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新潟港(東港区 南浜地区)

2011年11月04日
新潟港(東港区 南浜地区)
新潟港(東港区 南浜地区)

湊町の歴史

【南浜】
 南浜(みなみはま)村はかつて北蒲原郡にあり、明治22年(1889)町村制施行により神谷内新田、太夫浜村、島見浜村、太郎代浜を合わせ南浜村となったが、昭和29年(1954)新潟市に編入合併し消滅した。
 漁港はかつての太夫浜村にあり、東西に北国浜街道が通る。源義経が都落ちの途次通行したという伝説があり、義経の乗馬太夫黒は当村の産と「越後野志」は記す。
 近世を通して新発田藩領で、慶長3年(1598)頃の後領内高付帳に6石4斗2升、塩年貢浦役6石9斗5升とある。享保(1716~36)末頃の御所納之外在々より納井覚書に家数23、馬数9と記され馬継所であった。明治3年(1870)の村明細書では家数83(本家17、名子家45、間脇家21)、人口516(男282、女234)、馬8。
 戊辰戦争時、新政府軍は新潟湊攻略のため7月25日当村に上陸した。
(出典:新潟県の地名 平凡社刊)
追記:新潟県の北側に位置するのに何故「南浜」か?
 これは当地域が昭和28年(1953)以前には新潟市ではなく、北蒲原郡(1878年(明治11年)に制定された郡区町村編制法によって、旧蒲原郡を北蒲原郡、中蒲原郡、東蒲原郡、新潟区、西蒲原郡、南蒲原郡の6つに分割したことにより発足。発足時の郡域は現在の郡域に加え、現在の新発田市、阿賀野市、胎内市、新潟市の一部(北区のほぼ全域と新潟空港周辺の東区松浜町)、東蒲原郡阿賀町の一部を含んでいた。 十二潟内側の地域(十二前と金淵乙)と焼山集落は阿賀野川北部に位置し、現在は新潟市北区であるが中蒲原郡旧横越町であったため厳密には除かれる。なお、郡役所は新発田本村(現新発田市)に置かれた)に属し、その最南に位置したためである。