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新潟県ホーム の中の防災の中の震災の経験と教訓をつなぐ ~井戸兵庫県知事 × 泉田知事 対談~
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震災の経験と教訓をつなぐ ~井戸兵庫県知事 × 泉田知事 対談~

2016年02月24日

震災の経験と教訓を語る(平成28年1月12日対談)

 阪神・淡路大震災から21年。この間、新潟でも2度の大震災があり、経験と教訓を「つなぐ」重要性を改めて実感しました。復旧・復興には被災地ニーズにあった迅速な対応が必要です。
 平成28年1月12日に、阪神・淡路大震災の経験を語り継ぐ施設である「人と防災未来センター」で、井戸兵庫県知事と泉田知事との対談が行われました。
 対談では、阪神・淡路大震災と中越大震災を振り返って、中越大震災からの復旧・復興の各段階で変化する状況に対応するため、いかに兵庫県の知見が役立ったかということなどについて話し合われました。

◆井戸 敏三(いど としぞう)兵庫県知事
 昭和20年生まれ。昭和43年、自治省入省。運輸省航空局、自治省行政局、財政局、大臣官房各課長、自治大臣官房審議官などを歴任。関西広域連合長。

対談内容について

 対談内容は、以下のとおりです。
 なお、PDFファイルでご覧になりたい方は、ページ最下部の添付データをダウンロードしてください。
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<被災自治体への支援について>

▽泉田 -阪神・淡路の経験に救われた-
 中越地震は、阪神淡路と違って、中山間地域で発生した地震でした。私の知事就任30時間前に発生しました。前任の知事が金曜の夕方花束をもらって退庁した後、月曜の午前0時に就任する予定だったんですが、空白の48時間がいやだなぁと考えていた、その土曜日の午後5時56分に発生した地震でした。後に震度7の地域があることがわかりましたが、最初は震度6.5ということでしたので、これは知事としての最初の仕事は震災対応なんだと覚悟を決めました。知事に就任した直後、井戸知事から電話をもらいまして、「阪神淡路を経験したチームを送ったから」と言われました。「送りましょうか」じゃなくて、「送ったから使ってちょうだい」という電話でした。本当に、天から助けがあったという気分でした。
 兵庫県のチームに助けられたのは、これから何が起こるのかというロードマップを説明していただけたということです。72時間で何をやらないといけないのか、1週間、10日、1か月、3か月までに何をやらないといけないのか、そのロードマップのレクチャーを受けたことが、その後の震災対応に大いに役立ちました。阪神淡路は世界で最も研究し尽くされた震災ですので、阪神淡路と比べてどこまで復旧・復興ができたのかというのを見ながら災害対応ができる。また、阪神淡路を経験した方からアドバイスを受けることで、阪神淡路で実施できなかったことを実施できたということにもなりました。

▽井戸 -応急対策はスピードが必要-
 中越地震は泉田知事の就任1日前に起きたわけですが、私自身の経験や体験からしても、震災対策は総合対策であり、また応急対策はスピードが必要ですから、改めてあれこれひもといて検討するような余裕はないわけです。ですから、就任直後で一番困られるのが泉田知事だと思い、阪神淡路の際に中核となっていたメンバーを、最初は5~6人でしたが早速派遣しました。いま泉田知事からこれを評価していただいて大変嬉しく思っています。

▽泉田 -コミュニティに配慮して仮設住宅を設置-
 知事室の隣の応接室にLANケーブルを引き込んで、いつでも話を聞ける形にしました。言われたことの一つに、心のケアの問題がありました。また、孤独死の問題も言われました。それから、仮設住宅を造るときにどういう形で造るのか、強力なメッセージをいただきました。1つは集会所がいるという話、それからもう1つはコミュニティが大切ということ。普通に考えると、エリアとかコミュニティは関係なく、例えばケアが必要な人など緊急度の高い人を優先的に入れていくということになると思いますけど、そうじゃなくて地域ごとのコミュニティを大事にしてほしいというアドバイスを受けました。そこで、中越地震では、それぞれの集落ごとに、避難所から集まってもらって、仮設住宅が現住所そのまま書ける形で設置できて、これは大変良かったと思います。

▽井戸 -仮設住宅の仕様改善に努めた-
 仮設住宅は我々の非常に大きな反省点だったんです。神戸という大都市ですが、実を言うとそのなかの下町がやられたわけです。下町は近隣関係が密なところ。災害弱者と言われているようなお年寄りだとか、障害のある方々だとかを優先的に仮設住宅に入居してもらったことで、その密な状況を分断してしまった。それで地域的な交流がなくなってしまったという声が強くなった。そこは大きな反省点だったんですが、それをきっちり中越ではやっていただいた。しかし、東日本大震災では、災害の規模が大き過ぎたということもあって、どうしても弱者の方々から優先せざるを得なかった。阪神淡路と同じような筋道を通ったんですね。それともう1つ我々が問題にしたのは仮設住宅の仕様です。標準仕様が夏の暑さと冬の寒さに耐えられないような構造だったんですね。中越地震では、かなり改善をされて冬に耐えられる構造になったんですが、東日本大震災ではまたボリュームが間に合いませんでした。冬仕様を心がけたものの全部はそうならなくて、事後対策も必要になったということもありました。

