本文
【三条】「石川雲蝶生誕200周年祭」を開催しました!
幕末から明治にかけ、三条市を拠点として県内に多くの作品を残した彫物の名工「石川雲蝶」が今年生誕200周年を迎えます。
三条市石川雲蝶生誕200周年記念事業実行委員会では、そのことを記念し、6月14日(土曜日)に「石川雲蝶生誕200周年祭」を開催しました。
赤牛/置物(本成寺)
雲蝶生誕200周年を記念して製作された六角凧
開催日時・場所
- 開催日時 平成26年6月14日(土曜日)12時30分から16時45分
- 場 所 燕三条地場産業振興センター リサーチコア 7F マルチメディアホール
- 参加者数 210名
オープニングアクト SU jazz band によるジャズ演奏
演奏曲目:「村の鍛冶屋」の主題による五重奏曲、「雲蝶さん」の主題による四重奏曲
三小相承会の皆さんによる、雲蝶も惚れ込んだかもしれない「三条の鍛冶職人」の槌音と、「SU jazz band」による現代音楽によるコラボレーションです。
SU jazz bandと三小相承会の皆さんによるコラボラーション
基調講演
基調講演では、漆芸家で東京藝術大学美術学部教授の三田村有純さんから「魂の彫刻家 石川雲蝶」と題して講演を行っていただきました。
三田村さんは、
- 江戸蒔絵師の10代目として生まれた自身の経験を交え、
「雲蝶が、なぜ新潟県の三条に居を構え県内にこれだけの作品を残したのか、雲蝶が生きた幕末から明治にかけての当時の時代背景とともに、越後のお米の豊かさがあり、この三条の一人一人の人々が雲蝶を支えて守ってきたからではないか。」また、「三条に、雲蝶作品を作るために必要な本物の道具と材料を作り出す人がいたからでは。」と述べられ、 - 雲蝶の作品制作の技法について、
レリーフ芸術の技法など、作品に対する美術専門家としての分析・解説をされ、 - 最後に、これからの日本の目指す方向について、
「明治政府がなぜ、近代化の資金を得て欧米列強に肩を並べることができたか、それは伝統技術に裏付けられた芸術的表現力の「WAZA」があったからだ。この価値を欧米が認め、欲しがった。」、「これからの日本の目指す方向は「WAZA」である。」と述べられ、
雲蝶生誕200周年をきっかけに「三条で世界のアーチストの公募展を開催し、三条から発信してほしい。」、「ぜひ、雲蝶を愛していただきたい。」などのメーセージを聴講者に送られました。
東京藝術大学美術学部教授 三田村有純氏による基調講演
東京藝術大学美術学部教授 三田村有純氏による基調講演
三田村有純氏プロフィール
1949 東京都杉並区に生まれる。
1975 東京藝術大学大学院美術研究科漆芸専攻修了
日展など数々の賞を受賞し、国内外を問わず個展を開催。
現在
東京藝術大学学長特命 国際交流室長 美術学部教授、
漆芸家、中国中央美術学院客員教授、
中国閩江学院客員教授、社団法人日展評議員、
社団法人現代工芸美術家協会監事、社団法人日本漆工協会理事、
文化庁所管日本文化財漆協会常任理事、
美術団体九つの音色同人、江戸蒔絵赤塚派十代
作品解説
基調講演に続き、写真家で「越後の名匠 石川雲蝶」の著者である木原 尚さんから「石川雲蝶の代表作品」について解説が行われました。
木原さんは、本成寺塔頭静明院(三条市)や本徳寺(燕市)など雲蝶の作品には制作年号や署名が残されており、そのことから年表が作成できたことや、永林寺(魚沼市)の欄間彫刻「小夜之中山蛇身鳥」、「父親の殺生をいさめる兄弟」の場面の社の柱の千社札に制作年号と署名を、粋な計らいで書き残していることを発見したなど、各地に残る作品を撮影した際のエピソードを交えて解説をしました。
木原 尚氏による作品解説
木原 尚氏による作品解説
木原 尚氏プロフィール
写真家、社団法人日本写真家協会会員、「越後の名匠 石川雲蝶」(新潟日報事業社)著者、見附市在住)
県内外で数々の写真展(個展)を開催。出版物多数
新舞踊「雲蝶さん」披露
蝶舞会の皆さんが、新舞踊「雲蝶さん」を披露されました。
- 踊り:蝶舞会
- 歌:袖山義忠さん
三条雲蝶会有志の皆さんによる新舞踊「雲蝶さん」披露
パネルディスカッション「雲蝶とどう向き合うか」(第2回雲蝶サミット)
パネルディカッションでは、「雲蝶さんとの馴れ初め」や、「私の雲蝶論」をテーマとし、パネリストからは、「雲蝶の作品は物語性がある。一つの作品がストーリーになる」、「たくさんの作品を見ていく中で雲蝶の人間味に惹かれた。雲蝶に恋している」、「雲蝶はジャズだ!自由な発想がジャズに通じる」、「雲蝶は酒飲み、女好きだったと言う話しもあるが、子孫の方の残した話しのメモを見ると、気が短かったが礼儀正しく本当は真面目な人だったのではないか」など、雲蝶に対するそれぞれの熱い想いが語られました。
- パネリスト
- 私の恋した雲蝶さま 中島すい子さん(南魚沼地域観光ガイド、南魚沼市在住)
- 私にとっての雲蝶 大嶽あおきさん(日本漫画家協会会員、三条雲蝶会、川越市在住)
- オリジナルDVD製作担当の立場から 馬場章介さん(三条雲蝶会、三条市在住)
- コメンテーター 三田村有純さん、木原 尚さん
- コーディネーター 江畑 徹さん(三条雲蝶会、新潟市在住)
パネルディスカッションの様子
主催
三条市石川雲蝶生誕200周年実行委員会(事務局:三条市経済部営業戦略室)
「越後のミケランジェロ 石川雲蝶」について
1814(文化11)年、江戸の雑司が谷(現東京都豊島区)に生まれた石川雲蝶。本名は、石川安兵衛と言いました。江戸彫りの一流派・石川流の本流門人であり、20代ですでに彫物師として名を馳せていたと言われています。
雲蝶が越後入りしたのは30代の前半。越後三条(現三条市)の金物商で、法華宗総本山・本成寺の世話役だった内山又蔵との出会いに端を発します。ちなみに「良い酒とノミを終生与える」ということが、越後へ来ることを決めた条件とか。越後三条を拠点に、近隣で創作活動を開始した雲蝶は、後に内山氏の世話で三条の酒井家に婿入り。名実ともに“越後の人”となりました。ひとたびノミを握れば神業的な作品を手掛けた雲蝶。その妙技から生み出される木彫りや石彫、絵師を思わせる見事な絵画まで、息をのむ数々の作品はまさに“越後のミケランジェロ”と称えられるにふさわしいと言えます。明治の中頃に三条の住まいをはじめ、菩提寺の本成寺が火災に見舞われ、彼の素顔を記す資料も焼失。謎に包まれた雲蝶ですが、またそれも彼の作品を鑑賞する上で、想像力をかきたてる要素となっています。(「越後のミケランジェロ石川雲蝶」(新潟県観光協会)より)
詳しくは、下記のリンクをご覧ください。