから、本堰とは別に副水路を造成し、そちらの堰が流されるような工夫をしたといいます。
 ※草堰小川や緩流河川を石・杭・柵などで堰止め草や土などで粗く間隙をつめたもの。

埋め立てられた副水路の画像
埋め立てられた副水路

 明治の初期には固定堰に改めようという計画が上がりましたが、上流住民の強い反対により実現せず、1927(昭和2)年になってようやくコンクリートの水門へと創り替えられました。これに伴い、組合で保有していた山林は売却されたとのことです。
 戦後の農業基本法のもとでの農政展開の一環として、1961(昭和36)年から国営阿賀野川用水土地改良事業が着手され、阿賀用水の完成を受け一之堰と二之堰は1967(昭和42)年に400年以上にわたる使命を終えました。
 また、1966(昭和41)年と1967(昭和42年)に続けて襲った大雨により、農地だけでなく市街地にも記録的な大被害を及ぼしたことから、1967(昭和42)年度から能代川分流工事が行われ、下流に位置していた三之堰も1975(昭和50)年に撤去されました。

山林の売買に係る契約書の画像
山林の売買に係る契約書

4.最後に

名残として今も残るバス停「一之堰」の画像
名残として今も残るバス停「一之堰」

 コンクリート水門が造られるまでの約400年もの間、造っては流されを繰り返し、そのたびに山から材料を運び続けたことで、その場所は大きく開かれ、今では住宅地になっています。一之堰は農業用水を確保するという役目を終えましたが、この集落にあるバス停には、その名残からか「一之堰」と名が付けられています。

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