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新潟県ホーム の中の自然・環境の中の【魚沼】〔魚沼の風景〕晩秋の神社・旧跡
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【魚沼】〔魚沼の風景〕晩秋の神社・旧跡

2010年12月01日

     山々を彩った紅葉も盛りを過ぎ、いつ初雪がふるか・・・と冬支度にあわただしい時期となりました。今回は晩秋の神社・旧跡をご紹介します。

    (写真は、長松戸隠神社の社殿で平成5年に改築されたものです。)

    戸隠神社

     長松戸隠神社は、天正3年(1575年)に創建され、8年後に信州戸隠神社の分身・分霊をこの地に移して祭りました。五穀豊穣、養蚕、雨乞い、商売繁盛、家内安全の神として広く信仰されています。現在の社殿は平成5年に改築されたものです。参道の入り口には川が流れ、池もあります。せせらぎが澄んだ気持ちにさせてくれます。

    杉林の緑色と鳥居の朱色が対照的です。

    杉林の緑色と鳥居の朱色が対照的です。

     神社に隣接している収蔵庫には「九頭龍権現木像(くずりゅうごんげんもくぞう)」がおさめられています。かつて、この像は、信州戸隠神社の奥社、九頭龍神社の御神体として祭られていました。しかし、明治10年(1877年)、東京上野公園で開かれる第1回内国勧業博覧会に出展を要請され、御神体が人々の目にふれることを恐れた神主が、参拝に来ていた旧広神村長松の瀬下市十郎に譲ったといわれています。毎年7月15日にご開帳されるそうです。

    主要地方道小出・守門線にある案内標識

    主要地方道小出・守門線にある案内標識

    参道を下から見たところです。100段を超える石段の先に神社があります。
    境内の奥には権現堂山への登山口があります。

    参道を下から見たところです。100段を超える石段の先に神社があります。

    境内の奥には権現堂山への登山口があります。

    長松の十三仏塚

     十三仏塚は、東西に直列した13個の土盛塚で、造立時期は、案内板では南北朝時代から室町時代初期と表示されております。
    十三人の武将や非業の死を遂げた者を葬ったとする説もありますが、宗教的には十三仏信仰とつながるとする説もあります。全国で完全な形で残っている十三塚は17か所とされていますが、新潟県内ではここだけだそうです。

    左右6個ずつ並んでいて、左の塚の高さが2mあるそうです。

    左右6個ずつ並んでいて、左の塚の高さが2mあるそうです。

    規則正しく並んでいる様子がわかります。
    近くには駐車場やお休み処があります。地域の人から大切にされていることがうかがえます。

    規則正しく並んでいる様子がわかりまね。

    近くには駐車場やお休み処があります。地域の人から大切にされていることがうかがえます。

    受験シーズンにおススメ「青島教育神社」

     魚野川の西側に青島教育神社があります。菅原道真公を祭神とし、「教育」と名のつく神社は日本で唯一だそうです。 子供の健やかな成長と学業成就を願う地域の人々が協力して平成5年に建立されました。参拝し、努力した人は、必ず合格すると伝えられています。
     境内には戦国武将、新田義貞が500人の大軍を率いて露営した際、馬をつないだとされる大欅があります。

    全景 一番左が青島教育神社の社殿です。

    全景 一番左が青島教育神社の社殿です。

    扉から中に入ってお参りします。絵馬がたくさん奉納されていました。
    大欅の幹の周囲は7.1mもあるそうです。

    扉から中に入ってお参りします。絵馬がたくさん奉納されていました。

    大欅の幹の周囲は7.1mもあるそうです。


    【レポーターより】

     業務で魚沼市内を車で移動することが多いのですが、その際に案内を見つけ気になっていた場所に出掛けてみました。
     信州戸隠神社と深い関係があることに感嘆したり、土盛塚が造られた年代に驚いたり、魚沼の歴史について新たな発見をした日となりました。

     魚沼地域振興局健康福祉部 西脇

    「魚沼の風景」は、魚沼市内に勤務する県職員が、日々の業務や暮らしの中で見つけた、魚沼のイベント、特産物、観光地など魚沼の魅力をレポートするものです。なお、掲載内容については正確を期するよう努めておりますが、限られた時間での取材であるため、不十分な点がある場合もありますが、ご容赦下さい。