<中山間地の災害について>

▽泉田 -動物と一緒の避難が課題に-
 仮設住宅には、長い方で中越だと3年、阪神淡路だと5年おられたので、やっぱりそれなりの仕様というのは必要なんだろうなと。実は中越でも追加工事をしました。新潟では雪が降りますんで、玄関に暴風雪を避けるため、スレートをかけるというようなことをやったり、それから車いすが必要な方にスロープをつけたりとかありましたんで、やっぱりそれなりの改良っていうのは必要っていうことなんだろうと思います。
 それから心のケアのことですが、中越地震の場合は動物と一緒に避難できるかどうかが課題になりました。中山間地域ですので、例えば牛が家族同様に住んでいます。それから私は全日本錦鯉振興会の会長もしていますが、被災地の山古志村は錦鯉発祥の地です。ここで近親交雑で発生したのが錦鯉です。そんなところで親鯉を失うということは、自分の生活基盤を失ってしまうということになります。親鯉を失うぐらいなら、俺はここに残って鯉と一緒に死んでもいいという方がおられる。さらに動物は、自衛隊は一緒に運んでくれません。「マリと子犬の物語」という映画にもなったんですが、タオルがないと見られないような映画ですけど、復興しようという気持ちを持ってもらうには動物と一緒に避難できて初めて可能になることがわかってもらえます。動物救護本部をつくるというのが極めて重要だということを認識しました。
 中越地震では、山古志小学校、山古志中学校など、避難所は健在だったんです。でも道路が全部寸断されてアクセスができない、電気・ガス・水道、通信も途絶えて十分なケアができないということでラインを下げた、つまり避難所からケアができる場所に移っていただきました。そのことによって、ボランティアにも来てもらえましたし、民間のトラックにも入ってもらえました。全部を行政でやらずに、NPOや中間支援組織とコラボレーションするということも、兵庫県のチームにアドバイスをいただきました。災害対策本部に研究者の皆さんに入ってもらって協力いただいたのも、アドバイスがあったからです。NPOの代表の方にも災対本部に入ってもらいました。官と民がコラボレーションできたというのも、復旧・復興に大変効果があったと思っています。

<復興基金と復旧・復興の進め方について>

▽井戸 -復興は時とともに変化する課題に対応することが大切-
 先ほど72時間で何をするか、10日間、1か月、3か月で何をするかという話がありました。阪神淡路の場合は、全く予測もしていなかったし、備えもなかったので、そういうシナリオもなかった。だから手探りで復旧・復興していくしかなかったんですね。3か月ぐらい後になって急に罹災証明を欲しいと言われて、どういう風に発行していくかも含めて対応に追われたとか、そういう積み重ねだったんです。私たちの経験を知っていただくだけでも、スケジュール感が出てくるという意味で、違ったんだろうなと思います。もう1つは、復旧・復興っていうのは時期によって重点が変わってきます。被災直後は避難所対策などに追われますし、仮設住宅の時期は生活の安定をどう図るかということになります。恒久住宅を整備するときは入居してもらった上で被災者の生活をどう維持していくかということが課題になってきます。あわせてその間にインフラ整備をできるだけ急がないといけないということになります。しばらくすると、産業復興や地域振興が課題になる。そのような意味で、震災復興っていうのは、変わりゆく課題にいかに適切に対応できるかということが強いられます。中越地震の場合は、泉田知事がそのあたりを的確にされたのではないかと思います。

▽泉田 -復興基金制度のメリットはより現場に近いところで最終決定ができること-
 ありがとうございます。それを支えていただいたのは、阪神淡路を経験した兵庫県職員、それから「人と防災未来センター」の研究員の方々のいろいろなアドバイスです。今でも覚えている最初の強烈なメッセージは、井戸知事が言われたような、時間と共に変化するニーズに柔軟に対応できる態勢、予算が必要だということです。復興基金をつくるべきというメッセージをもらったんですよ。そのポイントは何かというと、最終決定を地元でできるということなんです。国の査定ということになると、「全国横並びでどうですか」ということになる。災害は一度たりとも同じ顔をしていないにもかかわらず、前例と横並びで振り分けられる。復興基金は最終決定が現場でできますので、必要な施策を柔軟に決定できた。復興基金をつくりなさいよというアドバイスが、ものすごく役に立ったということを覚えています。1つ例を挙げますと、恒久住宅に移ってもらう際に、お子さんと一緒におじいちゃんおばあちゃんにも住んでもらうと家族関係もよくなります。しかし、嫁姑関係が難しいということもある。親族の住宅に同居するおじいちゃんおばあちゃんなどに復興基金で一定額の支援をしますということにすると、お嫁さんもおばあちゃんがいるから支援してもらえるよねということになるし、おばあちゃんも世話になるねという気持ちの上に私もやることはやるからということになって、家族の絆ができたということも起きました。
 他にも、雪の対策でも、集落が所有・管理している消雪パイプや流雪溝の復旧支援や、「手作り田直し等支援事業」といって、国の災害復旧事業の対象とならない小規模な農地の復旧を、自分で重機を運転するなどしてやった場合に支援しますよということで復旧が進みました。また、地域復興支援員制度もつくることができました。これは地域コミュニティ機能の維持・再生や地域復興活動を支援する地域復興支援員の設置や活動を支援するというもので、東日本大震災の復興にも引き継がれています。基金があったからこそ、現場で意思決定ができ、ニーズに応えられて、復興がスムーズに進みました。そういう意味で阪神淡路からのメッセージが成果を上げたと思います。

