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79 木村家・庵室跡

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0053503 更新日:2019年3月29日更新

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概要・良寛とのゆかり

 能登屋木村家は近世初め、菩提寺の隆泉寺とともに能登から移ってきた。明治までは島崎村の百姓代を代々務めてきた旧家である。個人宅。
 良寛は69歳のとき、乙子神社草庵から木村家の離れの庵室に移住し、晩年の約5年間を木村家に身を寄せていた。
 貞心尼とはここで出逢い、最後は弟由之や、遍澄、貞心尼、木村家の家族に看取られ74歳の生涯を閉じる。
 木村家の敷地内にかつて良寛が住んでいた小庵の跡には「良寛禅師の庵室跡」の石碑が建っている。
碑は日本画家の安田靭彦(ゆきひこ)によって書かれたもの。同家及び庵室は明治維新の戊辰戦争で焼失したが、良寛の遺墨を収蔵した土蔵だけは焼失をまぬかれた。
 良寛は国上山の乙子神社の草庵に住んだが、身の回りの世話をしていた偏澄が願王閣主になるにあたり、島崎の木村元右衛門(利蔵)に依頼し、また元右衛門も良寛を敬慕していたことから実現した。
 良寛の住んでいた小庵は8畳2間ほどの広さで、中央に炉がありかぎ竹がつるされており、薪も飲み水もすぐ側にある簡素なものであった。
木村元右衛門は、表座敷をと勧めたが、離れの小屋で結構だと言い、そこを改造して住んだといわれる。
 74歳の1月6日午後4時頃に示寂。直腸癌であったといわれる。

全景写真

木村家・庵室跡の全景写真

良寛の辞世ともいわれる句

良寛の辞世ともいわれる句の画像

詩歌碑・像

「良寛禅師庵室跡」碑:木村家裏庭、大正9年(1920)木村家十六代木村達雄建碑、筆者 安田靫彦

「良寛禅師庵室跡」碑:木村家裏庭、大正9年(1920)木村家十六代木村達雄建碑、筆者 安田靫彦の画像

良寛禅師遷化の碑:木村家表門前、明治44年建立
 碑面)深川本誓寺 福田循誘
 碑陰)山口県徳応寺 赤松連城

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