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加茂軍議と八十里越~県央の北越戊辰戦争ゆかりの史跡を巡る

2018年02月06日

今年(2018年)は、戊辰戦争終結150周年にあたります。

戊辰戦争における長岡藩周辺を中心とした中越、下越での一連の戦いは、「北越戊辰戦争(又は北越戦争)」と言われています。

1868年5月2日(新暦6月21日)、小千谷に西軍(新政府側)が本陣をおいた慈眼寺において、長岡藩家老河井継之助は、長岡藩が中立の立場を示すことで長岡藩の戦争回避と、会津藩の赦免を求めて、西軍の軍監岩村精一郎と会談(いわゆる「小千谷談判」)をしましたが、30分程度で決裂。長岡藩も討伐の対象とみなされた結果、北越戊辰戦争が勃発しました。

小千谷談判が行われた慈眼寺(じげんじ)の会談のま。ちなみに岩村精一郎は、戊辰戦争終結後、新潟港開港に尽力します。

小千谷談判が行われた慈眼寺の会談の間。ちなみに岩村精一郎は、戊辰戦争終結後、新潟港開港に尽力します。


5月19日(新暦7月8日)、長岡城が落城。河井継之助は、旧幕府側であった桑名藩の預り領であり、交通の要所でもあった加茂に移動します。

5月22日(新暦7月11日)、市川邸において、東軍(旧幕府側)である奥羽越列藩同盟により、西軍に対抗するための軍議が開かれました。この軍議は、通称「加茂軍議」と言われています。
河井継之助は、軍議の場で、会津藩や米沢藩、村松藩など西軍に対抗するため、東軍の諸藩をまとめあげ、反転攻勢に打って出ます。その結果、一度は落城となった長岡城を奪還するなど、加茂軍議は、北越戊辰戦争における重要なポイントでした。

7月25日(新暦9月11日)、東軍は長岡城を奪還するも、河井継之助は負傷。7月29日(新暦9月15日)に、西軍に再奪還され、会津に向って八十里越を通り敗走。その時に継之助は、「八十里こしぬけ武士の越す峠」と自嘲の句を詠みました。
2日がかりで八十里越を通りぬけ、福島県只見町に到着しましたが、8月16日(新暦10月1日)に、河井継之助は負傷がもとで亡くなりました。

北越戊辰戦争は新潟県のほとんどを巻き込んだ戦争でした。
県央地域にも北越戊辰戦争ゆかりの史跡等があり、そのいくつかをご紹介します。

東軍が集結した軍議の地、「加茂」

5月22日に加茂軍議が行われた市川邸の跡。今は北越銀行加茂支店になっています。
河井継之助が宿舎とした皆川邸の跡。今は上町コミュニティセンター。

5月22日に加茂軍議が行われた市川邸の跡。今は北越銀行加茂支店になっています。

河井継之助が宿舎とした皆川邸の跡。今は上町コミュニティセンター。

桑名藩の本陣があったといわれる大昌寺。負傷者を治療する病院にもなっていました。加茂市松坂町地内
加茂市民俗資料館に展示されている北越戊辰戦争当時の弾丸。加茂の地にあっても、西軍に加勢した勢力がいました。

桑名藩の本陣があったといわれる大昌寺。負傷者を治療する病院にもなっていました。(加茂市松坂町地内)

加茂市民俗資料館に展示されている北越戊辰戦争当時の弾丸。加茂の地にあっても、西軍に加勢した勢力がいました。

西郷どんの弟が戦死。激戦の地、そして継之助が通り抜けた地、「三条」

三条市の田島橋付近にある戊辰戦役の碑。8月2日(新暦9月17日)に五十嵐川を挟んで両軍が激突。西郷隆盛の弟(西郷吉二郎)が、この石碑の近くでの戦いで負った傷により、戦死しました。
三条市駒込地内にある赤坂峠古戦場跡。村松藩、米沢藩などと西軍が戦った激戦の地でした。【写真は平成28年6月撮影】

三条市の田島橋付近にある戊辰戦役の碑。8月2日(新暦9月17日)に五十嵐川を挟んで両軍が激突。西郷隆盛の弟(西郷吉二郎)が、この石碑の近くでの戦いで負った傷により、戦死しました。

三条市駒込地内にある赤坂峠古戦場跡。村松藩、米沢藩などと西軍が戦った激戦の地でした。【写真は平成28年6月撮影】

見附市小栗山付近での戦争の際、米沢藩が本陣をおいた東山寺(三条市小滝地内
八十里越は厳しい山道で、苦労しながら会津に向いました【写真は平成29年6月撮影】

見附市小栗山付近での戦争の際、米沢藩が本陣をおいた東山寺(三条市小滝地内)

八十里越は厳しい山道で、苦労しながら会津に向いました【写真は平成29年6月撮影】

河井継之助は、戸板の担架で運ばれて、はちじゅうりごえを通りました【平成29年6月撮影】
脚を負傷した河井継之助が、越後との別れを惜しんだと言われる越後見納めの松【写真は平成29年6月撮影】

河井継之助は、戸板の担架で運ばれて、八十里越を通りました【平成29年6月撮影】

脚を負傷した河井継之助が、越後との別れを惜しんだと言われる「越後見納めの松」【写真は平成29年6月撮影】