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【長岡】越後長岡百景の「25 はちすば通り(和島)」を紹介します

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0053466 更新日:2019年3月29日更新

 「越後長岡百景」とは、長岡圏域にある様々な「風景」と、そこに秘められた「人々の想い」を集めたものです。
 その百景のひとつに選ばれた「25 はちすば通り(和島)」について紹介します。

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「想い」のタイトル

 はちすば通り

公募でよせられた想い・情景(越後長岡百景)

公募でよせられた想い・情景(越後長岡百景)の画像

 和島村の良寛史跡を探訪したときに、はちすば通り沿いの良寛様関連の史跡を巡りました。この通り沿いには、良寛様が晩年過ごした木村邸、お墓がある隆泉寺、弟子の遍澄の墓、宇奈具志神社の歌碑などが点在していおり、晩年の良寛様に触れ合うことが出来て心が躍りました。やっと車がすれ違える狭い通りで、曲がりもあって見通しは悪いのですが、このままのレトロな雰囲気を保って欲しいものです。
(与板町在住 50代 男性)
※ 内容は平成16年の応募当時のものです。

百景の想いや場所にまつわる短歌(越後長岡百歌)

 良寛が夏を憩ひし出田の宮を訪はんと木村邸出づ
 鐘なりてはちすば通りくれなずむ擦れ違う人良寛に似て
 ※ 内容は平成17年の応募当時のものです。

関連情報

良寛墓碑の画像
良寛墓碑

はちすば通り
 この地区は良寛遷化(終焉)の地であり、また、良寛が心を許した尼僧・貞心との出会いの地でもあります。平成3年、良寛と貞心尼が歌を詠み交わしながら歩いたであろう、木村家から良寛の里周辺までの通りは、「はちすば通り」と名付けられました。この名称は、良寛遷化の後に、貞心尼が良寛との相聞歌を書き残した「蓮の露(はちすのつゆ)」にちなむものです。この通り沿いには、良寛と弟・由之の墓がある「隆泉寺」、良寛が子供達とかくれんぼをして遊んだとされる「宇奈具志神社」、高弟・遍澄の墓がある「妙徳寺」などがあります。また、板塀や漆喰仕上げの住宅が建ち並び、落ち着いた景観を有しています。

パンフレット「良寛たずね道 八十八ヶ所巡り」(長岡地域振興局のホームページへリンクします)

関係機関リンク先

越後長岡百景位置図

はちすば通り(和島)周辺地図の画像
はちすば通り(和島)周辺地図

越後長岡百景位置図(全体地図)[PDFファイル/724KB]


大切な思い出の場所、ありますか?-目をつぶれば、心に浮かぶワンシーン「越後長岡百景」

 越後長岡百景は、地域の人々に、その地域の自然や文化、歴史、伝統といったものを題材に、景色・シーンを応募頂き、これにあわせて、「そのシーンに対するタイトルとそこに含まれる想いや情景」、「シーンにまつわる短歌」もお寄せ頂き、それを発信していくことで、地元地域への誇りや愛着心を持って頂くことを目的に、平成15年度から平成17年度に実施した事業です。
 このページ中の「「想い」のタイトル」欄、「公募でよせられた想い・情景(越後長岡百景)」欄、「百景の想いや場所にまつわる短歌(越後長岡百歌)」欄は、応募下さった方の「この景色・シーンに込められた想い」を、応募頂いた当時の内容そのままでご紹介しています。
 少しずつ変わっていくふるさとのまちなみ。時の流れとともに、見ることのできなくなる百景のシーンもあるかもしれませんが、この場所やこのワンシーンに込められた人々の想いに、心を寄せてみてください。

このページに関するお問い合わせは

長岡地域振興局企画振興部
〒 940-8567 長岡市沖田2丁目173番地2
電話: 地域振興課 0258-38-2507
ファクシミリ: 0258-38-2548

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