9月25日(金曜日)
早朝の横須賀を出て、日本列島を横断して10時過ぎ、集合場所のJR直江津駅に到着。秋の日差しの中、駅前は天地人直江兼続ののぼりが立て掛けられ上杉戦国観光ムード一色であった、ツアー参加のモニター15名はスタッフの出迎えを受け、頚城観光バスに乗り込んだ。
最初に案内された場所は、街の中の公園。謙信公の後継者争いの戦場の御館跡その地名が五智、上杉影虎の居城の地。一方南西の方角に上杉影勝の陣、春日山が霞んで見えた。
樋口与六(後の直江兼続)の戦功で上杉影勝の天下となった。子供の遊び声に送られて次の見学場所「天地人博」会場に到着。NHK大河ドラマのセットが丸ごと移設されたような雰囲気で本ツアーの予習をさせていただき、{直江の津}の地名から直江家の姓が生まれたとも説明書きがあった。
昼時になり市の中心にある日本料理松風園を訪ねる。
昼食は謙信公の「かちどき飯」をいただく。戦国時代の饗宴料理を再現した、美味で酒の肴に合う気品ある膳であった。女将さんの講釈を聞きながらかちどき酒(薄い琥珀色)で心地よい酔いも手伝って、出陣の前の武士の気概に浸った。
上杉戦国物語展2009は「義」、「昆」、「愛」の旗印、幟り等、会場いっぱいに埋め尽くされ上杉家ゆかりの遺品を拝見した。中でも特別展示の川中島合戦の屏風絵は見ごたえがあった。会場出口には、出土品を今に再現するタイムカプセルの作業場を覗いた。
外はのどかな田園風景で実りの秋の色が輝いていた。
バスはメインスポット春日山に向かった、山懐にある林泉寺が目に入った。
謙信公が幼少期名僧から学んだ場所だ。地元ボランティアガイド水島さんのユーモアたっぷりの話に傾聴しつつ名刹林泉寺を山内した。当時のままの惣門(春日山城の裏門だった)の脇を入り正面に本堂を見上げる屋根の上部に歴代城主、藩主の5つの家紋。向かって右から九曜巴長尾家、竹に雀上杉家、丸に梅堀家、三つ葉葵松平家、源氏車榊原家と並び、各家の菩提所あることを明記していた。
前庭は秋の花が可憐に咲き、清楚な気品を漂わせていた。四季の花を観賞に訪れる観光客も多いと伺った、左奥に謙信公のお墓があり歴代の大名の墓に囲まれていた。
墓所からの帰り山門に掲げられた金文字の看板が目に入った。謙信公直筆の力強く威厳ある金文字「第一義」の大額が掲げられていた。
135段の石段を登ったところに謙信公を奉った春日山神社がある。東郷平八郎伯爵の筆で大書された「春日山神社」の石碑を横に見て参拝した。本宮を背にして右に歩いた先の石垣の上に謙信公の銅像を仰ぎ見ながら、春日山本丸、天守台を目指して登った。
春日山城址は山城で空堀、土塁などの遺構がみられ、昔からある小道に足を踏み入れ武将たちが草鞋でかけ登る姿を思い浮かべながら感慨深く歩を進めた。天守台から一段と下ったところに命綱の大井戸がある。いまだ水が枯れることがないという神秘的な井戸だ。
天守台に立ち頚城平野が眼下に広がる。高田城も近くに見え、日本海、米山も一望できた。戦勝を祈願したとされる毘沙門堂の脇を下り、直江兼続の屋敷跡を通ってバスに戻った。こ一時間程度の散策だった。春日山城は東京ドーム100個分の敷地で帰りのバスがその領地を離れるまで数十分を要したと思われた。
加賀街道を今夜の宿泊場所、鵜の浜温泉に向かう。沿道には当時の街道の面影を残す松の木があり、民謡に謡われる米山さんが前方車窓から見え始めた頃、バスガイドさんが正調米山節を披露してくれた。旅情を一層深めた。日が西に傾き、松林の前のホテルに入った。
9月26日(土曜日)
朝風呂のからだのほてりを潮風で冷やすため、松林を抜けて砂浜にでた。
日本海は凪いでいた。早朝から釣りに来ていた地元の方と他愛のない会話を交わし、石英の白と琥珀色の混ざった小石を2個、記念に拾ってぬくもりのある砂地をのんびりとホテルに戻った。
ホテルから塩若布のお土産をいただいて直江津港に向かった。港には既に白い豪華フェリーが接岸していた。天気は晴れ、佐渡までの快適な船旅が始まる、船内は明るく広い清潔な船室に陣取った。
出航して半時が経って船尾の舞台では民謡大会が開催さていた。可愛い着物姿の少女が大人の囃子をバックにプロなみの唄で楽しませてくれた。終幕前、16ステップの佐渡おけさ踊りの手ほどきを船客皆で教わり、いつしか2時間40分が経過し小木港に着岸した。
新潟交通バスに変わりベテランガイドの案内で宿根木の方に走り出した。
昼食場所は海の見える高台の古民家の宿「花の木」、地元の新鮮な魚、野菜で造られた体に優しい美味しい重箱膳を堪能した。
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窓越しに裏庭の木立の間に一輪彼岸花が咲いていた。
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離れは宿泊できる5室があり、佐渡の隠れ宿にしたくなる魅力が感じられた。裏手から少し登ったところに孝行息子が自費で建立した日本一のお地蔵さんが山を背に立っていた。しあわせ地蔵と立て看板があった、足元に首のない小さい地蔵が無造作に置かれていたのが気になった。
