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【第14回 ピックアップ!地域づくり人】 砂川祐次郎さん (長岡市/竹田元気づくり会議)

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0040677 更新日:2019年3月29日更新

 今回ご紹介するのは、第13回の地域づくり人の水落静子さんから紹介していただきました、砂川祐次郎(すなかわ ゆうじろう)さんです。砂川さんは、竹田集落(長岡市川口中山)での竹田元気づくり会議を中心に、地域づくり活動に取り組まれています。

埼玉県の川口から長岡市の川口へ

第14回 地域づくり人 砂川祐次郎さん(竹田集落センターにて)の画像

第14回 地域づくり人 砂川祐次郎さん(竹田集落センターにて)

 もともと、埼玉県川口市に住んでいて、東京都内の会社に勤めていた砂川さん。「都会からの移住」といっても、よくある(?)「都会の暮らしが嫌になった」という理由ではありませんでした。

「都会での生活に不満があったわけじゃないんです。近所には顔の知れた人がたくさんいて、繋がりもあって、楽しく過ごしていました。ただ、お酒が好きで、温泉が好きで、景色の良いところが好き。そういう場所を求めて、田舎の物件を探してたら、えちご川口温泉(温泉と温水プールの複合施設)の徒歩圏内に空き家を見つけたんです。で、特に縁もないんですけど、今住んでいるところより、もっとこっちのほうがいいなって思って、来ちゃったんです。それが21年前の夏ですね。当時はまだ地域おこし協力隊みたいな移住者向けの制度もなくて、勝手に引っ越してきて勝手に苦労してましたね。(笑)」

 引っ越してきてから、砂川さんが最初に勤めたのはガソリンスタンドでした。その時に発生したのが平成16年の中越大震災。発生時もガソリンスタンドで働いていた砂川さんは、家には当時一緒に埼玉県から移住してきた父親が1人でおり、不安な気持ちもありましたが、「たぶん大丈夫だろう」と思い、電気が通っていない中、ガソリンスタンドの何人かのスタッフと、お客さんの緊急対応や安全対策などに追われる日々が続きました。砂川さんが家に帰ることができたのは、地震発生から3日目の夕方のことでした。

「そんな状況でやっと家に帰ってきた自分に、お酒が大好きだった父親が、深刻な顔で最初に言った言葉が、『もうすぐ焼酎がなくなる。』でしたね。(笑)大きな地震が起きた後だったのに、無事だったとか、一言もなくて。(笑)」

 幸いにも砂川さんのお宅は大きな被害はなく、補修すれば住み続けられる状態でした。

「これはここに住み続けろと言っているなって。今の家に住み続けることをなんとなく決心した時でしたね。だけど、中越大震災が発生した年は雪がものすごく降った年で。屋根の雪を下ろし続けていたけど、途中で諦めちゃって。これでいよいよ家がつぶれたら、どこかに引っ越そうと一度は覚悟を決めました。でも、壊れずに家が立ってたんです。あ、これはいよいよ本気で住めということなんだなって。(笑)」

原動力は「思わずニヤニヤしちゃう楽しい」こと!?

完成した「集落の案内看板」(集落の人たちが、毎年春に設置し、秋になると冬に備えて取り外し作業を行います。)の画像

完成した「集落の案内看板」(集落の人たちが、毎年春に設置し、秋になると冬に備えて取り外し作業を行います。)

 中越大震災前には10世帯あった竹田集落も、震災から3年後の平成19年には7世帯まで減っていました。そんな時に、砂川さんは初めて集落の「総代」になりました。
 さらに集落の総代と並行して、ちょうど同年に始まった、中越大震災で被災した地域におけるコミュニティ機能の維持・再生や地域復興活動に従事する「地域復興支援員」と一緒に、竹田集落の元気づくり活動にも携わるようになりました。活動の中で、地域復興支援員と集落の人たちと、「竹田集落の良さってなんだろう?」「自慢できるものは何?」などといったテーマのもと、1年間のワークショップを重ね、集落の人たちの中に「まずは自分たちでできることから始めてみよう!」という気運が醸成されました。
 総代としての任期は1年でしたが、「元気づくり活動は、おまえが続けてくれ。」という集落の人からの意見により、竹田の元気づくりの会(後の正式名称「竹田元気づくり会議」)の代表を任されることとなりました。

「生きて竹田に住む限りは、竹田元気づくり会議の代表を続ける覚悟でやっています。」

 「自分たちでできることから」という前提のもと取り組んだのが、「集落の案内看板」の作成でした。昔は住所の中に大字中山「字竹田」と集落の名前が入っていましたが、今は「川口中山」に変わってしまいました。それでも「竹田」という名前が忘れられないように、という集落の人たちの想いから、手作りでの集落の案内看板作りがスタートしました。

「僕、イラストをよく描くので、下書きだけ自分がして、集落の人たちに色塗りをしてもらったんです。自分が全部やっちゃって、どっかの誰かが何かをしているだけになっちゃうのが嫌で。『みんなで作ったもの』というのが欲しくて。」

