小栗美作と中江用水路 江戸時代の上越地域は、米をより多く生産するために新田開発がさかんに行われてきました。当時この地域は、ため池の水を利用して稲作を行ってきましたが、毎年のように水不足に苦しんでいました。 そこで新田開発を積極的に行っていた高田藩の家老・小栗美作(おぐりみまさか)は、自ら先頭に立って関川から取水する中江用水路の造成を計画しました。 高田藩の指揮のもと、地主や農民たちが一丸となり約4年の歳月をかけ約26kmの長大な用水路を完成させました。これにより、およそ120か村の水田が水不足から解放されました。