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新潟県ホーム の中の観光・イベントの中の週刊にいがたみーっけ in Tokyo (新潟県東京事務所)
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週刊にいがたみーっけ in Tokyo (新潟県東京事務所)

2017年05月22日
にいがたみーっけ

 日ごろ東京事務所の職員が東京で発見した新潟のさまざまな情報を皆さんにお届けしています。        
 東京の街角で見つけた新潟のあんなこと、こんなことをお伝えしながら一人でも多く新潟のファンを増やしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。


※これまで掲載した「にいがたみーっけ in Tokyo」の記事(タイトル)・場所を確認できます。
 なお、記事のバックナンバーは、ページ下部から御覧いただけます。

※記事の内容は、掲載時点の情報を基に記述しています。おでかけの際は現在の状況をご確認ください。

錦鯉を「県の鑑賞魚」に指定 No.491(2017.5.22)

 新潟県は、5月5日付けで錦鯉を「県の鑑賞魚」に指定しました。「県の花 チューリップ」、「県の鳥 朱鷺」、「県の木 雪椿」、「県の草花 雪割草」に続く5つ目のシンボルです。これを契機に、当事務所内でも鑑賞用に小さな水槽で錦鯉の展示を期間限定で始めました。その中には、県の内水面水産試験場(長岡市)が安定的に作出することに成功した「黄白(きじろ)」という海外でも人気の珍しい黄色系の錦鯉もいます。白地に鮮やかな黄色の模様が浮かび、気品のある姿は美しく、新たな本県の特産品として期待されています。
 錦鯉は、新潟県の「二十村郷」(現在の長岡市・小千谷市・魚沼市の一部)が発祥の地と言われており、江戸時代後期に普通の鯉から突然変異によって出現したものが始まりとされています。本県を中心に養殖や交配による品種改良が行われ、多彩な色や姿の錦鯉を楽しむことが出来るようになりました。近年では香港、タイ、オランダなどに多く輸出されており、世界各国で芸術品として鑑賞されているだけでなく、国内で開催される錦鯉の品評会でも海外オーナーの出品が多くなっています。
 「黄白」を一目見に、是非一度当事務所へお立ち寄りください。

水槽内の錦鯉

錦鯉のイラスト

東京と新潟でアートに触れる No.490(2017.5.15)

 東京駅の近くにあるとあるビルに入ってみたところ、蜷川実花氏の個展が開催されていました。
 氏は現代を代表する写真家で、映画、ファッション、広告など様々な分野で表現活動を行っており、鋭敏な感性に支えられ、美しく鮮やかな色彩で創り上げられた世界は、若い世代を中心に幅広い層から圧倒的な支持を受けています。会場では氏の「花」シリーズの最新作が展示されており、また、ビルの大きなガラス窓に面したホールでは透過性のフィルムを使ったインスタレーションが行われ、氏独自の色彩感覚と時間帯によって刻々と変化する太陽光が空間を鮮やかに彩っており、しばし見とれてしまいました。
 そんな氏の作品を、新潟においても観ることができるのをご存じですか。越後湯沢-新潟間を往復する世界最速の美術館「現美新幹線」です。この新幹線の外観は氏によって手がけられ、黒を基調に夏の夜空を彩る長岡の花火が描かれており、車内は7人のアーティストが制作した現代アートで形作られています。
 概ね土日に運行されるこの走る美術館を鑑賞しに、週末は新潟を訪れてみてはいかがでしょうか

現美新幹線

インスタレーション

日本初の船舶用ディーゼル機関は新潟発祥 No.489(2017.5.8)

 蒲田の住宅団地に囲まれた小さな公園で、「日本舶用ディーゼル機関発祥之地」という石碑を見つけました。日本初の船舶用ディーゼル機関を開発したのが、新潟県ゆかりの新潟鐵工所という会社であることをご存じですか?
 この会社は1895年に日本石油の開発部門である日本石油株式会社新潟鐵工所として新潟市で事業を開始し、その後、1910年に分離・独立して、株式会社新潟鐵工所となりました。1919年にこの石碑が建つ蒲田に工場が建設され、日本初の舶用ディーゼル機関が開発されました。
 その後、1976年に群馬県太田市に工場が移転するまで、この場所でエンジン等が作られ続けてきました。
 今回は思いがけない場所で新潟との繋がりを見つけることが出来ました。これから爽やかな新緑の季節を迎えますが、みなさんも各地を散策してはいかがですか。

記念碑・表面

記念碑・裏面

展望台設置の先駆けに新潟県人!  No.488(2017.5.1)

 東京には数々の展望台がありますが、展望台設置の先駆けに新潟県人が関わっていたことをご存じでしたでしょうか?
 江戸時代、庶民は支配階級よりも高い建物を建てることが厳しく禁じられていましたが、明治に入るとその禁制が解かれ、登高遊覧施設が相次いで登場しました。そのピークを飾り登場したのが「浅草凌雲閣」(12階建て高さ約52m)でした。その名称は「雲を凌ぐほど高い」ことを意味し、当時は驚異的な高さを誇る八角形の高塔で、東京随一の観光名所でした。
 この凌雲閣設置の発起人となったのが、長岡出身の生糸貿易商、福原庄七という人物でした。この人物の詳細はよくわかっていないようですが、エッフェル塔を実見したとも言われ、既にこの時代に、全国からの見物客を目当てにした興業の思惑の発想があったと思うと、新潟県人として誇らしくなりました。
 現在、凌雲閣の跡地には記念碑が建てられています。近くにある634mの東京スカイツリーと約52mの凌雲閣の文明の進化にも思いを馳せつつ、訪れてみてはいかがでしょうか。

浅草凌雲閣記念碑

週刊にいがたみーっけ & にいがたみーっけ in Tokyo バックナンバー

 ※第1号から第300号までの過去情報は「▶▶これまで掲載した記事(タイトル、バックナンバー)一覧」をご覧ください。