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【新潟】にいがた海岸林物語(海岸林の歴史)

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0062885 更新日:2019年6月29日更新

海岸林の歴史

江戸時代 砂防林の誕生

昔から、新潟の海岸は風が吹けば「砂ふぶき」が起こっていました。その度に住民たちは、家や田畑の作物が砂で埋まるという被害に苦しめられてきました。
歴代の藩主は、その対策に頭を悩ませていましたが、「牛腸(ごちょう)金七」という町民が考え出した「簀立て(すだて)」工法が功を奏しました。

「すだて」の様子。現在でも用いられているの画像
「すだて」工法。現在でも用いられている。

人工砂丘の様子
人工砂丘の様子。左側の線は埋まった「すだて」の上部。

竹や葦(よし)で編んだ「すだて」を砂浜に立てて砂を止め、砂丘を人工的に作り出すことにより、風を弱めることができました。
また、砂丘の後ろ側にグミの木や冬でも葉の落ちないクロマツを植えて育て、風と砂の被害を少なくすることができました。これが「砂防林」です。
1843年、新潟奉行となった「川村修就(ながたか)」が海岸の木を切ることを禁止し、6年間で3万本のマツを植えました。こうして、1851年には新潟の海岸全域に砂防林が完成しました。

明治時代 砂防林の広がり

苗を植えた後の様子

明治時代に入り、新潟の町の人口が増えるとともに、住宅や学校、病院の用地として多くの砂防林が切られてしまいました。砂の被害が再び大きくなってきた中で、新潟市湊小学校では、先生・児童・卒業生がお金を出し合って500本のマツの苗を植えました。
これがきっかけとなり、マツ植えは新潟市内の小学生へ広がり、明治44年には、小学生が植えたマツは全部で1万本にもなりました。

昭和から平成へ 砂防林を守る

立派に育ったマツ

昔の人々が長い年月をかけて「簀立て」を作り、グミの木やマツを植えてきたおかげで、砂の被害は減り、新潟市が砂で埋まるという心配はなくなりました。
「森林法」が整備された現在、砂防林は「保安林」として守られています。新潟地域振興局では、砂の害を食い止めるため、今もマツを植えたり「簀立て」を作ったりしています。
私たちはこれからもこの海岸林を守り育てていかなければなりません。

 

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