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新潟県ホーム の中の農林水産業の中の浦川漁港(第1種 佐渡市管理)
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浦川漁港(第1種 佐渡市管理)

2010年11月22日
浦川漁港
浦川漁港 平成17年11月撮影
こちらをクリックすると、漁港の詳細なデータが表示されます(PDF形式  174 キロバイト)

漁村の歴史

【浦川】
 集落の多くは海岸段丘上宮の崎(みやのさき)の澗に面して列村形態をなす。佐州巡村記には「澗深サ六尋余、西風ハ不当、拾四、五艘掛ル」とある。廻船の風待港として賑わいを見せた。
 康永3年(1344)11月16日の足利尊氏寄進状によれば、飛騨国内の所領の替地として、近江園城(おんじょう)寺に佐渡国の浦河保地頭職などが寄進された。
 元禄7年(1694)の検地帳では田8町7反余、畑3町余、名請39人。地字に釜屋江ノ上、釜屋川内、釜屋本があるが塩畑はない。天保9年(1838)の書上帳では戸口32軒、236人。小物成に烏賊役、蛸役、油絞役、船役などあり、船数は25艘。
 享保年間(1716~36)の諸国客船帳によると、他国の廻船の寄港は享保元年から見られる。同年から同5年には松前(まつまえ)、丹後宮津(みやづ)(現京都府)、越前吉崎浦(よしざきうら)・敦賀(つるが)(現福井県)、摂津御影浦(みかげうら)(現兵庫県)、道頓堀(どうとんぼり)(現大阪府)、津軽、加賀湊の廻船が寄港している。当村の廻船問屋は七軒あるが、天保9年の書上帳には廻船の数が記載されていないので、船宿の提供が主であったと見られる。
 寛永4年(1751)の藻刈船建造の史料があり、磯漁も行われていた。文久3年(1863)の拾いいご取決では、寄りイゴは村の共同収益として取り扱われている。現在イゴ・モズクは口あけ制で、口あけ前の寄りイゴは集落の共有とされる。
 集落の南に諏訪神社がある。段丘上には真言宗豊山派の文殊(もんじゅ)院があり、文安3年(1446)の開基と伝える。
(出典:新潟県の地名 平凡社刊)