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新潟県ホーム の中の観光・イベントの中の週刊にいがたみーっけ in Tokyo (新潟県東京事務所)
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週刊にいがたみーっけ in Tokyo (新潟県東京事務所)

2017年06月26日
にいがたみーっけ

 日ごろ東京事務所の職員が東京で発見した新潟のさまざまな情報を皆さんにお届けしています。        
 東京の街角で見つけた新潟のあんなこと、こんなことをお伝えしながら一人でも多く新潟のファンを増やしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。


※これまで掲載した「にいがたみーっけ in Tokyo」の記事(タイトル)・場所を確認できます。
 なお、記事のバックナンバーは、ページ下部から御覧いただけます。

※記事の内容は、掲載時点の情報を基に記述しています。おでかけの際は現在の状況をご確認ください。

両国で見つけた桐と新潟 No.496(2017.6.26)

 国技館があることで有名な墨田区両国を散策してきました。両国には、他にも相撲博物館や多くの相撲部屋、ちゃんこ鍋店などが点在しており、やはり相撲の街という印象を受けます。
 観光マップを片手に散策していると、ふと「桐の博物館」という看板が目に入りました。早速建物に入ってみたところ、そこでは、素材として桐が持つ優れた特性、江戸時代初期に江戸で桐箪笥(たんす)が普及した理由、桐製品の高度な加工技術などが、古い桐製品の実物とともに、コンパクトに分かりやすく展示されていました。そして、展示の案内板では、新潟県の加茂市が日本一の桐箪笥産地として紹介されていました。
 加茂桐箪笥は、昭和51年に国(経済産業省)から伝統的工芸品として指定され、新潟県を代表する工芸品の一つとしてその製造技術が高く評価されています。桐箪笥は、素材の特性から「耐火性」「防湿性」「防虫性」などに優れる上、木のぬくもりを感じることができる家具として幅広い支持を得ています。また、新潟県津南町は、素材である桐の原木の産地の一つとして広く知られています。相撲で有名な両国の地で、思いがけず「にいがた」を発見し、桐と本県との結びつきを再認識しました。

桐の博物館で撮影した桐たんす

蕗谷虹児「花嫁」 No.495(2017.6.19)

 先日、表参道・新潟館ネスパスで開催されたイベント「城下町しばた ふるさとの味覚を伝える春のうまいもん市」に行ってきました。会場では新発田市産のアスパラガスやコシヒカリ、和菓子といった地元の特産品とともに、大正・昭和時代に活躍した同市出身の画家、蕗谷虹児の代表作「花嫁」のポストカードなども販売され大変賑わっていました。
 この「花嫁」は、ふるさと切手に採用されて人気を博し、東京スカイツリータウンにある郵政博物館の開館記念特別展でも原画が展示されました。その原画に切手やポストカードといった印刷物ではわからない秘密があることをご存知でしょうか。
 実は同市の蕗谷虹児記念館に展示されている原画を見ると、ひと筋の涙が睫毛の先に描かれているのが確認できるのです。花嫁がそっとこぼす涙にはどのような想いが込められているのか?生前作者も語らなかった涙への想像が広がります。記念館の方の話では、この涙は透明度の高い岩絵の具で描かれていることから、印刷で表現することが難しいとのことでした。
 今年、蕗谷虹児記念館では、開館30周年を記念した特別展が7月1日から10月22日まで開催されます。期間中は蕗谷虹児のパリ時代の作品が展示されるほか、初日は入場料が無料とのことですので、この機会に是非、足を運んでみてはいかがでしょうか。

蕗谷虹児の花嫁

三つの顔を持つ男 No.494(2017.6.12)

 「丹下左膳」の生みの親、林不忘は佐渡相川出身です。彼は1925年のデビューから1935年に35歳の若さで没するまでの僅か10年間に、時代小説を林不忘、怪奇実話を牧逸馬、さらに18~24歳に単身渡米した経験のルポルタージュを谷譲次として、三つのペンネームを使い分けて多数の作品を発表し、いずれのジャンルでもヒットを飛ばすという驚異的な多才ぶりを発揮しました。
 本名は長谷川海太郎。父淑夫(当時佐渡中学教師)によると「日本海の海波渺々たる中に生を享けたと云う意味を託し」たとのことです(「一人三人全集」河出書房新社 解説より)。ちなみに長谷川家は相川鉱山の金座人の家系で、母は羽茂出身、生家は相川町の濁川とのことです。幼少期に函館に移っているためか、新潟、佐渡出身として取り上げられる機会は比較的少ないように思われます。私は戦前の異端文学を渉猟していた頃、谷譲次、牧逸馬の作品に出会い、楽しませてもらいました。当時、佐渡に赴任中だったため、軽い気持ちで役場の方にお尋ねしたところ、詳しくお調べいただき、資料を頂戴しました。佐渡の方の情に触れた良い思い出であり、ご親切に今も感謝しております。
 現在、長谷川海太郎は鎌倉駅近くの妙本寺に眠っています。林、牧、谷の作品の一端に触れつつ、ゆかりの佐渡を訪れてみてはいかがでしょうか。

林不忘の墓

銀座を照らす灯り No.493(2017.6.5)

 銀座といえば高級デパートや海外のブランドショップが立ち並ぶ日本を代表する繁華街ですが、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けた再開発が進み、商業施設の建て替えや改装が相次いでいます。4月20日には、その中でも最大規模の「GINZA SIX」がオープンしましたが、テレビでその様子を目にした方も多いと思います。目抜き通りに面した存在感抜群のゴージャスな建物には241の店舗が入っており、中には新潟県からの出店もあるそうです。
 話題の施設を一目見ようと、仕事帰りに銀座をブラブラしていたところ、周囲とは異なる特徴的な電灯を見つけました。柱には「明治十五年十一月ここに日本で最初の電灯をつけ不夜城を現出した 建設当時の電灯のデザインを忠実に復刻し制作された記念灯です」と記載されており、調べてみると本県出身で大倉財閥を築いた大倉喜八郎が、「電灯がいかなるものか」を庶民に知ってもらうために日本で初めての電気街灯(アーク灯)を建設したということでした。当時その明るさは大きな話題を呼び、大勢の見物客が連夜押し寄せたと言われています。それから130年余り、時代は変わりましたが、銀座は今も変わらず多くの人々を魅了しています。きっとこの先もキラキラ輝く格別な街であり続けるのでしょうね。

電灯の写真

電灯の看板の写真

週刊にいがたみーっけ & にいがたみーっけ in Tokyo バックナンバー

 ※第1号から第300号までの過去情報は「▶▶これまで掲載した記事(タイトル、バックナンバー)一覧」をご覧ください。