▽井戸 -自立を促す仕組みづくりを-
 復興基金は雲仙の噴火災害から始まっているんですが、一般的な制度で十分に行き届かないところをきめ細かく埋めていける、現場に即した対策ができるというところが重要だと思うんですよね。阪神淡路の復興過程の中で気をつけたのは、仮設住宅や恒久住宅に入った被災者の生活支援はするんだけども、単に金銭を交付するということはやめようという点です。少なくとも何らかの形で社会的活動を展開していただいた場合に生活支援をする、つまり一種の対価として支払う。そうするとその被災者の尊厳も考慮しながら、しかも生活支援の金銭を交付できるということにつながるので、いろんな試みをしました。例えばお年寄りが子どもたちに学んだことや遊んだことを伝承するとか、あるいは仕事開発事業のように清掃作業など一定の労働も提供していただくような仕組みをつくりました。復旧・復興過程の中で、単に保護されているというのではなく、自分たちの役割を果たしていくんだという意識をもってもらうということが重要だと感じましたね。

▽泉田
 本当にそうですね。最初はものすごくたくさん支援していただくんですけれども、最後は自立していかないといけないんですよというのも、阪神淡路からのメッセージとして、兵庫県の職員の皆さんから直接言われました。そのための支援としての基金というものが、極めて有効だったし、次の可能性を開くことができたと思います。

▽井戸
 東日本大震災の場合は、特別交付税を財源に基金をつくっています。基金事業が本当に必要となるのが、被災者が仮設住宅から恒久住宅に移行し、そして移行した後の生活再建の過程です。この時期には、非常にきめ細かい対応が必要になってくるはずなので重要性が高まります。そのための知恵が各地域で必要になっていくと思います。

▽泉田 -ニーズに応じてその都度事業が決められる-
 ぜひメッセージとしてお伝えしたいことなんですが、役所のルールと現場のニーズが乖離しているところがあるんですね。基金の額をいくらにするという時に、積算がないと国は認めてくれないんです。その積算は、発災直後の考えと過去の例でつくるものですから、実際に必要となる事業がわからないまま額が出る。その結果、10月下旬の震災だったんですが、12月にファイル1冊ができあがって、「知事、600億円の使い道が決まりました」と報告が来ましたが、あらかじめ使い道を決めて割り振ったらもうそれで基金の役割は終わってしまうんですよ。兵庫県の職員の方から言われていたのは、時間とともにニーズが変化しますよということだったので、基金の額は積算したけど、事業の内容は全部チャラにして、基金の理事会で執行していくことにしました。重点的に支援する地域の首長さんと、JA、観光協会、社会福祉協議会、女性財団、こういった団体の代表に入っていただいて、実際に必要なニーズに基づいて事業内容をその都度決めていこうという方式にしました。時間とともに変わっていくニーズに対応でき、結果として的確な対策を打てたということになりました。

▽井戸 -被災者復興支援会議で現場のニーズをくみ取る-
 そうですね。我々の経験では、現場のニーズをどうやって把握するかというのが非常に重要だったんですね。被災者復興支援会議というのをつくったんです。専門家と県職員がペアになり、専門家は専門的な視点で現場を把握し、あわせて職員の目で現場ニーズを把握する。その現場ニーズを持ち帰って、どういう対策をすればいいだろうかというのを支援会議で議論したんですね。私、当時は副知事としてこの会議に参加していましたが、役所側がこれはとてもできませんと主張すると、専門家はそれやらないとこういう課題が出てくるのではないか、というように丁々発止の議論が行われたんですが、それが発展して、この制度は使えないが別の仕組みで解決できるんじゃないかというような総合的な検討がなされました。出前の形で現場のニーズを吸収して対策がとれたというのはやはり基金事業の成果ですね。

