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長岡地域の川口土地改良区を紹介します。

2010年09月14日
川口土地改良区管内の画像
川口土地改良区は魚野川(左)と信濃川(右)の合流している周辺地域を管理しています。
土地改良区は、
・農業生産を行う上で欠かせない用排水施設の整備・管理や農地の整備を目的として設立された農家の組織です。
・国土の保全や美しい農村景観など多面的機能を持つ大切な資源である農地や農業用水を次世代に引き継ぐ役割を担っている組織です。

川口土地改良区の概要

 川口土地改良区は、昭和49年3月に川口の各地域にあった水利組合(川口原新田土地改良区ほか、和南津・南原、上川)が合併し設立されたものです。その後、野田地区、牛ヶ島地区が加入し現在に至っています。現在、土地改良区の地区面積は196ヘクタール、組合員476人で組織されています。
川口土地改良区域図の画像
川口土地改良区の区域図

川口地域の農業の歴史と新田開発

 川口地域は、信濃川と魚野川が合流する地域で、地殻変動とその堆積と浸食により、段丘状の地形を形成したところに水田が広がっています。
 江戸時代、この地域は三国街道を利用して江戸へ往復する旅人や魚沼から長岡方面に旅する人々、幕府や藩に納める年貢回米の輸送など水上交通の要衝として大いに栄えたほか、漁業も盛んに行われ、鮭がこの地域の特産として江戸や長岡藩等へ数多く献上されました。
 しかし、古くから多くの恵みを与えてきたこの魚野川・信濃川も一度、洪水になれば水嵩が増し大氾濫化し、この地域の人々に数えきれない被害を及ぼしてきました。
 また江戸時代の水田は、畑に比べ生産性も高く有利でしたが、米は貢納物に多く当てられていましたので、日常生活を支えるために農民にとっては畑作が大きな役割を担っていました。その畑では、粟、大豆、小豆、大根、蕎麦、里芋等が作られ、農民の生活が支えられていました。
 また、幕末から明治時代にかけて水田が営まれていた場所は、信濃川等から直接段丘上の農地に水を押し上げる技術がなかったことから、地形的に限られた渓流やため池から用水が取水できるところに限られていました。当時の先人たちは、多大な労力を費やし、そこから約2,000~4,000mの水路を開削し、用水を各水田に導水しました。
 西川口地内の農道の脇には、その開拓(原新田)の歴史を讃える碑が建立しています。
原新田開拓の功績を讃える碑の画像
信濃川の段丘上にある西川口地域の原新田の画像

原新田にある開拓の功績を讃える碑

信濃川の段丘上にある西川口地域の原新田

西川口土地改良の沿革
 今から三百年昔の元禄年間(西暦1600年代後年)信濃川・魚野川の毎年の氾濫のため安定耕作が出来ず丘陵高原を開拓すると共に「江筋」(用水路)を向山地内の相川川より幅四尺(1.2米)長さ千七百十一間(3110米)を構築 田畑二十六町九反開墾「中林新田」と命名。これが原新田農地開拓三百年の歴史のスタートである。
 以来幾多の変遷を経て開発改良がおこなわれ、昭和二十六年川口原新田土地改良区を結成。更に昭和四十九年川口町土地改良区へ統合、農業構造改善事業による基盤整備(百四町歩)並びに用排水路の改良が施され農業の生産性の向上と経営の近代化を図ってきたところである。
 元禄の開発から三百周年を迎えるにあたり先人達の偉大なる功績を讃えると共に地域の反映を願い、ここに記念碑を建立するものである。
                        川口町土地改良区
                      昭和六十二年十二月建立
 