かんじきウォーク

「かんじきウォーク」開催時の様子

 竹田元気づくり会議のもう1つの大きな取組が「かんじきウォーク」。竹田の良さの1つとして集落の人たちからあげられた「景色の良さ」をいろんな人に知ってもらいたい、という想いから始まりました。最初はなんとなくやってみようと始めたものが、なんと今年で10回目を迎える恒例行事となっています。

「毎年、集落の人たちと、その年のかんじきウォークの内容を、缶ビール片手にニヤニヤしながら、家に集まって話し合います。(笑)『地域活性化だ!』って力んでいる人が誰もいないんです。竹田元気づくり会議の特徴かもしれないですね。話し合ってる時は、みんなだいたいニヤニヤしてます。(笑)」

 このイベントには、竹田の美しい景色を見てもらうという目的の裏に、もう1つ砂川さんのある想いが秘められていました。

「かんじきウォークを開催するにあたって、集落のおばあちゃんたちに手伝いに来てもらい、竹田集落の7世帯のおばあちゃんたちが顔を合わせて集まる機会にしたかったんです。集落のみんなで集まる機会を増やしたほうが、みんなが楽しく暮らせるだろうと思っていて、そのきっかけづくりのために、このイベントを始めたんです。」

 現在では、中越大震災から13年が経ち、集落のおばあちゃんたちも、始めた当時と同じようには手伝えなくなってきました。それでもイベントの開催後には、おばあちゃんたちにイベントの報告をしたり、差し入れで漬け物をくれたおばあちゃんたちには、「ごちそうさまでした」と一言添えた手作りのポチ袋に五百円玉を入れて感謝の気持ちを伝えている砂川さん。そのほかにも、竹田元気づくり会議の打合せに出席していない集落の人から「何をしているのか分からない」と言われないように、砂川さん自らが編集者となって「ぼちぼちたけだ(超地域密着竹田元気づくり情報紙)」を発行しています。

「7世帯向けのフリーペーパーなんですけど、集落に関わった人や集落から出て行った人にも届けたりしています。一番最初に書いた時には、これだったらみんなが活動の内容が分かって良いかなぁと思って、なんとなく出してみたら、集落の人から『おー、いいねー!』って言われちゃったので、やめるにやめれなくて。(笑)10年くらい書いてます。」

ぼちぼちたけだ(表)最新号 第44号の画像

ぼちぼちたけだ(表)最新号 第44号

ぼちぼちたけだ(裏)おさんぽマップの画像

ぼちぼちたけだ(裏)おさんぽマップ

 砂川さんが竹田元気づくり会議で取り組まれている全ての活動から、「集落の人とみんなでつくる」という砂川さんの想いを強く感じることができました。

住民自身が楽しんでいる竹田集落、いざ次の世代へ!

 竹田集落だけでなく、いろいろな場所で活躍されている砂川さん。最後に、これからの活動の目標について、伺いました。

「竹田集落の今の楽しい状態がずっと続いていくためにはどうすればいいのだろう、ということをなんとなく考えています。今は集落の中にキーマンとなる人がいるけど、やっぱり高齢化は進んでいくわけですよね。だけど、同じことを続けていけば良いってわけじゃなくて、次の世代の人が楽しくできることを考えていかなきゃいけないと思います。形を変えずに無理矢理続ければ、必ず続かなくなる。強制力のない団体だからこそ、みんなが楽しいと思えることを考えた上で、毎年来てもらっている除雪のボランティアさんたちとかに協力してもらって、集落内の草刈りとかも楽になっていったら良いのかなぁ、というのは思いますね。あとは、もうすぐ施行される住宅宿泊事業法(民泊法)で、自分の家で民泊ができないか考えています。」

 現在の集落の世帯構成を見ても、高齢化が進んでおり、集落内の草刈りも範囲を狭めざるを得ない状況があると言います。それでも、ゴールデンウィークのような長期の休みを利用して、集落内で誰がいつどこの草刈りをするかを決めて、集落の人全員と協力して草刈りを行っています。
 除雪ボランティアの人が毎年、東京から来てくれることは「交流」という意味では、とても楽しく満足している一方で、集落で担えなくなった部分をボランティアに頼ることは、本当の意味での集落維持ができていないということなのではないかと、心のどこかで思ってしまう面もあるそうです。
 それでも無理をして移住者を増やすための方法を考えるのではなく、集落の人たちが楽しくなるような、ニヤッとするような活動を続けていきたいと、砂川さんは話します。

「どうやったら集落を維持しながら楽しく乗り切っていけるのかな、ということは考えますね。集落のみんなが楽しく暮らしてたら、あそこの集落に住みたいって移住してくる人がいるかもしれないじゃないですか。」

 砂川さんのお話から、砂川さんが集落の人と一緒に、みんなで楽しみながら活動されている様子が伝わってきました。また、集落の人たち全員が活動に参加できるような気配りや、次の世代につなげていこうとする想いも垣間見られ、地域づくり活動の本質について、改めて考えさせられるインタビューとなりました。

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