貞心尼は、加賀の千代女、京の蓮月尼とともに幕末女流三大歌人と呼ばれた歌人であります。
貞心尼は、長岡に生まれましたが、幼い頃に柏崎の海を見て「こんな所で一日中読書をして居られたら本当に幸せだろう」と話したそうです。
17歳の頃に魚沼に嫁ぎ、離別して後、23歳の頃に柏崎の地で尼僧となり、良寛と出会うのです。
貞心尼と良寛が出会ったのは、貞心尼30歳、良寛は70歳の頃でしたが、良寛が亡くなるまでの間、心のこもった歌の交流は、純粋で温かくそして切なくて情熱的です。
貞心尼は、良寛が亡くなった後、良寛との清らかで温かい心の通った交わりを「蓮の露(はちすのつゆ)」にまとめ、
思い出を胸に心満ち足りた一生を、柏崎の地で過ごしたそうです。
そんな貞心尼が詠んだ歌の歌碑が、柏崎駅前の商店街に12基設置されています。
皆さんも、歌碑をめぐり良寛と貞心尼の心の交わりを感じてみませんか。
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かきおくも はかなきいその もしほ草 見つつしのばむ 人もなき世に
歌集「もしほ草」の最後に貞心尼が此の歌集についての自分の思いを歌ったもので、此の歌集は極楽寺の和尚静譽上人に自分の今までお世話になったお礼の心もこめて、かたみとして贈ったものである。
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貞心尼歌碑 イ
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秋もやや 夜さむになれば はたおりや つづれさせてふ むしのなくなり
此の歌は「もしほ草」の中にありこの歌のもととなるような良寛の歌に「秋もやや 夜さむになりぬ わがかどに つれづれさせてふ 虫のこえする」の歌に酷似しているのが良くわかる。 此のように貞心尼さんの歌は師としての法の道のみならず、歌の様式までも良寛の心をそっくりとり込んでいるのである。
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貞心尼歌碑 ロ
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あとは人 先は仏に まかせおく おのが心の うちは極楽
此の歌は貞心尼の辞世の句の心算で七十五歳の正月に詠んだもので心のうちから仏道に悟りを開いた心境を表しているものであり、私達も此のように生きたいものである。 貞心尼さん自筆の小片が柏崎図書館に表装され保管されている。
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貞心尼歌碑 ハ
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いつまでも たへぬかたみと おくるなり わが法の師の みづくきの跡
師良寛の書いたものを所望されて人様に差し上げる時には、必ずこの歌をしたためたものを書き添えていたというこの手紙も内容が少し異なるものの、現存しているものが幾通りかある。
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貞心尼歌碑 ニ
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露の身に あまりてけふは うれしさの おき所なき 草の庵かな
外護者山田静里翁や歌友によって作り贈られた不求庵を嬉しさのあまりに感謝の意を込めて詠んだ歌である。
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貞心尼歌碑 ホ
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朝げたく ほとはよのまに ふきよする 木の葉や風の なさけなるらむ
師良寛の「たくほどに 風のもてくる 落ち葉かな」が好きで、貞心尼が木枯らしの止んだ朝にふと心に浮かんだ詩情を自然に歌にしたもの。 貞心尼は、良寛さまの歌の如くに悟りの道に入っておられたように、自分も世の中の事にこだわらぬ清澄な悟りの道に入ったような嬉しさを表している。 自然を大切に自然と共に生き、全ての事柄に感謝の思いを表している。
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貞心尼歌碑 ヘ
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うたやよまむ てまりやつかん 野にやでむ きみがまにまに なしてあそばむ
良寛さんに「こんなのどかな春の一日、家の中にいてもつまらぬが、そうかといって身は一つ何をしてのどかに過ごそうかと、心わくわく、あれもしたいこれもやりたい如何にして過ごしましょうか。」と問い掛けて詠んだもの。良寛の返歌として
歌やよまむ 手まりやつかむ 歌もよまむ 手まりもつかむ 野にも出む 心一つを さだめかねつも
の歌がある。
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貞心尼歌碑 ト
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沖遠く 入日の影を したふまに はやさしのぼる 山の端の月
外護者の山田静里翁に誘われて閻魔市を見ての帰りに納屋町(現港町)の砂丘に立って夕涼みをしながら詠んだ歌。 夕日の刻々と変わりゆく様を見ながら、その美しさに見とれ「極楽浄土もこんなに美しいものか?」と会話しながらふと振り返ると、鏡ケ沖遠くの山の端に月がのぼりかけてかけてきたという。
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貞心尼歌碑 チ
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あまの子は さくら貝をや ひろふらん なみの花ちる いそづたいして
歌集「もしほ草」の最後に載せてある春ノ浦の項にある歌。 若き日閻王寺で、心龍・眠龍姉妹尼との三人暮らしの生活の中で、托鉢の折に浜づたいに歩きながら淡紅色の桜貝を探し、それに託した若き日の夢を詠んだものであろう。 この歌集「もしほ草」は晩年お世話になった極楽寺の静譽上人に贈られ、現在も寺宝として極楽寺に大切に保存されている。
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貞心尼歌碑 リ
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かりそめの 草の庵りも ことの葉の 花さく宿と なるぞ嬉しき
釈迦堂が八木治右衛門方よりの出火で四月二十一日(1851年)類焼した。 ちょうどこの時、貞心尼は長岡へ行っていて不在、報せで急きょ帰柏し、焼け野原となった町を見て作られたのが「焼野の一草」である。 一時、広小路の観音堂に住したが、歌友や外護者の山田静里翁達によって不求庵を作ってもらい住するようになり、その時々に催される歌会の様子を詠んだものである。
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貞心尼歌碑 ヌ
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おのづから 心もすめり くもりなき 鏡が沖の 月に向へば
広小路の不求庵の前面には、蓮田が向山まで続いている鏡ケ沖であり、その水面にうつる清らかな月を詠んだもの。 自らの心のうちも澄んでいる貞心尼の自然賛歌である。
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貞心尼歌碑 ル
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きて見れば 雪かとばかり ふる里の 庭のさくらは ちりすぎにけり
歌集「もしほ草」の中におさめられている歌で弥生(三月)の末つかた貞心尼の故郷長岡を訪れた時のもので、桜の花も見頃を過ぎて風に舞い散り、あたかも雪が地面を蓋っているかのように見えた情景を歌い、幼き頃の思い出をこめての情感を表したものである。
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貞心尼歌碑 ヲ
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歌の解説は、柏崎良寛貞心会発行「貞心尼の歌碑解説書」より
| ●地域レポーターから |
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トップの画像は、ソフィアセンターにある「托鉢貞心尼像」で、良寛の地、出雲崎を望んで建てられています。
柏崎駅前の商店街に貞心尼の歌を刻んだ歌碑が約800mにわたり12基設置されています。
良寛と詠み交わした作品や若き日の夢を歌ったものなど様々です。
写真では、刻字を上手に撮ることが出来ませんでした。
ぜひ柏崎へ来て、貞心尼が愛した日本海の風光を肌で感じてみてください。
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| 柏崎地域振興局企画振興部 T.T |