▽泉田
 まさにおっしゃるとおりで、基金があったので、ニーズを集約して政策に反映させることができました。特に、復興基金の財源として、県の負担部分や新潟県中越大震災復興宝くじの収益金なども組み入れ、基金を弾力的に運用したことは、地域コミュニティの復活を加速するのに大変有意義だったと思っています。

<ボランティアについて>

▽泉田 -ボランティアとの交流で集落が元気になった-
 中越地震を受けて、集落の人口減少などの課題が生じました。震災前は、よそ者とか身内とかという概念が集落内にありましたが、ボランティアなどいろんな人と交流をすることで意識が変わっています。確かに人口は減っていますが、相変わらず車で元の集落に通ってきたりして、その土地は活用されてますし、復興の過程でできたネットワークが集落を元気にしてくれています。震災後10年経って復興の総括をしたんですが、有識者からも、集落が元気になったという評価をいただきました。災害があると積極的にボランティアに出かけていって交流するということも起きています。また、兵庫ともいまだに交流させていただいています。ありがたいと思いますね。

▽井戸 -受入れの仕組みをつくっておくことが重要-
 ボランティアの話ですが、阪神淡路の時はたくさんの方に自主的に来ていただいたんですが、軽装備で、食料や水も持たずにどんどん来られるもんだから、ボランティアに対してボランティアするということが大きな仕事になりました。しかし励ましは受けましたよね。それなりの活動も展開してもらいました。それで、ボランティア元年ということになったんですが、東日本の際は、最初のうちは拒否だったんですよね。来てくれるなと。だけど、あえて我々は出かけていきました。必要性があるにもかかわらず、さばけないというのが課題だったんですね。つまり、どう応援を受けるかというシステムを持っていなかった。それで、我々はアドバイスしたり、ボランティアコーディネーターを派遣したりしました。4月下旬からの大型連休前には、仙台郊外の高速道路上にボランティアインフォメーションセンターをつくって、被災地のどこのニーズにどう応えていくか、大まかな仕分け作業をさせてもらいました。これは非常に機能したんじゃないかと思います。ボランティアを受け入れる仕組みは2つの種類があって、我々は社会福祉協議会を中心にやっている。例えば福井県などは、役所が中心になってボランティアの受け入れ対応をされている。この2つのタイプのどっちがいいか悪いかは、比較する必要はないんだと思いますが、災害時にどうボランティアをきちんと引き受けて対応するか、事前にシナリオ化しておくべきなんじゃないかと感じます。

▽泉田 -ポイントは受入れコーディネーターの育成-
 おっしゃるとおりで、中越地震の際もうまくボランティアを受け入れた地域と、そうでない地域で差が出ました。ポイントはなんだったかというと、組織の有無ではなくて、ボランティア受け入れ能力がある人がいたかどうかだったと思います。それから役所の災害対策本部に入ってコラボレーションできるかどうかというところが重要です。私は以前、(資源エネルギー庁の)石油部にいたことがあったのですが、日本海でロシアタンカーのナホトカ号が座礁して、海岸に油が漂着したことがありました。そのとき多くのボランティアがひしゃくで油をすくってくれました。そのときのボランティアを仕切った方に災対本部に入ってもらったんです。ボランティアさんをコーディネートするノウハウを持った人を、役所でも社会福祉協議会でもいいんですけど、育成しておく、そしてそうした人々のネットワークがあるということが重要です。

▽井戸 -ボランティア活動を災害対応の一つの仕組みとしておく-
 いま私たちは、ボランティアが遠方でも活動しやすいように、例えば交通費や宿泊費の割引制度をつくるといった、大災害時にボランティアが活動できる基盤をつくってほしという働きかけを全国運動として展開しています。ボランティア元年から20年たったわけですので、ボランティアの活動しやすい仕組みを用意する。今までほとんど仕組みが無いなかで、アドホックな対応になっているのが実情ですので、ボランティア活動を災害対応の1つの仕組みとして構築していくことが問われてるんじゃないかと思ってるんです。

<災害情報について>

▽泉田 -情報環境の変化の中でどう情報を把握するのかを考える-
 新潟は災害ボランティア基金をつくっています。いざという時にボランティアバスを出したりしてるんですけど、時代に対応したやり方も必要と思っています。阪神淡路の時は、パソコン通信はありましたが、インターネットはなかったんです。新潟の地震の時、中越も中越沖もそうなんですが、インターネットがありました。それによって、中間支援組織同士が直接つながるということが起きてますし、最近ではどういうニーズがあるか、直接被災者が発信するケースも出てきています。どう情報を把握するかっていうのが、情報環境の変化の中で考えていかないといけないのかなと思います。一方で、ネットだけに頼ってしまうと、発信できた人の所だけに支援が集中して、本当に必要な所への対応が漏れる恐れもあります。難しい課題を抱えながら対応が求められているのではないかと思います。

