このページの先頭です メニューをとばして、このページの本文へ
新潟県ホーム の中の農林水産業の中の多田漁港(第1種 佐渡市管理)
本文はここから

多田漁港(第1種 佐渡市管理)

2011年10月25日
おおだ漁港
多田漁港 平成17年11月撮影
こちらをクリックすると、漁港の詳細なデータが表示されます(PDF形式  353 キロバイト)

漁村の歴史

【多田】
 多田(おおだ)は松ヶ崎湊の補助湊の関係にあった湊(みなと)町と農村部の黒根(くろね)からなる。永享6年(1434)流罪となった世阿弥の「金島集」に「大田のうら」とみえる。
 元禄7年(1694)の検地帳では田畑屋敷21町8反余のうち、田は10町8反余、屋敷持は68人。屋敷地の地字に上町、改町、下町、片町がみられる。「佐州巡村記」に戸口78軒、328人。丸山(まるやま)村・河内村との組合郷蔵がある。天保9年(1838)の村書上帳に漁船28艘、廻船6艘。「佐渡四民風俗」に松ヶ崎村が「浪荒き節は多田村にも船掛り仕候(中略)此辺松前へ稼に参り候もの多く、秋頃帰国の節は、松前物数品売買致し候」とあり、松ヶ崎湊ともに松前稼をする者が多かった。寛政6年(1794)5月に45軒を焼く火災があった。
 明治初年以後松ヶ崎番所が廃され、それに代わる港改所や通商会所などが置かれ、旧松ヶ崎四ヶ村の中心となった。大正期には味噌・醤油の醸造業や船宿から転じた料理屋が栄えた。
 諏訪神社やかつて西の日の見平(ひのみだいら)の字岩の平(いわのだいら)にあったと伝わる小田原神社、地頭多田氏の菩提寺である曹洞宗大籏山宗運(そううん)寺がある。真言宗豊山派白太山弥勒院は明治元年(1868)に一時廃寺になったが、その後地蔵院を合併して現在に至る。
(出典:新潟県の地名 平凡社刊)
追記:
 平成16年3月1日に、島内10市町村が合併し、佐渡市として誕生。合併前の旧畑野町の頃より、佐渡の新しい地域資源として島内産業の活性化を図るため、佐渡海洋深層水の利活用を促進し、活力ある島づくりに取り組んだ。
 佐渡海洋深層水利活用施設には、取水・分水・水産・製氷施設があり、多田沖約3.7km、水深332mの地点から、日量1,200m3の海洋深層水を取水し、各施設に送水。そのうち700m3/日を水産分野で活用し、水産加工品の付加価値アップや魚介類の鮮度保持、クロアワビの種苗生産などで佐渡の水産振興を牽引していくとともに、残りの500m3/日で食品等の商業利用や一般家庭での個人利用に5種類の海洋深層水を分水している。
日本海の季節が作る深層の固有水 ~地球環境監視の指標~
 (舞鶴海洋気象台)
 舞鶴海洋気象台は、秋田県沖から島根県沖までの日本海を管轄区域とし、海上警報や潮位情報の発表などによって海の安全を確保するとともに、地球環境監視として、日本海の海況の発表や海洋気象観測船による海面から深層までの水温等の観測を行い、その成果を「海洋の健康診断表」として公表しています。
 その観測項目の一つである「深層の海水」についてご紹介します。
 日本海には水深約300mより深層に「日本海固有水」と呼ばれている均質な水塊があります。その温度は0~1度で、溶け込んでいる酸素が多いという特徴があります。この水塊は次のように作られます。まず、冬季の季節風により、日本海北部の大陸近くの海面が強く冷やされ、これによって、海面近くにある海水(大気と接しており酸素が多い)は、その密度が大きくなり、水深300mより深層に沈み込みます。一方、日本海は、隣接海域とは水深50~140mという浅い海峡でつながった水深3,000m前後の盆地地形であることから、隣接海域との海水の交換が海洋の表層に限定されるという特徴があります。このため、深層に沈み込んだ海水は、孤立した水塊として維持されることになります。
 「日本海固有水」は、このように作られることから、季節風(気候特性)の長期的な変化に影響されます。この水塊の最近約40年間の長期的傾向は、日本海盆の東部の水深2,000mでは、水温は上昇し、酸素濃度は減少となっています。このことは、「深層に達する海水の沈み込みが近年起こりにくく、海面からの酸素の補給が不十分で、深層での有機物の分解による酸素消費に見合なくなっている」という可能性を示唆しています。その原因としては「近年の冬季気温の上昇による海面の冷却の弱まり」という気候特性の長期的な変化による影響が考えられます。
 このように、「日本海固有水」の状態は、日本海の「健康」状態でもあって、地球環境の変化を監視する重要な指標です。
(出典:前半 海洋深層水利用学会後半 国土交通省メールマガジン(2011/10/17 第747号))