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【柏崎】柏崎地域の歴史を巡る「北陸御巡幸ゆかりの地」
柏崎地域は、「越の国」と呼ばれた古(いにしえ)より、北国往還の要所と知られ、街道沿いには多様な地域文化や歴史・民俗などが、今でも受け継がれています。
明治11年(1878年)の初秋、明治天皇御一行が北陸御巡幸の折に立ち寄られた、柏崎ゆかりの地の一部を紹介します。
【安政橋(あんせいばし)】
天正年間(1586年頃)、上杉景勝が領内の宿場の整備や道路交通施策に力を入れ、その一つとして「悪田の渡し」が設置されました。安政年間になって、渡し守達が自費で悪田の流しの下流に架けた橋は、「安政橋」と呼ばれ、渡し料をとって交通の便を図ったと言われています。
明治天皇御一行は、悪田で安政橋を渡られ、荒浜・宮川方面へ向かいました。
【椎谷の御膳水(しいやの御膳水)】
歴史的にも大変価値がある湧き水で、百薬の長とも言われる湧き水です。長い歴史の中で、「不動尊の石清水」と呼ばれていましたが、明治天皇が椎谷の地を訪れた際に、この湧き水を差し出し、昼食のお茶に使われたことから、この名前で呼ばれるようになりました。
椎谷の御膳水は、「新潟県の名水」としても選定されています。
【久寛荘長屋門(きゅうかんそうながやもん)】
石地集落北部の海辺にある、内藤久寛(日本石油株式会社初代社長)の生家です。道路に面した「長屋門」は市指定文化財(記念物・史跡)に指定されている豪壮な門構えとなっています。
明治天皇御巡幸の際には、昼食の宿として供されました。
「椎谷の御膳水」等、明治天皇御巡幸の様子は、柏崎市役所ホームページをご覧ください。柏崎市役所ホームページへ<外部リンク>