▽井戸 -被害情報はこちらから取りに行く、予測情報でまず動く-
 そうですね。大災害が起きれば、一番激甚地の情報がゼロなんです。その周囲の情報は入ってきます。阪神淡路の時もそうだったんですが、情報が入ってこないということは、実を言うと一番ひどい被害に遭っているということなんですね。だからどういう状況か、待っているんじゃなくて、こちらから情報を取りに行かないといけないんです。そのことを行動のスタートにしないといけません。もう一つ、情報が入ってこないことへの対策として、阪神淡路の経験をもとにフェニックス防災システムというものをつくりました。このシステムでは、例えばどこかでマグニチュード7の地震が起きれば、瞬時に全県的な被害予測が出てきます。その予測情報に基づいて、人と物資を派遣してしまう。実態を確認しないで派遣してしまう。その上で、情報の整理をして、徐々に対応を変更していく。そういうシステムを運用しています。

▽泉田 -情報の発信は時期に応じてメディアを使い分ける-
 すばらしい。まさに一番被害が甚大な被災地の情報がないという経験は新潟でもありました。それから中越沖地震の時ですが、これは原発震災を初めて経験したんですけど、原発施設の中で火災が起きたという災害です。その情報を一番施設に近い人たちが知らない、こういう状況がありました。情報を得るには何が一番有効かというと、これも時間とともに変化します。よくコミュニティFMが有効だという話が出るんですが、発災直後は、コミュニティFMも被災していて、必ずしも有効とはいえない。県域のラジオ放送、これは非常用の電源もあるので、これを確認するということがやっぱり重要なのかなと思います。コミュニティFMは、2日目ないし3日目ぐらいから重要性を増してきて、どこのコインランドリーが動いてます、どこのスタンドが使えますというような生活情報を放送し始めます。身近な生活情報は県域情報でやっても効果的ではない。行政サービスや物資の配給がいつありますとか、いつ給水車が来ますとか、コミュニティFMの得意とするところで、聴取率も上がります。2日ないし3日目ぐらいから数か月間は、コミュニティFMが一番活躍すると思います。時期に応じてメディアを使い分けていく、その中で今度はインターネットがどう位置づけられるかいうことになると思います。

▽井戸
 泉田さんがFM放送について触れられましたけれども、阪神淡路の際は、外国人の方がかなり神戸中心に住んでおられた。この外国人の方々に対する情報が止まってしまいました。それで、FM局をボランティアの皆さんがつくって、ラジオ関西も協力して、FMわいわいという多言語の放送がはじまりました。スペイン語、ポルトガル語、英語、韓国語、中国語など多くの言語で、身近な情報を提供してくれました。

<広域防災について>

▽井戸 -関西広域連合の発端は広域防災対策-
 私たちが関西広域連合をつくった一番の理由は、南海トラフ地震への対策なんです。考えてみますと、各県ごとの防災計画、あるいは防災対策はあるけれども、南海トラフ地震のような広域的な災害が予想されているにも関わらず、関西全体としての司令塔がないじゃないか、調整機関がないではないか。だからこそ、いざという時に備えて、府県を越えた何らかの仕組みを用意する必要があるのではないかということです。広域観光だとか広域医療だとか広域産業だとかを含めて、関西広域連合をつくったんですが、一番の発端はやはり、広域防災体制をどうつくり上げるかということにありました。各府県が市町と一緒になって、具体の対策はするわけですが、横の連携とか、全体としてどう役割分担するかというのは、関西広域連合の方で調整しようではないかということです。広域の応援と受援の計画ですとか、それに基づく活動要綱ですとか、あるいはアクションプランというものをつくっています。分野別でも、地震津波対策、風水害対策、感染症対策、原子力災害対策の各分野で、プランづくりをしてきています。

▽泉田 -広域避難には日頃から顔の見える関係が必要-
 中越地震の際も広域連携の必要性は実感しました。避難所になった体育館の中に高齢者の方とか授乳が必要な赤ちゃんを抱えたお母さん、体の不自由な方、こういった災害時に援護が必要な方々も避難してきます。板場で1週間、10日が過ぎると、本当にもうきついということになりますので、もう少し環境のいいところでサポートしたいということになります。そのようなときに、当時の田中長野県知事から連絡もらって、温泉地に少し余裕があるんで、どんどん被災者を送ってくださいという話をいただいたんです。板場でいるよりも温泉街でケアをしてもらった方がいいし、復興の働き手も集中できるよねということで呼びかけたんですが、誰も行ってくれませんでした。なぜかというと、地縁血縁が全くないところにほかの被災者が苦しんでる中で自分だけ行くのは大変申し訳ない、みんなここにいるんだったら自分もここで頑張るっていうことでした。しかし、時間が経過して板場で耐えられなくなると、身内を頼って、突然埼玉や東京、千葉に行きますっていう形で遠隔地へ避難せざるを得ないという状況になりました。そうならば、普段から遠隔地の人たちとも顔の見える関係をつくっておくのが重要ではないか。それも町内会単位、自主防災組織単位ぐらいで、お互いいざという時に受け入れ可能な施設を見ておくとか、草刈りでも稲刈りでも田植えでもいいんですけど、顔を合わせておくだけで広域避難が円滑に進むのではないかと思います。
 東日本大震災の時、特に福島の原発事故で被災された方、原発から避難して来られた方々の数は、政令市新潟を目指した人と、柏崎刈羽を目指した人がほぼ同じくらいだったんです。なぜかというと、東京電力の企業城下町で地縁血縁があったということ、同じ東電の関連会社ということで、やっぱり旧知の所に避難されています。安心感を求めて避難されるんで、普段から顔の見える関係をつくっておきましょうということで、いま新潟では防災グリーンツーリズムを進めています。