来た道を戻ってしばらくしてバスの車窓から羽茂城址が見えた。説明がなければ見落とすような小高い山。上杉軍が最後に落城した城で、今日は侵攻した逆のコースを訪ねる最初の史跡ですと地図をもってガイドさんが指し示していた。
実りの稲田の中に、大きな木々に囲まれた城跡に五重の塔を見えた。
佐渡の中心、国分寺も近くにある真野の名刹妙宣寺に到着した。山門をくぐり右側に古式然とした見事な五重の塔を見上げ、新潟県下唯一とのこと初めてその存在を知った。正面に本堂、親鸞聖人をお参りしてすぐ横の大きな藁葺き屋根の庫裏に入る。
特別にこの期間、直江兼続公が奉納された槍の穂先と制札が展示されていた。境内は白い萩が咲き旅の疲れを癒してくれた。
朱鷺の剥製が陳列されている佐渡博物館に移動した。学芸員から上杉軍佐渡攻めの概要を写真パネルの前で受け、沢根に上陸してから数日でいとも簡単に平定したと推測を交えて語られた。かつて佐渡の城主は他国からの侵略された経験がなく、歌舞伎をはじめ文芸に精通して平和に領地を治めていたので無理からぬこと。当時の史料が残されていないので真偽の程はよく解からないとの弁。
この日最後の見学地、河原田城址は県立佐渡高校になっていた。麓の街の一角に白い壁に囲まれて獅子が城の由来と書かれた看板があった、河原田城の別名だ。城址見学の代わりにこの近くにある本間城主の菩提寺を拝観した。
境内の左横に焼け残った山門が移設されその奥に墓標があり、門の裏には家紋が縦横4つの枡で表記されていた。
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バスは真野湾を左に見ながら海岸線を走り沢根の街外れに小さい看板の立つ山間に一時停車、ここが上杉軍上陸の場所だ。車窓から畑の向こうに海が見えた。
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台が鼻灯台を周って七浦海岸にでる。太陽は西に傾き海は黄金に輝いていた。自然が創造した奇岩が海岸の景観を見事に演出し、主役の佐渡の名所夫婦岩に圧倒されながら二日目の投宿先相川の街に入った。
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ホテルから一望できる日本海に沈む夕日を見届けてから、宴会場に足を運んだ。和やかな雰囲気の中、ホテル差し入れの地酒も振舞われ旬の料理を満喫した。
9月27日(日曜日)
朝食の後、美術館のある宿として紹介されているホテル、ロビーの奥に所蔵されている一級品の美術品を鑑賞した。運よく気品ある幅野夫人にご当家の仏間に案内され先代の経歴を拝聴しながら、明治洋画の巨匠黒田清輝が描いた先代の肖像画に見入った。ほかにも多くの著名人の書画が部屋いっぱいに展示されていた。
ホテルの皆さんに見送られ佐渡金山に出発した。
街に残る明治の建造物の前を通り、復元された佐渡奉行所を車窓から見ながら、山の中に進む。途中山頂を立ち割った「道遊の割戸」に圧倒されシャッターをきった、山肌に一人がやっと入れる試し掘りの岩穴が数多く見られた。本命佐渡金山入り口に到着。入坑許可証を渡され最初に江戸時代初期に開発された採掘跡「宗太夫坑」に入る。
ボランティアガイドについて外気より寒い坑道を進む。そこかしこに江戸時代の採掘現場があり、壮絶な作業が展開されていた。{百聞は一見に如かず}この情景を伝える言葉が見つからない。
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ツアー最後の見所佐渡歴史伝説館、正面入り口の屋根に幸運を招く「瑞鳥」に迎えられ入館した。
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佐渡に流された3人の偉人順徳天皇、日蓮聖人、世阿弥を実物大の動く人形が演出していた。後半は佐渡の伝説を案内してくれる、ほのぼのとした見せ場だ。出口近くには人間国宝佐々木象堂記念館になっていた。土産品を買い求めるため売店に立ちよる。店番しているジェンキンスさんに遭遇した。その瞬間現実に引き戻されたような複雑な気持ちになった。名物せんべいを土産に買ったが写真を撮るのがはばかれた。
コスモスの咲く、前庭からバスに乗り込み両津港を目指す。いつしか親近感をもった運転手さん、ガイドさんとの別れが名残り惜しく、道中での佐渡おけさ、民謡を互いに音頭をとって謡って聞かせていただいたことが一層佐渡への郷愁を募らせた。
佐渡汽船自慢の最速船ジェットフォイルに乗船する。シートベルトをする船は初体験。佐渡の美味しい味が詰まったトキの里山弁当をいただき、心地よいエンジン音にいつしかうたたね、目覚めたときは新潟港に接岸していた。
完