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67 三輪家別荘 楽山苑

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0053506 更新日:2019年3月29日更新

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概要・良寛とのゆかり

大坂屋三輪家
 大坂屋三輪家は牧野家が分封の頃に与板に移った。信濃川を往来する船運で繁盛し、各藩に資金貸付や回米両替商として発展した。豪商備前屋江口家(伊能忠敬が宿泊)の勢力が衰退を始めた頃より勢力を伸ばし、宝暦年間には日本三指に数えられる大豪商として総資産百四十万両を誇った。潤太郎の実弟が洋画家の三輪越龍、甥は日本画家の三輪晃勢、その息子も日本画家の三輪晃久であり、多くの画家を輩出している。

楽山苑
 大坂屋・三輪家の別荘。春には毎年恒例の「楽山苑ライトアップ」が行われている。
庭内には良寛が江戸に托鉢に出かけた維馨尼に宛てた書簡の天寒自愛の碑など、大坂屋と交流のあった良寛の詩碑が二基ある。
 開館時間:9時~21時
 休館日:年末年始(12月28日~1月3日)
 入館料:無料
 施設(楽山亭、積翠菴)を利用する場合は有料・要予約
 Tel:0258-72-3100(与板観光協会)
 駐車場:あり

 当時の別荘楽山亭は眼下の駐車場にあった。良寛も同所を訪れて斜傾庭園を眺めている。
現在の楽山亭は、明治25年(1892)に大坂屋三輪家11代当主三輪潤太郎が国政に参画し、客人をもてなすために、斜傾庭園の高台に茶室風別荘として建てられ、景色を楽しむ為の柱を省略するなどの配慮がなされ、簡素の中にも粋や贅を尽くした名茶室を模した建物である。当時の著名な各界名士が数多く訪れている。

左一と維馨尼
 六代当主長高の弟・左一は良寛と深く交遊し、姪のきし(後の維馨尼)を良寛は可愛がった。
又、左一は商才にも長けていたと伝えられる。三輪佐一は、後に良寛の禅に参じ法弟となった。
良寛の胸中を最もよく理解した友人である。

全景写真

楽山苑の写真1

逸話
 同家には良寛の逸話が数多く残されている。
 7代当主長泰は良寛を鮒でもてなしたと伝えられ、
 同家より借りた万葉集には良寛が『おれがの』と書き入れていた。
 丸山応挙の子犬の図に書き込んで逃げたとも伝えられる。
 この作品は戦前まで所蔵者が知れていたが、戦後は空襲で消失したと伝えられる。
 明治期の北越製紙社屋は同家が移築され、社史に写真が残っている。

楽山苑の写真2

詩歌碑・像

良寛の詩碑(君欲求蔵経)

良寛の詩碑(君欲求蔵経)の画像

良寛の詩碑(与子従少小)

良寛の詩碑(与子従少小)の画像1

良寛の詩碑(与子従少小)の画像2

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