▽井戸 -原子力災害に備え広域避難ガイドラインを策定-
 東日本大震災の時に、兵庫県でも淡路島に閉校した高校の校舎を急遽改造して、遠隔避難所として使ってもらえるよう提案をしたのですが誰も来ていただけなかった。その理由は、家族だとか親戚の安否確認ができていないうちに、それをほったらかしにして自分だけ逃げ出すわけにはいかないという気持ちが強かったんですね。3月11日はまだ東北は寒いですから、せめて寒いところから少し暖かい所へという思いがあったんですが、やはり難しいなあと思いました。その後、福島や宮城の高校生の皆さんに、夏期の合宿に使っていただきました。広域避難というのは、よほど差し迫らないと動いていただけないという面があるのを実感しました。しかし、原子力災害は例外です。関西には若狭湾沿いに原子力発電所がいくつかありますが、広域連合が中心となって広域避難のガイドラインをとりまとめました。兵庫や大阪、徳島など関西一円の府県が、避難元の市町と避難先の市町をマッチングして、避難場所となる体育館や集会所を決めたり、避難の要領を示したりしています。阪神淡路の際は、兵庫県から県外に避難した被災者が把握できただけでも1万世帯前後ありました。その方々に、今も情報の提供を続けています。復旧・復興の過程に応じて、仮設住宅の入居案内、恒久住宅となる復興公営住宅の入居案内などを中心に、情報提供をきめ細かくすることによって、兵庫への帰県を呼びかけました。これも基金事業で実施しました。ただ、県外に出られると、時間的経過によって、生活圏ができ上がってしまいます。就職とか子どもたちの学校の関係とか。そうするとなかなか戻ってこられないという状況ができてしまう。だけども何となくふるさとに思いがある。その思いに応えていくというのも非常に重要だというのが我々の経験でしたね。

<孤立集落などへの物資・サービスの供給について>

▽泉田 -サポートしやすい場所で民の力とコラボ-
 阪神淡路と違って、集落ごとに点在する中山間地の場合は、道路が通れない、それから土石流があったということで、住宅から離れて隣町に行くケースがありました。これも当人たちにとっては広域避難です。このような避難は、どの段階でどういう判断をすればいいのかということになります。48時間以内に避難の決断ができると、対処しやすくなります。東日本大震災の時は、孤立しているところに自衛隊などが5月中物資を運び続けたんですけど、道路が確保できないような避難所からラインを下げて他の場所に移ってもらうという形であれば、ボランティアにも入ってもらえますし、自衛隊に頼らなくても民間のトラックも入れます。そうしておいて、残された部分、中越の場合は牛や鯉やペットでしたが、東日本でいうと救助が行き届かない人々に自衛隊の力を集中的に投下するという判断が必要ではなかったかと思います。全体像を早くつかみ、物資を運べない所はサポートしやすいところに避難をしていただいた上で、復旧・復興作業をやった方が早くできる。特に大規模な災害になればなるほど、例えば首都直下型地震のように1日に1,200万食の輸送を全部官に頼るというのは非常に難しいので、民の力とどうコラボするか。これは広域避難の課題ではないかと思います。

▽井戸 -民間輸送の活用は関西広域連合でも議論-
 これは大変重要な問題ですよね。東日本の時は、各市町村ごとに置かれた物資の集積拠点までは集まってきました。ところが、そこからの各々の避難所までの配送がうまくいかなかった。ガソリン不足もあったかもしれませんが、今まで物資輸送なんかしたことない人が運転して、トラックで配るなんて無理なんですよね。今、関西広域連合で議論しているのが、餅は餅屋、運送会社の皆さんの協力を得て、配送していただくかということなんです。民間の皆さんの力を発揮していただける所は、民間にお願いをするという姿勢が重要なんじゃないかと思っています。それからもう1つは、モノというのは、ネットワークがないと運べないんですよね。ところが、大きな災害になればなるほど、集落単位ぐらいで情報が切れてしまう。情報を切れないようにするための電気も途切れるでしょう。そのようなおそれのある孤立集落の対策を進めています。太陽光発電設備と蓄電池を整備して非常時に情報発信ができるようにしてるんですよ。東日本の時には情報が全然入らないので、自衛隊や米軍がヘリで食料や物資を必要性のあるなしにかかわらず、上から落としていったんですね。そうならないように、やはり災害時にも途切れない情報ネットワークを整備することが重要だと思います。

