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長岡地域の「上の原土地改良区」を紹介します。

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0053587 更新日:2019年3月29日更新

上の原土地改良区の管理する農地の画像

上の原土地改良区は、越後川口インターチェンジ周辺に広がる農地を守っています。(写真は、卯ノ木地域の耕地です。)

土地改良区は、

  • 農業生産を行う上で欠かせない用排水施設の整備・管理や農地の整備を目的として設立された農家の組織です。
  • 国土の保全や美しい農村景観など多面的機能を持つ大切な資源である農地や農業用水を次世代に引き継ぐ役割を担っている組織です。

上の原土地改良区の概要

上の原土地改良区域の画像
上の原土地改良区の区域図

 上の原土地改良区は、小千谷市と長岡市(旧川口町)の境界に位置する関越自動車道越後川口インター周辺の農地・農業用施設を管理しています。
 土地改良区設立は、この地域の開田を目的に昭和31年8月に組織されました。現在管理面積は、38ヘクタール、組合員65名で、揚水機場1箇所と地区内の用排水路を維持管理しています。
 土地改良区の区域は、インターチェンジのある周辺の上の原地区A=24ヘクタールと信濃川脇の卯ノ木地区A=14ヘクタールの耕地を管理しています。両地区ともJR発電所増設工事前までは、信濃川から取水し、揚水機場から導水していましたが、現在は取水が困難となったことから、JR発電所への隧道から取水し38ヘクタールの耕地に配水しています。
 用水は、JR隧道から導水管により自然流下し、分水槽~送水管~土水路~コンクリート水路を経由して、上の原土地改良区域内へ流入します。
 上の原地区は、コンクリート水路から取水し、揚水機場により約70m上にある耕地に圧送しています。
 また、卯ノ木地区はコンクリート水路から卯ノ木隧道を流下し、耕地に用水を供給しています。

揚水機場手前のコンクリート水路の画像
揚水機場手前のコンクリート水路の様子

卯ノ木隧道の入り口の画像
卯ノ木隧道の入り口の様子

平成16年の中越大震災により揚水機場が滑落・転倒

 小千谷市塩殿にあった旧揚水機場は、地震により機場背後の地山とともに滑落・倒壊したことから、災害復旧申請を行い、新たに新揚水機場を建設しました。
 揚水機場を既存位置で原形復旧するには、滑落地盤と背後地山復旧など多大な費用を必要とする状況でした。このことから、土地改良区は取水源に近く、安定した地盤で経済的にも安価な場所を選定し、復旧計画が実施されました。
 災害復旧事業費は、約120,000千円を要し、揚水機場以外の用水路や隧道などの復旧も行われました。
復旧した揚水機場の概要

  • 鉄骨平屋建 W6.0m×8.0m H=3.5m
  • 横軸渦巻両吸込ポンプ口径250mm×200mm 全揚程57m
  • 電動機 75kw×400v

被災した上の原揚水機場の画像その1
被災した上の原揚水機場の様子その1

被災した上の原揚水機場の画像その2
被災した上の原揚水機場の様子その2

 平成16年10月に大地震がありましたが、周辺での稲刈りはすべて終了し、収穫の影響はほとんどなく、また農地の災害もほとんどありませんでした。
 しかし、翌年度以降耕作するためには、用水が必要であることから、翌年の春、応急ポンプと仮設送水管工事が行われ、平成17年度、18年度と応急ポンプによる耕作がなされました。
 工事は、冬期間の豪雪もあり、また断崖下でもあったことから、復旧に時間を要し、平成19年春に完全復旧がなされました。

翌年度に応急工事により用水管を布設した画像
翌年度に応急工事により用水管を布設した様子

新たな場所に設置された上の原揚水機場の画像
新たな場所に設置された上の原揚水機場

上の原地域の水田脇には、記念碑が建てられています。

 地元の人々は、昭和31年に実施された上の原地区の非補助開田事業(昭和31年)や、昭和53年~昭和54年に行われた卯ノ木地区の団体営事業を後世に伝えていくために記念碑を建立しました。

上の原地区の記念碑
昭和52年に建てられた上の原地区の記念碑

卯ノ木地区の記念碑の画像
団体営ほ場整備事業で実施した卯ノ木地区の記念碑

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