上流3kmから原新田地域へ取水する向山頭首工の画像
相川川から取水する相川口頭首工の画像

上流3kmから原新田地域へ取水する向山頭首工

相川川から取水する相川口頭首工

戦後、この地域では数多くの開田がなされ、土地改良区が施設を維持管理しています。

 戦後、飛躍的に機械技術が向上し、段丘上のまとまった農地(桑畑)などは、昭和30年代から40年代にかけて盛んに新田開発が行われ、現在この川口地域には数多くの美田が広がっています。
◇渓流・ため池を水源とする地域・・・・・・野田、西川口地区
◇信濃川・魚野川から揚水している地域・・・上川、和南津、中山地区
 土地改良区は、この地域の用水施設である揚水機場7カ所、頭首工4カ所と用水路等約16kmを維持管理しております。
 その運営費は、各地区の組合員から均等に共通経費として集められますが、水利費(電気代、運転経費等)等の維持管理費については、地区毎に地形条件が大きく異なることから、別々に経費が集められています。
 信濃川からポンプ施設により段丘まで揚げている上川地区では、ポンプ運転に2名、水田に順番に配水する係員8名が交代で日夜施設を管理しています。この揚水された水は、水田を潤すとともに集落内の水路を流れ、地域の生活用水として重要な役割を果たしています。

上川地区の約82ヘクタールを潤すための上川第1揚水機場

信濃川右岸脇に立つ上川第1揚水機場の画像
上川第1揚水機場のポンプ3台の画像

信濃川右岸脇に立つ上川第1揚水機場

各所にそれぞれ圧送するためのポンプ施設(3台)

中越大震災により旧施設が全滅し、新たに更新された南原揚水機場

信濃川右岸に設置された南原揚水機場の画像
揚水機場から圧送される吐口水槽の画像

信濃川右岸から取水する南原揚水機場

揚水機場から圧送される吐口水槽

和南津橋上流の魚野川左岸から取水している和南津揚水機場

和南津揚水機場の画像その1
和南津揚水機場の画像その2

魚野川から取水する和南津揚水機場その1

和南津揚水機場の取水口の様子

これら用排水施設の維持管理費は、関係農家から農業水利費が徴収され、土地改良区によって守られています。

川口地域には「あぐりの里」や自然を満喫できる施設がいっぱい!

あぐりの里の画像その1
あぐりの里の画像その2

国道17号脇にある「あぐりの里」

あぐりの里の様子

 「道の駅 越後川口/あぐりの里」は、道路や地域の情報を随時提供する案内・サービス施設のほか、地域で採れた野菜直販施設や売店施設などがあります。
 野菜直販施設では、朝採れた新鮮野菜や漬け物などの加工品を販売しています。また、土日には生産者が売り場で直接、「顔の見える農業販売」を実践しています。
 周辺には、「えちご川口温泉」や「川口やな場」などの施設があり、自然を満喫することが出来ます。
川口やな場の画像
魚野川に設置されている川口やな場のイメージ

県営基幹農道事業で建設中の「牛ヶ島大橋」がまもなく開通します。

まもなく完成する牛ヶ島大橋の画像
下流より牛ヶ島大橋を望む
 県では、信濃川によって遠く迂回することを余儀なくされている長岡市(旧川口町)牛ヶ島地区の田畑をつなぎ、この地域の農業生産性の向上、流通の合理化、農村環境の改善を図るため牛ヶ島大橋の建設を進めています。
 この牛ヶ島集落は信濃川の右岸地域にありますが、対岸の西川口地内にも牛ヶ島集落の農地が広がっています。この対岸の耕地は、寛政元年(1789)の信濃川の洪水により、蛇行する氾濫原で流れのままに変転していたものが三筋に分かれて中島ができ、その外側の川筋がしだいに浅くなり、州となりやがて地続きの陸地になったものです。その後、新田開発抗争を繰り返す中で嘉永5年(1851)に牛ヶ島新田が成立し、現在に至っています。
 当時、地域の人々は魚野川や信濃川に渡る橋が無かったことから、対岸まで約300mを渡し舟で行き来して耕作していましたが、昭和40年代の車社会の発達により、上流の橋や道路を経由し、5kmの道のりを迂回しながら耕作をしていました。
 今後は牛ヶ島大橋が江戸時代から続いていた渡し舟の替わりとして、地域住民や地元の生活の足として利用されることが期待されます。