▽泉田
 物資の搬送は、極めて重要です。新潟でも、市役所には物資が行くんだけど、ここから先が大変だと思っていまして、災害の規模によっては、スーパーやコンビニとの協定のなかで、彼らの配送機能を使って直接避難所に届けてもらうという内容にしています。

<中山間地の災害への備え・教訓>

▽泉田 -孤立した場所から一度都市部に避難することが生活再建を早める-
 中山間地の災害では、孤立対策が極めて重要です。孤立した所で支援を続けるというのは無理があります。道路が被災してアクセスできないというような所は、集落ごとに避難していただかないといけないという都市部にはない特徴があります。歴史をたどってみると、関東大震災の時には、新潟県は3万4,000人の避難者を受け入れてるんですよ。でも東京という都市が全部避難したわけじゃなくて、そこで生活しきれない人が避難されてきたんだと思います。都市部の災害というのは、むしろ医療を前線に送るとか、被災地の中で集約をしていくということなんでしょうけど、中山間地の場合は、一度都市部に避難していただいてケアする方が、結果として早く生活再建できるのではないか。そのような違いがあるんじゃないかと思います。

▽井戸 -中山間地の土砂崩れ対策は計画的に-
 2年前になりますが、兵庫県の丹波市で、集中豪雨による大きな土砂崩れが起こりました。ほぼ同時期に広島でも80人近い犠牲者が出た土砂崩れが起こりましたが、流出した土砂のボリュームで言いますと、丹波では広島の1.5倍、約50万立米が動いたんですね。これから集中豪雨などが頻発することを考えると、土砂崩れ対策というのは非常に重要な課題になってきます。中山間地域特有の災害ですので、計画的に砂防ダムや治山ダムを整備しています。土石流が押し寄せても、土石は止めるという対策をやっていかなきゃいけないということで始めてるんですが、箇所数が多すぎて、50年から75年ぐらいかかってしまう状況にあるんですね。しかし、これはしっかりやっていく必要があります。

▽泉田
 まさにそういうことだと思います。都市部は、建物を直して電気や水道が復旧すると、事業活動を再開できますよね。中山間地の場合は、生業が大地と共にあって、中山間地の災害は地盤災害になります。住居が失われるだけでなくて、生産基盤そのものが失われて、生活を元に戻すのに道路や用水路を直さないといけない。こういうことになりますので、都市型の災害と中山間地型の災害では、復旧・復興の優先順位を変えていかないといけない。

▽井戸
 そのとおりです。中山間地は渓流から始まりますから、林業が被害を受ける。それから住居や農地が被害を受けて、土砂で河川が埋まり堤防が壊れる。これを全部総合的に復旧していかないといけない。丹波の災害では総合チームをつくり、総合計画をつくって進めていますが、おっしゃるように、都市災害とは全然様相が違うんですよね。

▽泉田 -医療面での孤立対策も重要-
 医療面での孤立対策も重要です。東日本大震災の時に、医療を被災現場に集中しましたが、透析が必要な方に災害現場で定期的に透析するのは限界がありました。透析が必要な方にとっては、医療孤立になってしまいました。このような方々が新潟県庁にバスで避難して来られて、そこから医療機関に割り振るということになりました。物理的に孤立する人々だけでなく、サービスから孤立した方々にも災害現場から脱してもらってケアを受けてもらう。それから災害現場の対応に集中した方がいい。これも、中山間地型の災害の教訓だと思います。

▽井戸
 障害者などを含めた災害時要援護者全般の課題だと思います。コミュニティで避難の計画をつくると同時に、一人ひとりに応じたマイ避難プランをつくって、支援者を決めて福祉避難所に連れて行く。そのような二段構えの対応が必要です。

<危機管理機能について>

▽井戸 -危機管理機関の分散を国に求める-
 南海トラフ地震の発生確率が今後30年間で70%と言われています。1000年に1回発生するとされるレベル2の災害、つまり東日本大震災のようなマグニチュード9クラスの巨大地震になるかもしれません。30年で70%の確率ということは、必ず起こるというに等しいと考えなければなりません。一方で、首都直下型地震も今後30年で70%の確率で起こると言われているんですね。ところが政府は、首都圏だけで対応するということを前提に対策をつくっています。我々からすると疑問です。南海トラフが動くということは、東海・東南海・南海の3連動地震になるということです。もしかすると、宝永の大震災の時のように富士山も噴火するかもしれない。そのようなことまで考えておかないといけないのではないでしょうか。国の危機管理のあり方として、政府は首都圏だけで解決できるということで対応していますが、もっと日本列島全体としての危機管理態勢を強化しておく必要があるのではないか。そのような意味で、危機管理の機関の分散化を求めています。少なくとも2箇所には用意しておく必要があるということで、関西に防災庁を設置したらどうかという提言をしています。最悪のシナリオとして、首都直下型が起きて、同時かその直後くらいに南海トラフも動くということが考えられます。その場合でも、南海トラフ地震による被害を兵庫や大阪、京都が最小限にとどめれば、関西は支援する側に回れるはずです。そういう意味も含めて、大災害に対する対応拠点をどのように用意しておくかということが非常に重要ではないかと思います。

