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旧三面集落の暮らしと移転

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0053047 更新日:2019年3月29日更新

暮らし

 旧三面集落は人々から「マタギの里」と呼ばれ、自分自身を山人(ヤマンド)と呼ぶように、その暮らしはまさに「山にはぐくまれた人間生活、人間文化の世界」でした。
 狩猟生活を主としており、クマやウサギなどを捕ったり、現在は天然記念物のため捕ることが禁じられていますが、その昔はカモシカも冬の貴重なタンパク源として捕っていたようです。
 また、春から夏にかけてはゼンマイ、ワラビといった山菜、秋にはマイタケ等のキノコを採取して生活していました。特に春には家族総出で山菜を加工するため、学校も「ゼンマイ休暇」で休みになったそうです。稲作も行われており、自給自足と住民同士の助け合いの生活様式がこの旧三面集落にはありました。
 周辺地域との交流としては、交通機関の発達が遅れていたり、特に冬期間には朝日村や村上市に出るのに歩いて2日間かかるなど、大変な労力を考えると朝日村や村上市よりもむしろ、峠を一つ越えた山形県小国町との交流が深かったようです。
 また冬期間は交通が遮断され集落が孤立してしまうため、急病患者などもヘリコプターで輸送するなど、非常に苦労も多かったようです。

暮らしの画像

集団移転

 旧三面集落は42戸、150人という小さな集落で奥三面ダム建設地より上流約3kmのところにありました。
 住みなれた土地を去らなければならない人々は、当初奥三面ダム建設に反対しましたが、たびたびの洪水や夏の渇水に悩まされた三面川流域に住む何万人の人々のためと、自分たちの将来のため、住みなれた土地を離れることに同意し、昭和60年その歴史に幕を下ろしました。
 この時、旧三面集落の人々は、そのほとんどが村上市松山地区に集団移転し、現在も「村上市松山大字三面」として「三面」の名とともに元気に生活をされています。
 また、奥三面ダム貯水池の旧三面集落跡にはメモリアルパークが作られ、旧三面集落の人々のふるさとへの思いと、旧三面集落があったことを後世に伝えるために「三面ありき」の石碑が建てられています。

主な移転先
 村上市松山地区 33戸
 豊栄市 5戸
 新潟市 1戸
 他新潟県内 2戸
 新潟県外 1戸

集団移転の画像

由来

三面は村上市から約36km、周囲を深い山々に囲まれた場所で、その昔、平家の落武者がここに住み着いて集落が出来たと言う「平家の落武者伝説」が今でも残り、いつしか「三面」と呼ばれるようになりました。
三面の由来には

  1. この地域が三面川、末沢川、猿田川(昔は名前も無く、あの川、この川、その川?)の三つの川が合流する場所であることから「三つの川に面している場所」が「三面」になった説
  2. この地域には昔から小池、高橋、伊藤の三つの名字(昔は名字も無く、あの一族、この一族、その一族?)しかないことから「三者が面(ツラ)をあわせる」が「三面」になった説

などいくつかの説があるようです。

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