▽泉田 -大災害を前提とした制度と体制の整備を-
 危機管理における様々な場面を見ていると、自治体側にとって2つ大きな障害があります。
 1つは、財政面が基本的に支援した市町村に対し国なり県なりが支援するという財政構造になっていること、関西広域連合でやられているのは、対口支援という中国の四川地震のときに行われた方式なんですが、これがやりにくいということ、これをどう考えるかということと、様々な平時からの規制が、例えば、犠牲になられた方を仮埋葬していいのか悪いのかとか、ガソリンの品質についてもこれを使っていいのか悪いのかなど、細かい話が規制されて災害時にうまく機能しない。震災とか災害時に適用除外するような緊急立法を認めるような仕組みはいるんじゃないかと実感しています。
 それともう一つ、阪神淡路からのメッセージで、防災って、平時からの人材育成が極めて重要です。兵庫県が二重辞令になっているという話を聞いて、新潟県でも早速直して、今、二重辞令になっています。いざっていうとき、誰がどういう役割をするかあらかじめ決まっていて、班が編制されていて、緊急時モードに通常と違う体制にできるようになっています。また、防災監を経験された方を副知事にしているということも伺いましたので、危機管理監という別途のポストも作った上で、全庁を統括できるようにするとともに、一般の職員は、任期を長くして、背中にマル防と付けて、順番に行き来をしてプロフェッショナルに養成すると。それぐらいのボリュームと専門性が必要な分野なので、本当は危機管理のスペシャリストがいるんだろうなと思っています。

▽泉田 -原子力災害を含む複合災害に対する体制整備が必要-
 さらに、新潟県の場合は原子力発電所が設置されていて、より一層専門知識が必要です。原発事故が起きる時は、柏崎の中越沖地震の時もそうだったのですが、何にもない時に事故が起きるチェルノブイリのような例もありますけれど、自然災害とセットで起きる複合災害の方が起きやすい。これにどう対処するかということが重要で、特に屋内退避指示が出る5キロから30キロ圏は、屋内退避指示が出たら何もできなくなりますが、事前にヨウ素剤を配っておらず、基本的に緊急時に配る指針になっています。そうすると、福島第一原発のときはベント判断まで8時間半ですが、その数時間で、屋内退避指示が出ている中で、いったい誰がヨウ素剤を配りに行くのでしょうか。さらに、避難するときに運転手さんが屋内退避指示の出ている所に入ってくれるのでしょうか。トラックもバスもそうですし船もそうなのですが、今は交渉がまとまっていません。いざという時にどう防護するかという話が置き去りにされている中で、現場にしわ寄せがいっているという状況です。例えば中越沖地震の時であれば、緊急自動車が到達するのに数時間かかりましたので、高速道路を緊急自動車が通れるように土木作業員の皆さんに外で作業をしてもらったのですが、屋内退避指示が出ている中でいったい誰が外で作業をするかが考えられていません。原発複合災害について緊急時にどうするかというのは、各省の理屈はわかるのですが、規制庁と内閣府とバラバラになっているので、体制整備を国にお願いしているところです。
 特に福島第一原発の場合は、今頃になって東電から発表があったのですが、3号機の格納容器が壊れているのです。放射線量の低減はフィルターベントを通せばという話なので、フィルターベントを通さないで格納容器が壊れていましたとか、テロがあってフィルターベントにつながるパイプが外れましたと言った瞬間に、高濃度の放射性物質が出てきて、相当被ばくする、健康に影響を与える線量になってしまいますので、フィルターベントが必ず使える前提で計画を立てるのはちょっと無理なんじゃないかなと思います。

▽井戸
 関西広域連合では、広域避難のガイドラインの策定に続いて、昨年広域避難の実効性を高めるために、避難者の緊急輸送、避難途上でのスクリーニング検査、避難先での二次避難先の確保のため、関西2府8県のバス協会、放射線技師会、宅建業協会と包括的な協力協定を締結しました。ただ、これらの民間事業者の方に30km圏内に入って活動していただくためには、国の専門的な観点からの具体的な手順の確立が必要です。引き続き国に働きかけていきたいと思っています。ともかく、広域的対応体制の整備が不可欠ですね。

【対談内容のPDFファイルは、こちらをご覧ください】
井戸兵庫県知事・泉田知事対談内容(PDF形式  281 キロバイト)
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